つぎはぎアンドロイドと俺の七日間・6

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 五日目。
 起きたらさすがにアサヒの姿はなかった。代わりにタイミングを見計らったかのように、朝食を用意する音が台所の方から聞こえ始める。
「おはよう静真」
「ん、おはよ」
顔を洗って食卓につくと、豆腐とワカメの味噌汁に白菜のおひたし、焼いた鮭が俺を待っていた。アサヒはいつものようにオヤジの席へ座る。
「夜中の話の続きだけど」
 両手を合わせてから俺が言うと、アサヒは迷惑そうな顔をした。
「記憶動画見せろよ。解析すれば、どこで事故ったかわかるだろ」
「必要ないっての。というか、わざわざ解析しなくても、蜜花の家の住所なんて空で言えるわ」
 俺は思わず、熱いままの豆腐をごくんと飲み込んでしまった。
「あぐっ……はあ!?」
「オイ大丈夫かよ」
 むせる俺に、アサヒは上目使いで麦茶を差し出した。受け取って飲み干してから、俺はアサヒを睨み付ける。
「なんで言わない!」
「聞かれなかったことはわざわざ言わないだろ」
「でもお前、二人がどうなったか、って心配してたじゃないか」
 アサヒはため息の真似をして見せる。
 わずかに視線が揺れた。
「少しよく考えれば、二人がどうなったかなんて考えるまでもない」
「な」
 そりゃあ俺だって、最悪の結末を思わなかったわけじゃない。
「行ってみないとわかんないだろ」
「……察しが悪いな。分かりたくないんだよ。経緯はどうであれ、オレは中古で売られてたんだろ。蜜花はもうオレが必要じゃないんだ」
 不貞腐れたアサヒの顔を、俺はじっと睨みつける。
――ずっと、気になってたことがある。
 あえて、尋ねなかったことの一つだ。
「ユウヒは蜜花さんのこと『お母さん』って呼んでたよな」
 唐突な言葉に、アサヒは訝しげに眉を顰める。
「なんでお前は『蜜花』って呼び捨てにするんだ?」
 俺相手に敬語でないのは、俺が主人と認めていないからだろうで、まあともかく、少なくともオヤジには使っていたから、全くできないわけじゃないはずだ。
「お前、もしかしてさ」
 続きをなんといえば正しく伝わるのか、咄嗟に思いつかなくて一度俺は口をつぐむ。アサヒは何も言い返してこなかった。
 荒唐無稽な話だ。俺の妄想だ。
――ユウヒを子供のように可愛がっていた。
 自分を含めていなかったのは、忘れていたわけではなくて。
 そうと認めたくなかったのではないか。
「蜜花さんのこと、好きだったのか」
 尋ねた俺を、アサヒは瞬きもせずにまっすぐ見た。
 そもそも瞳のレンズは常に開いたままの方が都合はいいはずで、起動中のロボに瞬きは必要ない。彼らが瞬きを繰り返すときは、ロードやエラーの時だ。
 けどそうと分かっていても、身じろぎひとつしないアサヒに、俺の方が怯みそうになる。違う、今の無し。そう言いそうになる。
 言えばきっと、機械相手なら後戻りができる。
「悪いか」
 しかし俺は結局そうせず、ややあって、アサヒは開き直るようにゆっくりとそう言った。
「ユウヒにもよく言われたよ。『その役割はお母さんに求められていない』って。俺らが与えられたのは、蜜花の子供役だって」
 アサヒが耐えられなくなったように俯く。テーブルの下で、オヤジのシャツの裾をぎゅっと握りしめた。
 役割。ああ、その単語は、使ってほしくなかったなとぼんやり思った。
 だって、まるで同じみたくなっちゃうじゃないか。
 血のつながらない父親に恋してしまった俺と。
「でも蜜花が悪いんだ。俺らのバグを放置するから」
 責任転嫁。でも、俺と違って本当に責任は主人の蜜花にあると俺も思う。感情のバグさえなければ、きっとアサヒはユウヒのように求められた職務を全うできた。
 俺は俯いて、味噌汁の中に映る自分の顔を見た。折角の食事が冷めてしまう。
――嫌だな。ああ、嫌だ。
 止めていた箸を再び動かして食事を再開したものの、味を感じられない。
 俺たちの気持ちには行き場がない。俺はオヤジに伝えられない。アサヒも、自分たちの最悪の想像が当たっているのなら、立場だけではなく物理的に無理だ。
 ……でも、それは想像が当たってたらだろ?
「行こう」 
 ごちそうさまをすると、無言で片づけ始めたアサヒの腕を引いた。
「どこへ」
「お前の前の家だよ。文句を言いに行くぞ」
「い、いやだ。第一ここから結構ある」
「オヤジの車がある」
 見かけよりハウスメイドロボは重量がある。アサヒの足は縫い付けられたように動かない。
「オレはもう蜜花のモノじゃない。ここんちのモノだ」
「人のせいにするなよ。心はまだあっちにあるくせに」
「ハウスメイドロボに心なんてない! これはただのバグだ!」
「バグなら猶更、原因を当たってどうにかすべきだ」
 アサヒは唇をかみしめ、反論の言葉を止めた。
 玄関に引っ掛けたままの車のキーをとって、半ば無理やりにアサヒを外に連れ出した。外履きの靴を今のアサヒは持ってないから、俺のスニーカーを履かせた。
「運転できるのか」
「免許は持ってる。一応」
「一応って何!?」
 珍しく狼狽したアサヒを助手席に座らせ、シートベルトを装着する。人間じゃないから交通法に触れないのかもしれないけど、万が一の場合は逆に凶器になりえる。
「住所は?」
 聞かれたことは答えなければならないのはロボットの基本だ。しぶしぶであるが、アサヒはちゃんと隣の県から始まる住所を口にした。
 ちょっと遠い。ナビに任せれば大丈夫かな。
「……お前、最後に運転したのは?」
「去年。免許取った時」
 喉の奥から洩れたような悲鳴を隣で聞きながら、エンジンのキーを入れた。緊張でハンドルを握る手に力が入る。
 大丈夫大丈夫。最近の車は、下手でもそこそこ運転できる。


 一時間のドライブを終えて、目的の住所まであと少し。
 ドライブ中、隣でずっとびくびくしていたアサヒが、急に押し黙る。決して俺の運転が下手すぎて、ブレーキの度に前につんのめりすぎてぐったりしすぎたためだけではないはずだ。原因の一つかもしれないけど。
 住宅街の中を、スピードを落としてゆっくりと移動する。俺にも見覚えがあった。ここは、アサヒが蜜花を探して走り回った街だ。
『次の交差点を左に曲がってください』
 ナビから聞こえてくる女性の声の案内に従い、角を曲がったと同時、アサヒが鋭い声で「止めろ」と言った。
「そこだ。その、オレンジの壁の」
 俺は今度こそ急停車にならないよう、慎重に車を止めた。よし、大丈夫。
 シートベルトを外して車を降りようとしたが、アサヒは俯いて、中々自分からシートベルトを外そうとすらしない。
「アサヒ」
「……怖い」
 呼びかけに、アサヒは短くそう返した。
 俺は助手席の扉を開けて、アサヒが自分から出てくるまで、その場で待つ。
 アサヒは俺を一度見上げ、ほんの少しだけ口角を上げて、無理に笑おうとした。シートベルトを外し、ゆっくりと車から出て、かつての自分の家を見上げた。
 薄いオレンジ色の壁に、ブラウンの瓦の屋根。アサヒの記憶の中で見た内装もそうだったが、外観もカントリー調の、こぢんまりとした邸宅だった。
 一度だけアサヒは不安げに俺の方を見たが、いいから行けと促す。
 一歩、二歩、三歩。最初はゆっくりだったアサヒの歩調が近づくにつれて早くなり、最後には飛び込むように黒いアーチの門をくぐった。
「蜜花!」
 俺はそんなアサヒを歩いて追いかけ、「ごめんください」と声をかけてからレンガで出来た道に足を踏み入れる。
「ユウヒ、ちゃん……?」
 カラン、と鉄製の音がしてそちらを振り向くと、軍手と麦わら帽子を装着した、ガーデニングエプロンの女性が目を丸くして俺たちを見ていた。歳は二十……三十まではいってないと思う。俺よりも少し上くらいだろう。俺を見てはっとして、彼女は慌てて取り落とした小さなスコップを拾い上げる。
「……綾音さま」
 恐らくその女性の名だろう、アサヒがそれを口にしたと同時、綾音さんは軍手をひっぱってその場に脱ぎ棄て、アサヒに駆け寄った。
「良かった、探してたのよ!」
「綾音さま、蜜花……さまは」
 アサヒの体を両手で挟むようにして、今にも泣き出すんじゃないか、そんな綾音さんに、アサヒは恐る恐る尋ねる。
「覚えていないの?」
「……恐れながら。あと、オレ、ユウヒじゃなくて、アサヒなんです」
「え?」
 綾音さんの目が、再び大きく見開かれた。


「すいません。こちらに越してきたばかりで……まだ片づけが終わってないんです」
 綾音さんは蜜花さんからみて、姉の孫ということになるらしい。この家は蜜花さんの遺言により、今は彼女の物となっているそうだ。
 まだ開けられていない段ボールが並ぶ廊下を抜けて、奥にある一室に案内される。
「大叔母さん、アサヒくんが帰って来たよ」
 鈴(りん)を鳴らし、彼女は両手を合わせた。
 チェストの上に置かれた笑顔の小さな写真と、位牌。
 それが今の蜜花さんだった。
「蜜花……?」
 ぺたりとアサヒがその場にへたり込んだ。
 俺も部屋の入口で足を床に縫いつけられたように動けない。
「いつごろ……ですか」
 黙り込んだ彼の代わりに、気が付けば俺が尋ねていた。
「半年ほど前に……記憶はないの?」
 綾音さんの言葉に、アサヒは首を横に振る。
「……でも予想はしていました」
 アサヒが低く答えた。俺はなんと言っていいか分からない。
 俺は、どうしていいか――
「……あの、ユウヒって子の居場所に心当たりは」
「静真、いい」
 先ほどの台詞からして彼女もきっと知らないだろうと思っていても、ダメ元で聞いてみようとした俺を、アサヒが名前を呼んでそれを制す。でもと続けようとした俺に、アサヒは力なく笑った。
「ユウヒはここにいる。オレがユウヒだ」
 ふらふらと立ち上がり、アサヒも遺影の前のお鈴を鳴らして両手を合わせた。
「ただいま蜜花。会いたかった。けど……会いたくなかった」
 俺は――俺は。
 何か言わなくてはいけない。
 綾音さんが俺とアサヒを交互に見る。
「どういうことなの?」
迷っているうちに、アサヒは俺を振り返る。
「最初から分かってた。鏡を見れば分かる。これはオレの顔じゃない。これはユウヒの顔で、ユウヒの腕で、ユウヒの上半身だ。――どうせ蜜花がやったんだろ。なんでか、知らない、けど」
 言葉が少しずつ重くなり、アサヒがぐらりとその場に倒れた。がしゃんと人が倒れたときには決してしない、金属の音がした。
 俺と綾音さんは、何が起こったかわからず、一瞬その場に立ち尽くし、ハッとして倒れたアサヒに飛びついた。
「アサヒ!? アサヒ!」
 驚いて体をゆすった俺の呼びかけに、彼は一切の反応を示さない。アサヒの体に触れた綾音さんが俺を止める。
「……充電が切れてるだけです」
「え」
――スワン社製ハウスメイドロボは、バッテリーが貧弱。
 数日前にネットで見た評判を思い出した。


「粗茶ですが」
 高級そうなティーカップで紅茶を出してくれたのは、背の高いハウスメイドロボだった。それがスワン社の最新機種、RNH型だと気づいたのは、彼女がスリットの入った黒いロングスカートを翻して部屋を出て行った時だった。
 思わず目で追っていた俺に、「あの」と彩音さんは向かいのソファから声をかけた。
「大叔母が寝ていた部屋に、壊れたアンドロイドのパーツがあったんです。一部は粉々で、修復は無理でした」
 アサヒは今、綾音さんが持っていた充電器を借りて充電中だ。多分、さっきのRNH型のものなんだろう。
「ユウヒとアサヒのものだったんと思うんです」
 綾音さんの話と、アサヒの最後の記憶であるあの交通事故。二つを重ね合わせると、やはり二つのロボットをつなぎ合わせたのは、蜜花さんだったと結論づけた。
 アサヒとユウヒが庇ったおかげで、どうやら蜜花さんは怪我一つなかったようだ。しかし子供代わりだった二人は壊れてしまい、彼女は損傷の少ないパーツだけを使って、一体分のロボットを組み立て直した。
 そこにどんな想いがあったのか、俺たちには分からない。想像もできない。
 彼女は定年を迎えるまで、エンジニアとしてハウスメイドロボの開発に携わっていたそうだ。マニアどころではない。本物だ。壊れかけたパーツでもきちんと動いただろう、と綾音さんは言う。
「晩年の彼女は『まだらボケ』状態だったそうなんですけどね……。大叔母が亡くなった後、私の伯父が遺言を無視して勝手に大叔母の持ち物を一部処分してしまいまして……私はその頃まだアメリカに居たものですから……そう、アキバに居たんですね」
 事故後から売られるまでの間の記録は、売られた際に消されてしまったようだった。バックアップも取らなかった、あるいは取れなかったようだ。そこに存在したのがアサヒだったのかユウヒだったのか、あるいはツキハのような全く別の新しい人格だったのか……もう分かる術はない。
 俺はゆっくりとティーカップを持ち上げて、口をつける。
 俺はひどいことをした。開けなくてもいい箱を開けて、嫌がるアサヒにトドメを刺した。売り払ったのは蜜花さんではない、その事実しか、彼の救いにはなりえるものはない。
「あの、差し出がましいお願いだとは思うんですけど」
 カップを下すのを待っていたかのように、綾音さんが口火を切る。
「事故より前の記憶なら、大叔母のパソコンにバックアップが残ってたんです。ユウヒのも。だから、あの、彼らをうちに」
「分かりました」
「へ?」
 全部聞くまでもなく、俺は頷く。
 アサヒとユウヒを探していたということは、きっと遺言でこの二人の相続についても言及されていたに違いない。家を受け継いだあたり、彼女が一番蜜花さんに近しい人間だったのだろう。
 となれば、アサヒも本来は彼女のものだ。アサヒだって、愛した人の居場所に居た方がいいはずだ。
「アサヒのこと、お願いします」
 深々と頭を下げて、俺は綾音さんの止める声も聞かずにその場を辞する。
 奥の部屋で眠るアサヒには会わなかった。会えるわけがなかった。
 車に飛び乗ってからどうやって帰って来たか覚えていないが、オヤジの車は傷一つなかったので、普通に帰ってこられたのだろう。一時間半で帰ってこられるはずなのに、どこをどう走ったのか、気づけば夕方になっていたけれど。
 携帯に、オヤジからの着信が何度か残っていた。運転中だったから出られなかった。
 オヤジは電話を諦めたのか、最後にメールが届いていた。
『見合い終わった。俺には勿体ない、綺麗ないい人だったよ』
 俺は天井を仰ぐ。
 これは、天罰だ。


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