Wandering fish

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6.


 艦尾にある作戦室は大勢の回遊隊員が慌ただしく出入りし、緊迫した空気に満ちていた。
「月本さん!」
 海図台の前に立つ月本の元へ駆け寄ると、険しそうな顔を上げた。
「真島か」
「なにが起きたんですか」
「分からん。分からんが、海面に卵泡が大量発生した挙句、一斉に孵化しやがった」
 月本はそう言って舌打ちし、ハッチから引き揚げられた負傷者が医務室に担ぎ込まれていくのを横目で見た。
「準備のできた小隊から援護に行かせている。第二も準備しろ」
「了」
「いや待て!」
 頷いた真島の声を、作戦室の入り口から黒滝が遮った。
「逆だ。総員引き揚げさせろ。船上から砲撃メインで排除して、早急にこの場から離れる」
 真島の周囲で同じように月本の指示を待っていた他の小隊長たちが、「そんな」と動揺した声を上げた。それはまるで敗走だと。
 大股で作戦室に入ってきた黒滝は、真島たちのものとは少し違った見慣れない装備を身に着けていた。黒鬼部隊のものだろうか。真島たちのシャークシステムのメイン装置はリュックのように背負うのが一般的なのだが、黒滝のそれは腰から脇腹のあたりをぐるりと囲うように配置して固定してある。背負った矢筒に干渉しないように作られているようだった。
「矢……」
 周囲の動揺の中、真島はやはりと口の中で呟いた。
――あの時助けてくれたのは、黒滝だった。
「通信士! 第四・第五小隊に撤退を伝えてくれ」
 月本が壁の装置の前に座る男に指示をだしたが、ヘッドフォンに手を当てたまま、通信士の男は頭を横に振る。
「ダメです! 先ほどからセイレーンの唄が強く、繋がりません」
 セイレーンの唄は、バブルスから発せられているという妨害電波のことだ。しかし、護衛団等、一部の公的団体が使用する無線はそれに干渉されない帯域を使用しているはずだ。
「ありえねぇだろ」
 月本がそう吐き捨てたとき、爆音と共に再び船体が大きく揺れた。揺れは先ほどよりも大きく、室内は悲鳴であふれかえる。
 海図台にしがみついて頭を下げ、衝撃を耐えた即座に黒滝が、即座に通信機にかみつくように叫ぶ。
「ブリッジ! 何が起きた!」
『――左舷にバブルスからの攻撃を受けたようです。浸水してます』
 永遠にも感じる一瞬の沈黙の後、艦橋にある機関操舵室からの通信が返ってきた。
「ダメコンは」
 黒滝は一瞬息をのんだが、即座に冷静に被害の処置を尋ねた。
『すでに防水扉の閉鎖作業中です。ですが浸水域にバブルスの侵入と卵泡の発生は避けられません。防水扉が破られる可能性があります』
 その報告に、彼は目を閉じ、深く息を吸って吐き出した。月本に振り返る。
「第六から第三までは第四部隊の退避援護。第一第二は合同で艦内の敵を排除する。――で、いいだろうか、月本中隊長?」
「え、ええ」
 月本が驚いた様子ではありつつも頷き、各小隊長に指示を振る。
 彼らは指示通り隊員を引き連れてハッチから海へと飛び出していくが、顔に浮かぶ恐怖や絶望感が隠せていない。
 作戦室内に残された真島と月本、そして黒滝は海図の上に広げた艦内見取り図を囲み、浸水した部分とバブルスの発生しうる場所を確認する。
「姫宮博士を見なかったか」
 途中何度も作戦室入口をちらちらと見ていた黒滝が、口元を一度引き結び、決意したように尋ねる。
「いえ?」
 月本は首を横に振り、直前まで黒滝と一緒にいた真島はもちろん知る由もない。
 見取り図の一点をじっと睨みつけるようした後、彼は上目使いで月本を見上げた。
「二人……いや、一人、俺に貸してくれないか」
「……姫宮博士を探すため、ですか?」
 不審そうな月本に、黒滝は頷く。
「これは命令じゃない。今人員を割く余裕をないのなら、そう言ってくれてかまわない。貴方の判断でいい」
 月本もまた見取り図をにらんだ後、しばし考え込む様子を見せた。
「――真島、行け」
「えっ」
 まさか自分に白羽の矢が立つとは思っても居なかった真島は、思わず声を上げた。
「いや、真島は……」
「うちのエースじゃ不満でありますか」
 拒否を口にしようと思ったのであろう黒滝の言葉を遮り、月本は不愉快そうに鼻を鳴らした。
「お貸しするのは結構ですが、正当な理由が必要です。あなたは司令で、この部隊のトップに立つ者です。この非常時に指揮を離れることの重要さを理解しておられますか?」
 黒滝は真島を一瞥した。なんの感情も込めていないような、ただ見ただけ、そんな視線だ。そして深呼吸、いや、ため息をついた。
「あの最初の揺れは、付近で超大型の卵泡が孵化した時の衝撃によるものだ。姫宮博士の見立てでは、おそらく直径百メートルはこえるだろうと」
 淡々とした言葉は、真島が考えていた『正当な理由』とは、全く違うものだった。
「そんな……そこまで巨大で、回遊隊や艦橋が確認できなかったはずが」
「発生から孵化まではほぼ一瞬だ。艦の周囲で大量の卵泡が孵化したのは、その衝撃が誘発したものだろう」
「根拠は、あるのですか」
 何もかも知っているような口ぶりに、月本が動揺を押し隠し切れてない声で尋ねた。黒滝の視線が揺らぎ、俯く。
「――一年前、にもまったく同じことが起こった。俺と姫宮博士はその経験がある」
「一年前、というと大湊にいたころですか」
 黒滝はそうだ、と頷いた。
「それで、その時は?」
 どうなったのか、尋ねられた黒滝はすぐに口を開くも、言葉の方がうまく紡げないのか、少しの間を要した。
「――俺と博士を除いて、全滅した。侵入された際にショートした機器系統から火災が発生し、艦は轟沈だ」
 ハッと二人が息を飲んだ。
 真島は姫宮の顔や体にある火傷を想う。それほど昔にできたものではないようだった。つまり、一年前の。
「何があったかと聞いたな。これが聞きたかったんだろ、満足か」
 黒滝は吐き捨てるように真島に言って、背を向けた。
「同じ過ちを繰り返すわけにはいかない。そのためには、博士の力が必要だ」
 一人でも行くつもりなのか。慌てて真島がそのあとを追う。
 入口に差し掛かった時、廊下の壁に張り付くように立っていた平山に気が付いた。
「あ」
 ばつの悪そうな顔をして逃げようとしたが、真島が襟首を掴んで「お前いつから!」と叫ぶ。
「いや、その! 今さっきっすよ! 『博士の力が必要だ』からっす! ほかの隊はとっくに出たのにうちの小隊だけ遅いから!」
 そこでやっと月本が我に返った。渋い顔をして平山の頭を小突く。
「司令、こいつも連れていってください。真島と違って戦力になるかは分かりませんが、足は速いです。無線が使えないので第一・第二小隊との伝達にしてください」
「えっ、えっ」
 事態を理解していないのか、襟首をつかまれたまま平山が困惑した顔で真島と黒滝の顔を見比べる。真島が手を放すと、ずるりとそのまま床に落ちて尻もちをついた。
 黒滝はため息を吐きだした。
「わかった、ありがたく使わせてもらう。ついて来い、伍長」
 踵を返して先に歩き出した黒滝を追おうとする真島に、月本が作戦室の中からおいと呼び止めた。
「お前の部下は俺が預かった。返して欲しくばさっさと帰ってこい。いいな」
「なんですか、その変な脅し」
 真島は薄く笑ってから、「よろしくお願いします」と頭を下げた。


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