Wandering fish

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7.


「先に言っておく。俺は姫宮博士の命を最優先にする。自分の身は自分で守れ」
 真島と平山の方を一切見ようともせず、黒滝はそう言い切った。真島はそれも当然だろうと黙ったが、平山の方はムッとした表情を隠そうともしなかった。
「……そんなに自分の女が大事なんすかね。まあ別に七光に守ってもらわなくても大丈夫っすよ」
 小声ではあったが、平山の声はおそらく黒滝に届いただろう。だが、彼は一切の反応を示さなかった。本人がその姿勢ならば表立って叱るのも憚れる気がして、真島は平山をにらんで首を横に振るだけに留める。
 重苦しい空気の中、先頭を歩く黒滝におとなしくついていくが、姫宮の姿を見なかったかと尋ねた彼に、アテはあるのだろうか。
 そう真島が思った刹那、足元に異変を感じた。
「うわっ」
 平山が片足を上げて悲鳴のような声を上げた。廊下が水浸しになっており、前方から水が流れ込んでいるのか、進むにつれ徐々に水嵩が増えていっている。
「浸水?」
 いや、バブルスから攻撃を受けたのは、今三人がいる場所よりも階下のはずだ。防水扉がしめられてしまえば、それ以上の浸水はまずあり得ない。再び破られたとなれば艦内放送などで知らせるだろうし、その様子はない。
 黒滝は構うことなくそのまま突き進んでいる。
「シャークシステム起動していいすかね」
「いいけど……狭いからたぶん動き続けてられなくて沈むと思う」
 水が足首ほどの深さになったころに平山が尋ねたが、真島は素っ気なくそう返す。沈む、というよりはまだ浸かるだったなと言ってから思ったが、口にはしなかった。
 と、無言のまま進んでいた黒滝が不意に立ち止まった。
「来る」
 短く言うと同時、弓を構えた。
 黒い小さな影が前方から水面を滑るように走ってくる。それも一つや二つではない。
「バブルス!」
 叫んだ真島が黒滝の前へ躍り出た。腰の刀を引き抜いて、飛び掛かってきた一匹目のバブルスを切り落とす。平山もそれに続いた。
 艦内は戦闘を行うことを前提として作られてはいない。銃の使用は流れ弾でむき出しのまま廊下に配置されている機器やケーブルを破壊する可能性がある。それは弓矢でも同じだろう。見たところ、黒滝の武器は弓だけのようで、矢の数にも限りがある。ならばなるべく戦わせるべきではない。
 現れた小型のバブルスは、多少の差異があれど、すべて小魚の形をしていた。大きなヒレが刃のように鋭く、また、大きく開けた口の中にびっしりと歯が生えているのが見える。飛び掛かってくるのを躱すよりも切り落とした方が安全だ。
「こんくらいの雑魚、わけないっす!」
 平山がバブルスを切り倒しながらずんずんと先に進んでいく。
「おい!」
 前に出すぎるな、そう言おうとした瞬間に、彼の後ろで小さな卵泡が弾けるのが見えた。
「平山後ろ!」
「え――」
 飛び出した小型バブルスが平山の背中から襲い掛かる。真島の声に平山が振り向くが、前方からも敵が来ている。挟み撃ちだ。
――真島では間に合わない。
 耳元で風切音がした。
 それを黒滝が放った矢の飛んだ音だと認識したときはすでに、平山を背後から襲ったバブルスは貫かれ、床に縫いとめられていた。それがぐずぐずと音を立てて泡に還るのを待たず、続けざまに矢が飛び、次々と敵を殲滅していく。
「調子に乗ってあんまり突出するんじゃねぇ。お前ごとブチ抜くぞ」
 床に突き刺さった矢を引き抜きながら、黒滝が鋭い眼光で平山を睨む。
 それまでの雰囲気や口調とは明らかに違う彼に、平山は口を開けた間抜けな顔で呆然と立ち尽くしていたかと思えば、改まった顔で敬礼をして見せた。
「い、一生ついていきます!」
 黒滝はふんと鼻を鳴らして「行くぞ」と言い、それについては無視した。
「ところで、あれ、なんすかね」
 無視されたことなど気にならないらしい平山が、前方を指す。
「あれ、って」
 先ほどよりは若干発生が穏やかになったバブルスを排除しつつ、ざぶざぶと水しぶきをあげて三人が進むと、そこには階下へと続く階段がある。
 丸太のような太いケーブルが階段を渡り、彼らの目指していた艦首へ続いていた。
――いや、真島がケーブルと思ったそれは、ケーブルなどではなかった。黒い鱗に覆われて、少しずつだがずるずると動いている。そしてそこからにじみ出るように水が流れいていた。あたり一面浸水したように水が流れていたのは、どうやらこれが原因だったようだ。
「まさか」
 呆然とした黒滝が呟いた。
「バブルスっすかね。切ります?」
 上官二人の返答を待たずに、平山が剣を振り上げる。
「待て!」
 その腕を黒滝が掴んだ。蒼白な顔に平山が目を見開く。
「触るな。そいつだ。そいつが最初の『揺れ』のバブルスだ」
――百メートルを超える卵泡から生まれ出た怪物。
「最初の揺れ?」
 本当に平山は申告通りの時点から立ち聞きしたのだろう、その説明では理解出来ていないような顔をしたが、自身の腕を掴む黒滝の手が小刻みに震えていることに気が付いた。
「切っては駄目だ。こいつの尾は大量の海水を運んでいるホースみたいなものだ。切れば海水があふれ出す」
「泡にならないんすか?」
「倒せば、なる。が、こいつにとっての尾はトカゲのしっぽ程度のものだ。本体を切らなければ意味がない」
 平山はゆっくりと剣を下した。
「第一第二小隊から応援を呼んだ方がいいのでは」
 真島の進言にややあって、「そうだな」と黒滝が呟く。
「伍長、月本中隊長につなぎを頼む」
「了解したっす! マッハで行って戻ってくるっす」
「気をつけろ」
 二人に敬礼し、平山が踵を返した。
「これじゃ、一年前の再現だ……!」
 黒滝が呻くように言った。そうしながら、足元に流れてきたビニール袋に気が付いて、拾い上げる。袋の端には赤い液体がわずかに残っていた。
 それが何なのか、何のためのものなのか理解した黒滝は驚いたように目を見開くと、それをすぐに投げ捨て、艦首に向かって足を踏み出す。
「行くぞ」
「月本さんたちを待った方が」
「駄目だ。……それでは間に合わないかもしれない」
 そう言った黒滝の声はひどく掠れて、情けがない音をしていた。弓懸(ゆがけ)を装着したままの不自由そうな右手で胸元を握りこむ。
「あの時は間に合わなかった……。俺がたどり着いた時には、もう、あいつは」
――敵と刺し違えて、虫の息だった。
 唇をかみしめ、ぎゅっと両目を閉じる。
「司令……」
「俺がもう少し早ければ……みんな俺に頼むと言って死んでいったのに!」
 俯いて肩を震わせる黒滝に、真島はかける言葉が見つからなかった。
 それでもゆっくり彼の肩に手をやって、その背中を軽く押してやる。
「なら、行きましょう。まだ、なにも分からない」


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