8a.

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「何度も言わせないで。……大事に使って」
――言わずとも新島なら多分、大切にしてくれるだろう。
「ああ。お前だと思って大切にする」
 新島が頷いたのをみて、私は今度こそ彼に背を向けた。

 ***

「香介さん、教頭先生気付いてると思うの」
 マグカップを両手で包むようにしながら、篠原 留美は真剣な顔で香介を見上げる。
「やっぱり、そうかな」
 神妙な顔をして頷く留美に、香介は苦笑して自分の手元を見た。
――白いコーヒーカップ。職員室の備品だ。
「そろそろ、ちゃんと新しいの買わないととは思ってたんだけど」
 一月ほど前、香介が手を滑らせて自分のカップを割ってしまった。
 香介と敦哉と留美で、色違いで同じデザインのマグカップだった
 とりあえず勝手に職員室のカップを拝借して使っているのだが、お陰で残された二つのカップで敦哉と留美が保健室でコーヒーを飲むと、ペアのカップを使っているように見えてしまい、敦哉は嫌がって――本当は照れて――最近は殆ど留美と一緒に保健室でコーヒーを飲まなくなった。
 そういう理由で最近敦哉は留美が居るときは保健室にはこない。もちろん今日も。
 と、彼女は思っている。
――違う。本当は先日の告白以来、香介が敦哉に避けられているだけだ。
「せっかくだから、私と敦哉の分も買い換えましょうよ。クリスマスプレゼント代わりに。今使ってるのは自分の家に持って帰って使うことにして」
 小さく手を叩いて留美が提案する。
――彼女は、二人の間にあった出来事をまだ知らない。
「そう、だね……」
 名案でしょ? と笑顔の留美を直視できず、彼はカップの黒い水面を見下ろす。
 三人の関係の均衡を崩してしまった。これからも永遠に三人の関係が続くと信じてやまない彼女の笑顔は、香介をむなしくさせるだけだった。
――本当に欲しいものを手に入れるため、他の大事なもの全てを失うかもしれない。
 分かっている、つもりだ。
「香介さん?」
 小さく咳き込むと、心配そうな瞳が見上げてくる。大丈夫、と笑い返して香介はカップに口をつけた。
 こんこん、と保健室のドアが叩かれた。
「はい?」
「あのー」
 保健室の扉を半分ほど開けて、ひょっこりと頭をだしたのは、おかっぱの女子生徒だ。
「……亜子ちゃん?」
「るみ先生!」
 留美が呼んだ名は、彼女が受け持つクラスの女子か。
 呼ばれた女生徒は留美を見て、嬉しそうにほんの少しはにかんだ。
「どうしたの? 怪我? 具合悪いの? 大丈夫?」
「ええっと、違うんです。そうじゃなくって……」
 矢継ぎ早の質問に、亜子はおずおずと紙袋を持ち上げる。――香介に。
「さっき校門で男の人から渡されて。保健室の高遠先生にって」
「男の人……?」
 受け取りながら、香介は首をかしげる。
 街中でたまに見掛ける外資系のコーヒーショップの袋だ。のぞき込むと、同じロゴの箱が入っている。
「男の人って、どんな?」
「二十代後半ぐらいの、無精ひげ生やした……あ、でもすぐに駅の方に行っちゃって。名前も聞けなくて……」
「駄目でしょ、危険物だったりしたらどうするの」
「はあい。ごめんなさい、先生」
 香介は箱を開ける。
――上海と英語で書かれた、マグカップ、だった。
 ひらりとカードが床に落ちる。
『Merry X*mas 美月』
 見覚えのある丸みを帯びたオレンジ色の文字。
――クリスマス? ああ、忘れてた。
 気だるげな、さめた声が香介の脳裏をよぎった。
 イベントに感心のない女性だった。クリスマスもバレンタインも、素で忘れて研究に没頭する人だ。
 国内外を問わずに出張に出かけても、土産はいつも食べ物で、形に残るものはこちらから頼まない限り買ってきてくれない人だった。
 思い出を形にして残すのが、嫌いなのだと付き合った最初の頃に宣言していた。
 なんて楽な女性なのか、そう思うと同時に、この人は本当に『興味がある』というだけで自分と付き合うのだと、呆れを通り越して感心した。
「香介さん?」
 驚く留美の声を背景に、ばん、と保健室の扉を開く。
 飛び出してどうする。
 話を聞く限り持ってきたのは美月ではない。
 だけど送り主は美月で。
 彼女の気まぐれで、特に他意はなかったのかもしれない。
 カップを割ってしまった、という話をしてしょげていたのを覚えていただけかもしれない。
――でも、これがきっと彼女とつながれる最後だ。
「コウ!」
――だけど。
 その声で、その呼び方で、名前を呼び止められたら香介は立ち止まってしまう。
「……敦哉」
 振り向く。
「ちょっと今いいか? この前の……その、返事をさせてくれないか?」
 以前と何も知らない真摯な瞳に魅入られながら、香介は一度だけ目指していた玄関の方を見た。
「ここじゃなんだから、あっちで……」
――もう、終わってしまったことだ。
「……うん。分かった」
 香介は促されて彼の後をついていく。
 もう二度と、振り返らなかった。

 ***

「あれ、新島さん、どこ行ってきたんですか。諏訪さんと教授がこの後の話したいからって探してましたよ。ちゃんと外出るときは携帯電源入れといてくださいよ」
 研究室に戻った新島に、後輩の一人が声をかけた。
「あー悪い忘れてた」
 携帯を取り出し、電源をいれる。センターに問い合わせると、数通のメール。
 はあ、と盛大なため息をついた。
「どしたんですか?」
「ん、いや。自己満足も甚だしくて若干今自己嫌悪中なんだ。……んじゃ、行ってくる」
 あーむなしー。
 また盛大なため息を吐きながらに呟いて、新島は携帯をポケットにしまいこむと、入ってきたばかりの出入り口に引き返す。
 がたん、と引き戸がしめられた。

(終)

BAD END「最初で最後のクリスマスプレゼント」


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