王子家出中 ―5―

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 がくがくと震える足を必死で押さえつける。
 深呼吸の後に、ブランは飛び出した。
「まま、まてえ!」
 第一声がどもった上にひっくり返ったが、それを恥じている場合ではない。
 突然大声を出して現れたブランに、人攫いの男は一瞬ひるんだ様子で一歩あとずさる。しかしその一瞬の間にブランを丸腰のただの子供だと見とったらしい。表情に油断が生まれる。
 貸そうかとスーリヤから差し出された短剣を、ブランは受け取らなかった。心得のない彼にはかえって危ない。なにより人攫いの仲間が他にいた場合、彼女が身を守る術はあったほうがいい。
「ひ、ひとさらい、そこをうごくな! おまえをつかまえて、警吏につきだしてやる!」
「はあ?」
 緊張で舌がもつれて、何を言っているのか全部伝わらなかったかもしれない。
 男は怪訝な顔をしながらも、じりじりと近づいてくる。
「う、動くなって! こっち来るな!」
 それに合わせてブランも後退をする。相手も魔法を使う可能性は低くない。
「どうした、捕まえるんだろぉ?」
 人攫いの男は挑発を口にして近づいてくる。人入りの袋を片手で担いだまま、腰の剣を抜いた。
「よく見るとかわいい顔してるじゃねえか」
 思わずブランは身を引いた。また震えはじめた足を必死で押さえつける。
 いや、でも、これぐらいでちょうどいいかもしれない。
 間合いをとろうとするブランに対して、男は煽るように積極的に距離を詰めてくる。
 意を決しブランは男に背を向けた。脱兎のごとく、逃げる!
「お、おい待て!」
 背後に男の気配を感じつつ、決して『見失われない』ように注意しながらブランは走る。
 時折立ち止まって振り返り、事前にいくつか拾っておいた小石を男に向かって投げつけた。
 獣道を通り抜け、藪を突っ切り、小川を飛び越え、男がついに立ち止まった。肩で息をしている。人一人担いだままでブランを追い回すのには限界があるだろう。
 ここまでは、思惑通り――いや、そうでもない。インドア派で外を駆け回ることなど滅多に無いブランのほうが、下手すれば男より酸欠でふらふらしている。これは考えが足りなかった。
 男は袋を手放してくれるだろうか。ブランが囮になって日へいさせ、一度袋を手放したところを、後ろからつけてきているスーリヤが中身を救出する作戦なのだが。
 なんとか息を整えながら、再び小石をポケットから取り出して男に投げつけた。ここでブランを諦められては困る。
「ぎゃっ」
 頭に命中し、男がのけぞる。一瞬の間の後、男が肩に担いでいた袋を乱暴に手放した。どしゃりと嫌な音がしたが、それには目もくれない。こめかみの辺りからあごにかけて血が一筋流れている。ブランがやったと思う暇もないまま、血走った目が彼をにらんだ。
「うわああああ!」
 悲鳴をあげて、ブランは再び走り出した。
「待て!」
 身軽になった男はさっきの倍の早さで迫ってくる。
 闇雲に走っていると、ぐっとつま先になにかが引っかかった。木の根だと気づいた瞬間には、もうブランは地面に倒れこんでいた。人攫いはすぐそこまで迫っている。
「捕まえたぞ!」
 立ち上がる暇もなく肩を掴まれ、無理やり体をうつ伏せから仰向けにひっくり返された。月の光に照らされて、刀身がきらりと光る。
「助けてっ!」
 ブランがそう叫ぶなり、ぽすんと軽い爆発と共にひらひらと頭上から花がいくつも舞った。血濡れの人攫いが笑う。ああやっぱり――絶望と共にブランは硬く目を閉じた。
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