7.

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 論文が終わらなかろうが、関係が終わろうが、朝は来る。
 どんなときも変わらない。その不変は、一体どれだけの人を救って、どれだけの人を苦しめたのだろう。
「おはよう。今日寒いね」
「おは……なんだそのツラ。また寝てないのか」
 回転椅子ごと振り返った新島に言われて、私は自分の目元をなぞる。
 ああ、クマ隠してこなかった。
「寝たよ。二時間ぐらい」
「それは寝てないって言うんだ。なにやってたんだよ。今そんな寝ずにやらなきゃならないのあったか?」
 あきれた視線を受けながら、私は鞄と紙袋を机の上に置いた。
「未解決事件」
「はぁ?」
「……の、ウィキペディアを見てた」
「アホか!」
 その突っ込みに、後輩たちの視線が一瞬集まって、新島の一睨みですぐにそれぞれの作業に戻る。
「いや、中々興味深くて。眠れなくなったけど」
「お前の興味深いは俺にはよく分からん」
 新島はため息をついて、自分の机の上のカップを持ち上げコーヒーを飲みはじめる。
 それを見て思い出した風を装って、持ってきた紙袋を隣の机に置いた。
「新島これ、要らない?」
「あ?」
「欲しかったらあげる。もらってくれるなら、正直誰でもいいんだけど」
 新島は紙袋を覗きこんで、怪訝な顔をした。
 気付かない振りをして、私は他に立候補がいないか研究室を見回す。一人の後輩と目が合ったが、視線をそらされた。
「これ、この間お前が土産に買ったやつだろ」
――流石に分かったか。
 他の後輩たちは話を聞いている風ではあっても、名乗り出ては来ない。
「しかも『彼氏に』って」
 やけに強調し、嫌みったらしく新島が顔を上げた。
 私は受け流すように頷く。
「そう。『彼氏』に用意したんだけど、その彼氏が『彼氏』じゃなくなったから必要なくなったの」
 再度紙袋を覗き込んでいた新島が「ふーん」と相槌を打って、また顔を上げた。
「はあ!?」
 聴覚だけこちらに向けていただろう後輩もいっせいに顔を上げたが、私はまた見ないフリをする。
「わ、別れたのか?」
「別れた……いや、フラれた? 違うな、契約期間が終わった?」
「表現の仕方はどうでもいい」
「まあ、つまりそういうこと」
 背後で後輩が何人か、顔をよせあってぼそぼそと小声で何か話をはじめる。
 私には聞き取れないが、大方予想はつく。
「なんで、いきなりだろ」
 喧嘩でもしたのかと問う新島に、私はゆっくりと首を横に振る。
「来るべき時がきただけ」
 喧嘩なら、仲直りするすべがある。関係が修復されることがある。
 これは喧嘩とは違う。仲違いでもすれ違いでもない。
「お互いがお互いに興味がなくなったの」
「はあ?」
「私はタブーを飛び越えられない高遠香介に興味があっただけで、飛び越えてしまった高遠香介には興味がないんだ」
 時期がきてしまった。そう表現するしか他にない。
 いつかくると、はじめから分かっていた。
 それで、と私はこの会話を打ち切る。
「結局要るの? 要らないの? 教授に話してくるから、その間に決めておいて」
「あ、ああ……話?」
「『色よい返事』をしてくる」
 数日前の教授の言葉をそのまま引用すると、紙袋から箱を出そうとした手がぴたりととまる。
「決めたのか」
「別れたらもう、ここに固執する必要もないからね。それに新島は行かないんでしょ」
「お前の代わりなんてまっぴらだからな」
 そういうわけでもないでしょ、と言って、私は新島に背を向ける。
「諏訪」
「何」
 踏み出したところで呼び止められて、イライラと声を上げた。
「これ、やっぱり高遠に渡した方がいいだろ」
「この期に及んでまだそれか」
「だってこれ」
 新島は言いかけて、続きを行動で示す。箱から取り出したそれを突きつけた。
「高遠の為に選んで、高遠の為に買ったんだろ。高遠に渡せよ」
――そんなもの、入れたのも忘れていた。
 高遠香介と直接面識があるわけでもないのに、高遠高遠と煩い新島は、怒ったように箱持ったまま立ち上がる。
「捨てて」
「諏訪」
 言い聞かせるような声色で私の名を呼ぶ。
 逃げるように背を向けると、後ろでため息が聞こえた。
「……そんなに言うなら俺が貰うよ。本当に、いいんだな。本当に」
 ため息混じりで確認するように強調して新島が尋ねた。


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「……やっぱり、それ……返して」 →8bへ


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