Wandering fish

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2.


「はあ」
「なんすかため息なんかついてー。まだ引きずってるんすか」
 装備の確認をする合間に無意識に漏れた真島の溜息を、目ざとく平山がからかう。
「任務中っすよ。しっかりしてくださいよ」
 第二小隊出撃準備室では、二人以外の隊員たちも交代の時間を控えて慌ただしい空気が流れている。
 海上護衛団の仕事は主に二つある。一つは近海の監視とパトロール、もう一つは艦艇での輸送の護衛だ。今回は両者を兼ねており、離島への物資輸送及び周辺海域のパトロールが真島たちに課せられた任務だ。
 すでに離島での物資の受け渡しは済んでおり、艦艇は大きく迂回しながら往路にかけた時間の倍をかけて港に戻ることになっている。
「自分にはよくわかんねっすけど、横須賀の学校出た同期なんて何百もいるらしいじゃないっすか。一人一人の顔なんて覚えてなくてもしゃーないっすよ。小隊長だって、全員覚えてるわけじゃないんでしょう?」
「――お前に慰められるなんて俺も落ちたもんだ」
「ひどっ!」
 小銃の弾数と安全装置の確認をすませ、時計を確認した。装備の終わっていない者を急かしながら、真島は頭の半分で、「そんなはずはない」と思案を巡らす。
 全寮制で、五人部屋ではあったが真島と黒滝はずっと同室だったのだ。苦しい時もつらい時も共に乗り越えてきたはずだ。
 それに――。
 無意識に口元に手が動いた。頭の奥がちりちりと焼けるような気がする。長い時間海風に晒されてカサついた、黒滝の唇の感触を思い出してしまう。たった一度だけの、一瞬の内に過ぎてしまった出来事なのに痛烈に脳裏に焼付く光景。
 そう、それは卒業の数日前の出来事だった。
 気の迷いだったのか事故だったのか――あるいは本気だったのか、真島の中でも答えが出ないまま、黒滝からもなんの反応もなく卒業の日を迎え、黒滝は黙って彼の前から姿を消した。退寮の日の朝の、がらんとした黒滝のスペースを思い出すと、胸に言い様のない痛みが差すのだ。
 いつかまた再び会えることを願ってはいたが、まさか上官として現れるとは思っていなかった。それもあんな、暗い表情をした黒滝と。
「そういや、司令と姫宮博士ってどういう関係なんすかね」
 装備を終えた平山が、いつの間にか真島の背後に立っていた。
「どういう関係って?」
「なんか怪しくないっすか? 総務班の咲喜ちゃんが目撃したらしいんすけど、人けのない場所で司令は姫宮博士のこと『姫』って呼んでて、姫宮博士は『孝秋』呼びだったらしいっすよ。怪しいじゃないすか。いまどき姫って!」
「お前またそういうどうでもいいことだけ耳が早いな……というか名字から取ってるんだろ、『姫』は」
 あきれて言うと、平山は何故か胸を張る。
「どうでもよくないっすよー! ゴシップは日々の癒しっす! そしてゴシップはスピードが命!」
「正確さ。も付け加えておけ」
 彼にはすでに前科がいくつもある。針小棒大な上、穿った見方ばかりするので、それさえなければ――というのが隊内での平山の評価だ。
「そんなこと言ってぇ、小隊長だって久々に会った同期のこと聞きたいんじゃないすかぁ?」
 口元を押さえて言うが、ニヤニヤと楽しげな笑みは抑えきれていない。
――一瞬、悩んだ。
「……事実だけなら」
「もちろん事実だけ話すっす!」
 敬礼と共に、水を得た魚のように平山の口が滑らかに動き出す。
「二人とも大湊の基地から横須賀に異動になったみたいっす。目撃されるときは大概一緒っす。いまんとこ十五人に聞き込みして十五人全員が一緒にいるとこしか見てないと証言してるっす」
 情報提供した十五人を聞き出して、二度と馬鹿な話を平山なんかに吹き込まないよう並べて殴り倒したい気分になったが、とりあえずはまだ事実の部類の話なので黙っておく。
 言われてみれば確かにそうだった。機会があれば話をしたいと真島も思っているのだが、黒滝は常に姫宮と行動を共にして、決して一人にはならないようだった。
 もっとも、この部隊の司令官とは艦長と同義であり、たとえ姫宮と別行動でも、真島が話しかける隙などあるはずもなく、職務に追われているのだが。
「ちなみに姫宮ゆき博士は、あのよくテレビに出てる海洋研究家の姫宮鬼蔵の一人娘っす」
 姫宮鬼蔵、その名には覚えがあった。つい最近も食堂のテレビ画面の中で見たばかりだ。海洋研究家の姫宮、と言えば誰もが少なくとも二人か三人は思い当たるほど、姫宮一族はその方面の研究者を多く輩出している。鬼蔵はその中でもメディア露出が多く、知名度はトップだろう。実際、姫宮一族の本家筋で、家長でもあるらしいが。
「どーも司令があの歳で少佐になれたのはそっちの姫宮博士が一枚かんでるんじゃないすかね。なんでもわざわざ二人をよろしく頼む的な手紙が届いたとかなんとか。もうこりゃ結婚する前に箔つけようって算段じゃないすか」
「……おい」
――主観が混ざってきた。
 真島が止めようとする前に、出撃準備室の扉が音もなく開いた。しんと周囲から会話が途切れたことに、扉に背を向けている平山は気づかない。
「七光り×七光りで四十九光っすよ! ビッカビッカでもーうちの艦、照明弾いらないんじゃないすかね!」
「平山伍長」
 静かな声と共に肩が掴まれ、ようやく平山が事態を察して硬直する。ぎこちなく振り向き、能面のような顔の月本を見た。
「さ、サーセンしたっ!」
 おそらく何が起こったのか把握するのに要したのであろう一瞬の間をおいて、勢いよく腰を九十度以上曲げ、平山が深々と頭を下げた。
 それを見下ろす月本の表情は一切変わらない。
「艦内のトップである司令官に対していい度胸だ。それを讃えて甲板五十週を言い渡してやる」
「むむむ、無理っす! 今から交代で――」
「終わってからでいい。ああ、他のみんなの二倍働いたあとでいいぞ」
「に、二倍!? それは時間っすか? 戦果っすか!?」
 顔の前に突き出された裏ピースに、平山の顔が青ざめた。
「時間」
「沈んじゃうすよ!」
「なら戦果でもいい、兎に角倍働け。――言わせていたお前も同罪だぞ真島。自分の立場を考えろ。お前は百週走れ。三倍働け」
「……すみません」
 反論の余地もなく真島も頭を下げた。
「気になることがあるなら直接聞いてみろ、同期なんだろ」
「同期、ですけど……」
 思わず浮かべた苦笑いに、月本が眉をひそめる。はあとため息をついたのちに、左手で頭を掻いた。
「――俺は昔、ひと月だけ鬼黒部隊にいた」
 突然の告白に、ぽかんと真島は自分よりすこしだけ高い位置にある月本の顔を見上げた。
「鬼、黒?」
「その頃はそう呼んでいたんだ! ――ともかく、訓練は厳しく、正直ついていくのもギリギリだった。潰れかけたのを見抜かれたんだろう、一か月で異動の辞令が出たときは悔しさよりも喜びの方が強かった」
 そんな、と呟いたのは、平山の方だった。真島の見る限り、平山は月本に対して彼なりの最大限の尊敬と敬意を払っている。理由は階級と人柄だけではない。月本は優秀な男だ。
「黒滝少佐はその鬼黒の部隊にずっといた男だ。少なくとも俺よりは根性がある。――分かったら二度と馬鹿なことは口にするな。第三小隊の連中が待ってる。さっさと出ろ」
「……おす」
 項垂れて平山が準備室を出ていく。ぞろぞろと他の隊員たちも続いた。
 小隊長である真島が遅れるわけにはいかないと、月本に軽く頭を下げて出て行こうとしたが、「おい」と引き留められた。
「今夜は沸きが少ないが波が高い。これから荒れるかもしれん。――お前は引け目を感じてるのかもしれないが、お前もその歳じゃ優秀なほうだ。気後れすんなよ」
「……はい」
 じゃ、行って来い。やっと薄く笑った月本に再び頭を下げると、真島は準備室を出た。


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