王子家出中 ―6―

モドル | ススム | モクジ
 パンパンと、乾いた手をたたく音。
「――はい。もうよろしいですよ」
「ブラン!」
 永遠のような一瞬が過ぎて、聞き覚えのある二つの声でブランが瞼を開けた。覆いかぶさり剣を振り上げた姿勢で止まっていた人攫いが、笑ったまま立ち上がって剣を収める。
「痛たた、大丈夫ですかい、殿下」
 気安くそう言って、人攫いは顔の血を拭う。
「……え?」
 固まったまま、ブランは男とやってきた二人を交互に見つめる。なかなか声にならないのか、しばらくぱくぱくと口を動かした後、ようやくスーリヤが連れてきた彼女の名を呼ぶ。
「そる、しぇ……?」
「はい、ソルシェですわ、ブランさま」
 呼ばれると魔女は嬉しそうに笑みを湛えて頷いた。
「どういうこと……?」
 今度はスーリヤの方を見たが、彼女も困惑した顔で首を慌てて横に振る。
「いや、その、私にも何が何だかさっぱり分からない! 手筈どおり袋の中から彼女を救い出したのだが、いや、救い出したというよりは、自らで出てきたというか……」
 言葉どおり彼女もまた状況が掴めていない様子で、首を傾げてはソルシェの方をちらちらと見ている。
「ソルシェ、彼女がかの有名な魔女ソルシェなのか? しかしそうなると、ブラン、君は……」
 スーリヤの問いに、魔女は「そのお話は後ほど」と言って微笑んでからブランに向き直った。
「夜になってもお戻りになりませんから、心配いたしました」
 そうたしなめるように言い、ソルシェは彼の元へ跪いた。地面に倒れこんだときにズボンが破れ、擦りむいたと見えるブランの膝を両手で包む。暖かい光が彼女の手の中から零れ、手を離すと服ごと直っていた。
「シュカ、ブランさまに手をお貸しなさい」
 耳慣れない名に思わず不審な顔で見上げると、人攫い役の男が胸に手をやって頭を下げた。
「狩人をしておりやす、シュカと申します。先ほどは演技とはいえとんだ無礼をいたしまして……。あの、殿下とは狐狩りの際に一度お目どおりを」
「……うちの人だったの!?」
「もちろんですとも」
 驚きの声を上げたブランに、ソルシェがため息をつく。
「演技とはいえ、とても恐ろしかったでしょう? 本物に出くわしていたならば、この程度ではございませんでしたよ。他国より良いほうとはいえ、夜は危険なのですわ。これに懲りたなら、もう家出など馬鹿げたことを脅しに使うのはおやめくださいまし。さあ、お城に戻りますよ」
 シュカに助け起こされて、ふらつきつつもブランがようやく状況を飲み込み始める。
 全てはソルシェのいつもの悪ふざけだ。突然現れたりベッドをひっくり返したり、この魔女はブランたちを驚かすのが大好きなのだ。
 そもそも森の国人は特別許された者以外国の外では魔法が使えない。だからスーリヤの言っていた魔法の力目当てなんてありえない。薄々変だなとは思っていたのに、その可能性を全く思いつかなかった自分が悔しい。けれど、それ以外の理由も考えられる上、スーリヤに急かされて目の前の事態そのものを疑う余裕などなかった。
「なんでこんなこと」
 ブランが歯噛みしているとソルシェは腰に手を当てて、お説教の姿勢に入っている。
「そもそもブランさま、いくら数が多いとはいえ、家来の顔ぐらい覚えておいてくださいまし。陛下でしたらこの程度の配役でしたら見抜かれたでしょうに」
「そりゃあアニキは国王だし……それに狩りだって一回しか」
 言い訳を口にしようとしたブランを、ソルシェが「いいえブランさま」と遮った。
「ブランさまはこれから陛下を支えて行かなければならないお立場。そんなですからいつまでも魔法に失敗して花がでるのですよ」
「失敗?」
 それまで状況を飲み込めないまま、ずっと黙って成り行きを見守っていたスーリヤが小さく呟いたのがブランの耳に入った。かあっと頬が熱くなるのを感じる。
 それは言われたくなかった。特に彼女の前では。
「それとこれとは関係な……」
「ございます。ブランさまがそういつも消極的ですから、魔法にもそれが現れるのですわ。今回のことでよくお分かりになったでしょう?」
 ぽつり、と雫がブランの足元に水滴が落ちる。
「……ひどいよ、ソルシェ……!」
 ブランの瞳から、ついに大粒の涙がこぼれていた。シュカの手を振り解き、数歩後ずさったかと思うと、踵を返して森の奥に消えていく。
「ブラン!」
「お待ちください、スーリヤさま」
 追いかけようとしたスーリヤを、ソルシェが引き止めた。振り返ると、ソルシェはふわりと微笑む。
「砂の国第一王女、スーリヤさま、でいらっしゃいますね」
「……さすがは魔女、なんでもお見通しか」
 スーリヤはどこか観念したような口調でため息をついた。
 ソルシェに向き直りつつ、ブランが消えた方向をちらと見て、心配そうに呟く。
「となると彼が、私の……」
「あなたさまの武勇伝は予てから伺っておりました。でもまさか、お一人でこのような場所においでになるとは思っておりませんでした。うちの陛下もわたくしたちの目を盗んで仕事を抜け出すことにかけては他の追随を許さぬほどと思っていましたが、スーリヤさまもなかなかお上手でございますのね」
 毒のある言葉にスーリヤは苦笑する。魔女は「ともかく」と咳払いをし、スカートをつまんで頭を下げる。
「まずは度重なる非礼をお詫びいたしますわ。こんなふざけた芝居に巻き込んでしまった上、あんなお見苦しいところを見せてしまいました」
「何故こんなことを?」
 問われたソルシェの笑顔は、どことなく不敵なものに見えた。
「先のお后さまはブランさまをお産みになってすぐにお亡くなりになりました。以来わたくし、ずっとブランさまの母親代わりを勤めさせていただいております」
 頬に手を当て、ソルシェは演技のようなため息をつく。
「母君さまを知らないブランさまがおいたわしくて……どうやら甘やかしすぎてしまったようなのです。今もよく陛下にも怒られてしまいますの」
 ソルシェは先ほどブランが追い詰められて出した花を地面から拾い上げた。今度はスーリヤの時とはまた違う、手のひらには余るほどの真っ赤な大きな花だ。
「そのせいかブランさまもお優しいけれどとてもビビ……もとい、とても臆病な方に……。わたくしが率先して手を出してしまうからか、魔法もうまく使えず、失敗してこのように花ばかり出てしまうのです。これではいけないとは常々思っておりましたの。それで」
 わざとらしくソルシェが言葉を切った。それまで無言で聞いていたスーリヤが、彼女の何かを待つような視線に気づく。
 一瞬悩んでから、
「それで?」
 と、渋々相槌を打った。
「ショック療法のつもりで」
 ぺろりと魔女は小さく舌を出した。
 はあと反応に困ったスーリヤから呆れた声が漏れた。彼女の表情や口調から、全く真剣さが伝わってこないのだ。まだお芝居の延長にいるように見えるが、これが彼女の素なのかと内心首をひねる。
「それと、今回のお見合いのお相手であるあなたさまに少しでもよいところを見せて点数を稼ぎたかった、というのもございます。ご存知かも知れませんがもう見合いも五十回を超えております故、わたくしが寂しいからという理由でこっそりひっそりお見合いの妨害をするのものもうそろそろ潮時かと思いました」
 最後の一言はブランが聞いたら怒って家出しているかもしれない。いやもうとっくにしているが。この国の魔女は自由すぎる――スーリヤがあきれ返って何も言えない状態なのを尻目に、ソルシェはしょんぼりと手の中の花をいじっている。
「ですが逆効果でしたね」
 点数稼ぎどころかスーリヤが見たのは愁嘆場に近い。
「ブランさまは本がなくては魔法がうまく使えないと思い込んでいるようなのです。仮にも魔女であるわたくしの愛弟子なのですから、そんなはずございませんのに」
 ぷちりとソルシェは手の中の真っ赤な花びらをちぎった。
「魔法は万物に『命令』をする力です。ブランさまは気弱すぎる。それでは何者も傅かない」
 ソルシェがつまんだ花びらをそっと離す。指から離れた花びらは、風にのってふわりと舞って一回転した瞬間、いっきにスーリヤの真横を飛びぬけて、木の幹に突き刺さった。
「っ!?」
 その風圧で乱れた髪を直すこともできないまま立ちすくんでいるスーリヤに、ソルシェはにっこりとやさしい笑みを浮かべた。
「これがわたくしの魔法の理です。お詫びのしるしにはなったでしょうか? もっとも、今魔女のいない砂の国でこれを広めることは難しいと思いますが」
 髪を直しながら、スーリヤがぴくりと顔を上げた。気づいておられたのか、とばつの悪そうな顔をする。
「……あなたが我が国に来ていただく、ということは」
「ありがたいお誘いですけれど、わたくしにはもったいないお言葉ですわ」
 やんわりと断った魔女に、スーリヤがそうかと肩を竦めた。
「さあ、砂の国の方々もきっとあなたさまをお探しでしょう。こちらから知らせは送りましたので、どうかこちらでお待ちくださいませ。ブランさまのことはこちらの問題です。わたくしたちにお任せください」
 すまし顔でそう言ったソルシェを、スーリヤはしばらく見つめたが、ややあって首を横に振る。
「ここまできた以上、彼を放ってはおけない」
「噂どおりに頑ななお方ですわねぇ……」
 ソルシェがため息をついた。スーリヤはむうと口の端を下げる。
「国に帰ったらその噂の出所を突き止める必要がありそうだな」
「そのように肩入れしていただきますと、あとで報告を聞いたうちの陛下が期待してしまいますわ。ブランさまの戦果はご存知でしょうに」
 ブランにとって、スーリヤは記念すべき五十三回目のお見合い相手だ。
「まあ、いいでしょう。ならばこれをお持ちになって行ってくださいまし」
 ソルシェが本を差し出す。
「これは……」
「ブランさまの『お守り』ですわ。これさえあればブランさまも自信だけなら魔女レベル」
 茶化す口調でソルシェが言った。
 ブランが忘れて行った、魔法の教本だ。むろんスーリヤはそのことを知るよしもない。ただ本を開いて見て、それが何なのか理解したようだった。食い入るように一ページ目を見つめている。
「別に、途中で気が変わってお国にお持ち帰りいただいても結構ですわ」
 にやりと笑ったソルシェに、スーリヤがハッとして顔をあげる。ふんと鼻で笑ってから、本を胸に抱え込んだ。
 ブランを追うために踵を返して、少し思いなおしたように振り向いた。きょとんとしたソルシェを真面目な顔で見る。
「あなたはさっきブランがどうしようもない臆病者のように言ったが、彼はさっき自分からひきつけ役を買ってでてくれた。あなたが思っているより、彼は自分の弱さを克服しようとしているよ」
 まあとソルシェが目を丸くする。
「ブランさまのこと、よろしくお願いいたします」
 スーリヤが森の奥に入っていくのを見つめて、魔女は深く頭を下げた。
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