Wandering fish

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3.


「第二小隊、着水!」
 ザッと真島の足元で白波が割れる。
――静かな夜だ。
 艦尾のハッチから出撃し、海面を滑るように進む。頭上はるか数百メートルで燃えている照明弾の明かりに照らされながら、真島は自分のポジションである右舷前方側へと向かう。
 道中ぷくんと浮かんだ泡を、手にした細い刀で突き刺して割った。
 百年前現れ、次々と船を襲い沈めていった今は『海泡生命体バブルス』と呼ばれる異形の生物は、必ず海面に浮かぶ黒い泡の中から発生する。卵泡と名付けられた泡の中で何が起こっているのかは百年経っても定かではないが、これの大きさが最大に達するまでに人の手で割ってしまえば、バブルスは生まれない。卵泡の最大サイズと成長速度は時によりけりで、三秒かけて直径一メートルほどの大きさになることもあれば、同じ時間で十メートルまで達して破裂したという報告もある。また、現れるバブルスの姿は様々で、卵泡が大きければ大きいほど、より脅威となる生物が生まれるとされている。
 バブルスから船を守るため、ひいては貿易のためのシーレーンを守るため、各国の技術者が協力し、人類はついに海の上を走る力を手に入れる。
 その設計上、立ち止まることは不可能に近く、常に海上を動き続けていなければ沈んでしまうことから、その装備は同じく能動的に止まることができない鮫から名を取ってシャークシステム、と人々は呼んだ。これを用いる部隊を回遊隊と呼び、彼らが船の周囲を巡回し、卵泡を割ることで以前より航路の安全はぐっと高まった。
「保川さん、交代です」
 円を描くように海上を進んでいた第三小隊長に併走し、真島はそう声をかけた。ヘルメットにインカムがついているが、ほとんど肉声で届けられただろう言葉に、保川が親指を上げた。
「あとは頼むぞ、エース」
 からかう様に肩を叩かれて、苦笑いを返した。引き揚げていく第三小隊を送り、絶えることなく発生する卵泡を突き割り、遠距離であれば銃で撃ち割る作業に入る。なにせ、三倍働くつもりでいなければならない。
 バブルスの発生に昼も夜もない。昼間は船上からのフォロー射撃が入るが、夜間の射撃は回遊隊にも危険が及ぶため行われない。つまり、一番闇が濃いこの時間を任される第二小隊は、回遊隊の中でも実力のある者が選定される、と言われているのだ。
 回遊隊は任務や部隊によって多少前後するものの、概ね百五十名ほどで構成される。これを中隊とし、さらに六つの小隊、そこからまたさらに四つの班に分かれる。
 つまり真島は約百五十名の中隊の中でも、中隊長である月本の次には力がなければならないはずだが、果たして本当に、そんな実力があると胸を張れるだろうか。
 かつて肩を並べた黒滝は、今や部隊のトップに立ち、階級も二つ上だ。
 誇らしいと思う反面、悔しいとも思う。
「エース、か」
 真島の自嘲的な小さな呟きは、ぼん、と甲高い破裂音にかき消された。
「小隊長!」
 ジジジと痺れるような音を出して上空で燃えたのは、照明弾とはまた違う信号弾だ。赤いそれは、卵泡の孵化を知らせている。
「村井、こちらは任せる! 堀内は俺とこい!」
「はい!」
「了解!」
 周囲で同じく駆除作業を行っていた部下に指示をだし、真島は背負ったシャークシステムの出力を最大まで上げた。信号弾を放った位置は右舷後方。
 卵泡が孵化して起こる戦闘は班単位で取り組むことになっているが、バブルスの大きさによっては応援を呼ばざるを得ないのが現状だ。
 右舷後方に出現したバブルスは、全長三メートルを超えているであろう大型で、平たい形をしていた。エイに似ている、らしいのだが、真島を始め現代の人間はほとんどがエイそのものを図鑑などでしか見たことがなく、大きな傘が開いた状態で海に浮かんでいると表現する方がしっくりとくる。
「くっ、後退!」
 右舷後方を守っていた班員である平山が、銃を撃ちながら仲間に叫ぶと同時、エイ型バブルスがしぶきをあげて飛び上がった。平たい体を縦にひねるようにして、回転しながら水弾を乱射し、その上こちらから撃った弾丸を弾き返す。
「平山、援護しろ!」
 低い体勢で蛇行し鋭く放たれた水弾を躱しながら、腰の剣を引き抜く。真島の腰の剣は二振あり、一つは卵泡を刺突するための細いレイピアだが、もう一振は装甲の厚いバブルスに対抗するためのものだ。
 さばんとバブルスが再び海面に落ちる。飛び上がることはできるが、飛行するわけではない。バブルスたちは海と深い関係にあるらしく、海水から長時間離れていることができない。一見同じ水であっても河川には現れないほどだ。バブルスの研究が百年経ってもあまり進んでいない原因の一つが、ここにある。
 平山たちの雨のような銃弾を受け、再びバブルスが飛び上がろうとする。傘を閉じるかのように中心を高く上げて窄まっていく姿を見て、一気に距離を詰める。
――このタイプのバブルスの弱点は、海面と接する、裏側。
 故に、攻撃するならば飛び上がった時しかない。
 空中でバブルスが翻るのと同時、前にジャンプした真島は斜め下から両手で剣を振り上げた。体の縁と裏側にびっしりとついた牙と剣が打つかり火花が散る。押し戻されそうになるのを、背中の装備の出力が支えた。
「っ、らぁ!」
 剣を振りぬき、再び海上に着水する。Uターンして見えたバブルスは、真っ二つになってぐずぐずと泡に還っていくところだった。
「小隊長後ろ!」
 勝利にほっとしたのもつかの間、バチンという破裂音と共に何かが左腕に巻きついた。――タコの足、そう思った瞬間にバランスを崩し海面に叩きつけられる。
「小隊長!」
「う、あああああ!」
 海中に引きずり込まれるかと思ったが、次は海面を引きずられ、さらに持ち上げられた。ブーツに取りついているモーターが空回りしている音が聞こえる。遠くから短機関銃の銃声もしているが、当たっていないのか、状況は全く変わらない。
 触手を引きはがそうともがくが、逃がさぬとばかりに締め付けがきつくなる。タコの足(と言ってもこれも真島は本物を見たことがない)のように見えても、ついているのは吸盤ではない、小さな歯だ。食い込み、鮮血が腕を伝って首元を濡らす。
 足元にぽっかりと穴が開いた。いや、バブルスの、口。
――食われる。
 意識したと同時に、さまざまな場面が脳裏に浮かぶ。これが走馬灯なのか。こんな時に思い出すのは、再会したばかりだからか、黒滝とのことばかりだ。
 死を覚悟した刹那、空気を切り裂く音がした。
 腕をつかんでいた足が破裂し、海水となって体中に降り注ぐ。支えがなくなり、背中から海面に落ちた。今度こそ、沈む。
「大丈夫すか!」
 ライフジャケットを着用しているため、完全に沈むことは免れた。青い顔をした平山たちが近づいてきて、真島を引き上げる。
「大丈夫、だ。なんとか」
 シャークシステムを再起動させ、ふらついていたが何とか自分の足で進むことができた。掴まれた左腕を確認する。幸い、小さな歯だった為か傷は多いが深くはない。
「すまない……いや、ありがとう」
 まだ不安なのか体を支えながら併走する平山に礼を言う。平山は泣きそうな顔で、「ダメかと思ったす」と呟いた。真島も「俺もだ」と力なく笑う。
「でも、誰が」
 真島をつかんだ足を切り裂いたのは銃弾ではなく、矢だった。それも二射だ。最初のそれはバブルスの足を射抜き、二射目は真島の足元にあった本体を貫いた。
 弓を使う隊員はいない。真島の知る限り。
「矢、っすか? いや、わかんないす。もう必死で……誰かの弾が当たったのかと、思、ってぇ、たっ、す」
 彼はもう完全に泣いていた。平山の肩を叩き、「もう大丈夫だから泣くな」と慰め、「だからこれぐらいで泣くなよ情けない」と叱咤もする。
「すんません」
 嗚咽混じりの声を聴きながら、真島は矢が飛んできたと思われる方向、艦艇を見上げた。
 まさかな、と思うも、脳裏に浮かんだ彼の姿を消すことはできなかった。


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