王子家出中 ―3―

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 暗い。怖い。
 得体の知れない鳥か獣の鳴き声と、木々の葉擦れ、自分が小枝を踏んだ音に飛び上がる。
 ブランは手綱を引きながらおっかなびっくり水場を探していた。ためしに何度か魔法で光源を出してみようと試みてはみたが、いずれも失敗に終わっている。
「おれのばか……なんでよりにもよって」
 不安げに愛馬を見上げると、彼よりも夜目のきく白い牝馬はその大きな目を細めて鼻面を摺り寄せた。顔を撫でてやる。
「とりあえず、水場を探そう。このまま行けばあるはず、たしか」
 自信がないのは、彼が人の案内で一度来ただけで、詳しく場所を知るわけではないからだ。そもそもこんな遠くまで一人で来たのは初めてだ。何をするにも自信がない。
 怯えながらもしばらく行くと、水音が聞こえてきた。ホッとして駆け寄る。
「よかった、こっちだ!」
 音の方向へ茂みを掻き分け突き進む。
「何者だ!」
 視界が開けたと同時、突如鋭い声が響く。視界の端で閃いたきらりと光る物に、思わずブランは悲鳴を上げた。逃げようとした足がもつれ、尻餅をつく。立ち上がる事も出来ず訳も分からないまま助けてと頭を抱え、きつく目を閉じた。暗闇の中、ぽすん、と頭上で弾けた軽い破裂音に、嗚呼こんな時までもかと惨めな気持ちになる。
 音を最後に、急にあたりが静かになった。川のせせらぎと、背後には愛馬の息遣い、前方には何者かの気配があるが、何事も起こらない。
 恐る恐るブランが薄目を開ける。
 目の前に立っていたのは、長身の女性だった。浅黒い肌に頭の上の方で括った金の髪。服装からして旅人だろうか。どちらにせよ一目でこの国の者ではないと分かる。短剣と、もう片方の手には白い小さな花を持ってぽかんとブランとそれを交互に見つめていた。
 花を見るなり、ブランは頬が赤くなるのを感じた。それはあの破裂音と共に出てしまった物で、魔法が失敗した時や驚いた時に無意識に出てしまう物だ。兄やソルシェに『失敗するたび辺り一面お花畑』と揶揄される、彼にとっては恥ずかしい物だ。
 腕の隙間からブランと視線がかちあって、女が我に返った。少し躊躇った様子を見せてから、短剣を腰紐に挟んでいた鞘に戻した。空いた手をブランに向かって差し出す。
「すまない。獣かと驚いてしまって……大丈夫?」
 取り繕うような笑みにブランもぎこちなく笑い返して、おずおずとその手をとる。立ち上がろうとして、力が入らずにその場に再びへたり込んでしまった。
「腰抜けた……」
 ブランが情けない声を上げると、女は途端に慌てた顔をした。
「えっ、こ、腰が!? 本当に申し訳ない、私に何か出来ることがあるなら」
「いや大丈夫。慣れてるから。ちょっと落ち着いたら治るから」
「慣れるものなの!?」
 女の突っ込みが暗闇に響く中、ブランの背後で愛馬は悠々と草を食べていた。


 宣言どおり、ブランの足腰は女がそばで火を起こす間に回復した。火起こしの手つきはやはり旅慣れた様子で、尋ねてみると砂の国から旅立ち、数カ国を転々として来たと答えた。
「砂の国……」
 家出の切欠となった見合いを思い出した。ソルシェぐらいは見合いではなく自分の心配をしてくれていないだろうかという弱気な気持ちを、必死に頭から追い出した。
 彼女はスーリヤと名乗った。
「君はこのあたりの者なの?」
「このあたりというか……まあ家はもうちょっと遠いけど」
 言葉を濁した。素性の知れない者に王族だと知れると後々面倒なことになる。それにブランは今のところはもう二度と家に返らず、王族をやめる心積もりなのだ。
「こんな夜遅くにこんな人気のないところで何を?」
「え、それは、その」
 とっさに誤魔化しの言葉が思いつかず視線が泳ぐ。話題を変えようかと逡巡するも、炎に照らされて燃えるようなスーリヤのまっすぐな瞳で居抜かれて何も思いつかない。
「い……家出……」
 今にも消え入りそうな声に、スーリヤはきょとんとしたあと、ぷっと吹き出した。
「なるほど、家出か」
「こっちは真剣なのに……!」
「いやすまない」
 一度笑い出してしまうと収まりがつかないのか、スーリヤはくすくすと笑いながらもう何度目ともしれない謝罪を口にする。そしてふと心配そうに眉を潜めた。
「しかしこんな遅くまで帰らなくて、ご両親は心配していないの?」
「親はもういない。アニキはいるけど……多分心配してない。というかアニキと喧嘩したから家出したんだし」
 膝を抱えふて腐れた様子でそっぽを向くと、スーリヤはハッとしてうつむいた。
「それは……すまないことを聞いた」
「いいよ別に。スーリヤ、さっきから謝りっぱなし」
 ブランが笑って見せれば、スーリヤも確かにと笑い返す。ひとしきり笑いあって、スーリヤは手元の花に視線を落とした。彼女の手のひらより二周りほど小さい花で、白い花びらの先だけがほんのりと桃色に色づいている。
「森の国の民は王宮の魔女ソルシェの元、みなが魔法を使えると聞いてはいたが、本当だったのだな」
 スーリヤは手の中の小さな花をくるくると回しながら、ため息交じりに呟いた。聞きなれた名にブランはなんとなく嬉しくなる。
「ソルシェを知ってるの?」
「勿論。この国の魔女のうわさは遠く砂の国まで届いている。とても出来た方だと」
「でき……た?」
 思わず怪訝な顔をしてしまった。毎日城の中での彼女を見ていると、とてもそうとは思えない。突然現れては王やブラン、彼女の配下のメイドたちを魔法で驚かせたりからかったりしている姿ばかり頭に浮かぶ。
 スーリヤは花に夢中で、そんなブランの様子には気づいていない。
「こんなきれいなものが無から生み出されるなんて、魔法とは素晴らしい」
「……べ、別に、普通だよ」
 感心しきっているスーリヤに、その花は出したくて出した物ではないとは言い出しにくかった。しかし教本がなければほぼ魔法を失敗するブランにとって、ここまで褒めちぎられるのは初めてに等しい。例えそれが失敗であっても、自然と口元が緩んでしまう。
「砂の国は違うの?」
「ああ。そもそも砂の国には魔女がいない。大昔は居たそうだが……その魔女は魔法を人に教えるようなことをしなかったそうだよ。だから今は誰も使えない」
 スーリヤは花を明かりに透かしてみたり匂いをかいだりして嬉しそうにしている。
「いくつかの国を見てきたけど、この国の様に誰しもが使える国もそういないと思う。せめて砂の国にも魔女がいたならば、今よりもっと国は栄えていただろうに……」
 スーリヤが深いため息を吐き出した。
 森の国を出たことがない為に外のことをほとんど伝聞でしか知らないブランだが、自国のことなら多少の自信がある。
 この国でも魔法が広まったのはここ二百年ぐらいの話だ。人々の生活は格段に楽になったという。一日に十しか出来なかった仕事が倍、いやそれ以上に出来るようになったのだから、当然だろう。だから、そうでない国が森の国と同じ暮らしをするためには倍以上の労力がいるのだと、想像に難くない。
 先ほどの火おこし一つだってそうだ。いくらスーリヤが手馴れていたとはいえ、ブランが本さえ忘れてさえいなければ、あるいは本なしで魔法が使えていたら、手間は一瞬で済んだ。
 逆に言えば、それだけ森の国は魔法に頼り切っているということでもある。
「なら、この花、せめてもらってもいい?」
 そんなことをぼんやりと考えていると、スーリヤが顔を上げた。
「そんなもの幾らでもいいけど……なんで?」
「砂の国の者には花が珍しいんだよ」
 ふわりと笑ったスーリヤに、はあとため息のような相槌が出た。
「じゃあ」
 彼女の手の中の花をそっとつまみあげる。不思議そうな顔をしたスーリヤの、耳の上あたりの髪に挿した。
 焚き火の炎に照らされて、白い花が赤く染まったように見えた。
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