6.

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 十二月も中頃だというのに、その日の天気は雨だった。
「さむ……」
 部屋に帰って、ひんやりした空気に身震いする。
 水滴のついたコンコルドを外して、髪をおろす。滴る程ではないが、湿った髪は手櫛ですこうとするとすぐに指に引っ掛かった。
 部屋の鍵を置いて、私は誰もいない部屋を見回す。
 テーブルには、出かける時に置いた紙袋がそのままの形でそこにあった。
「……来なかった、か」
 呟いて、ぴんとその袋を指弾く。
 金曜日、つまり昨日の深夜、暇なら上海土産を取りに来いと香介にメールした。
 休日にする仕事がないのも他にこれといった用事もないという返信を確認して、私は携帯の電源を切った。
 それきり鞄の中に仕舞い込んだ携帯をとりだし、電源を入れてセンターに問い合わせる。
 もう六年は使い続けているはずのそれは、その半分の期間こうして電源がきられたまま鞄の中に入っていて、ほとんど買った当時の姿のままを保っている。
 大切に使っている訳じゃない。
 使っていないから綺麗なままなのだ。
『問い合わせ結果、メールゼロ通』
 急に用事ができたのかもしれない。
 古典の君――小西敦哉に飲みに誘われたのだとか。
 また体調を崩したとか。
 前例がない訳じゃない。
――だけど。
 パソコンを立ち上げる。
 メールは、なかった。
 携帯を再び開く。
「……もしもし」
 永遠に続きそうに思えた長い長いコール音の後で、ついに香介が電話に出た。
 私は口を開きかけて、何を言いたいのか思いつかなかった。
「香介」
 咄嗟に口をついた彼の名で、電話の向こうで小さくため息をついたように聞こえた。
「……今日はすみませんでした」
 ややあっての謝罪の言葉。
「生きてたみたいね、よかった」
「……はい」
 声から苦笑が伝わる。私の反応は多分間違ったのだと思う。
「今は家? 古典の君にでも、飲みに誘われた?」
 言い訳が欲しかった。
 小西敦哉が原因なら、約束の反故も諦められる。
――本当に?
「いいえ」
 でも香介の声はきっぱりと私の希望を打ち砕く。
「今日は家に居ました、ずっと」
 私の心は古典の君と一緒に居なかったことに半分安堵していて、残りの半分は複雑で自分でも分からなかった。
「体調、治っていないの?」
「それも、ないわけではないんですけど」
 香介は続きをすぐには言わなかった。小さく咳が聞こえる。
 私はそこで、気付いてしまった。
「香介?」
 敬語だ。
「昨日、あのメールのあと」
 まるで、最初の頃のように。
「告白したんです。敦哉に」
――息を呑んだ音は、聞こえてしまっただろうか。
「……やっと?」
「ええ、やっと」
 香介の声は淡々としていて、私には感情が読み取れない。
「それで、返事は?」
「考えてくれるそうです」
 そう、と返した私は気がつけばうつむいていた。ああ、動揺している。冷静であろうとする私の一部がそう思う。
「あなたには、きちんと報告しなければと思って」
「そう、ありがとう」
 何に対して礼を言っているのだろう。
「明日も早いんですか?」
「うん、早い……」
「なら、あまり長電話できませんね。……そろそろ切りましょうか?」
 言葉に罪悪感がちらついている。香介ももうやめたいんだろう。
 そう、思いたかった。
「……うん」
 長い沈黙のあと頷いてしまった私は、最後の最後で逃げてしまったことになるのだろうか。
「それじゃあ、おやすみなさい。……さようなら」
「おやすみ。いい返事がくるのを……願ってる」
 雨音が聞こえなくなっていた。
 窓には雪の粒が張り付いている。
――ああ、明日は寒いのかな。


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