つぎはぎアンドロイドと俺の七日間・3

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 二日目。
 せっかく欲求に素直になろうと思ったのに、完全に出鼻をくじかれる形となってしまった。
 俺はパソコンの前でため息をついて、隠しフォルダの中から昔の写真を引っ張り出す。
 幸せそうに寄り添う男女二人を中心にした、結婚式の集合写真だ。
 その端っこに、今よりもだいぶ若いオヤジが笑顔でうつりこんでいる。こうしてみると、いつまでも十代みたいな顔をして生きているオヤジも、それなりに歳をとったんだなと思わざるを得ない。そして――この真ん中の二人こそが、俺の両親だった。
 充電器に挿しっぱなしの携帯が震える。誰からの着信か、音が鳴らなくても分かる。俺の電話はほとんどオヤジ専用だ。
 俺はリング型デバイスをつけたままの手をかざし、触れずに通話ボタンを押す。
「もしもし?」
『静真! お前さては知ってたな?!』
 スピーカーから聞こえてくる、声が大きすぎてひび割れたオヤジの叫びに俺は思わずのけぞって電話から離れた。
 昨日は忙しかったのか、五分で済ませた簡素な到着報告の時とは違うオヤジのそれに、俺はどうやらばーちゃんたちの作戦が決行されたらしいと察する。
「どれのこと?」
 とりあえずすっ呆けてみると、オヤジは一瞬息を飲んでから再び叫ぶ。
『見合いだよ! ほかにもなんかあるのかよ』
「いやないけど……ああうん、知ってたよ。ばーちゃんに黙っててって言われたから」
 オヤジの幸せ。
 それをオヤジの母親であるばーちゃんと、祖母であり母親の母親である大ばーちゃんは結婚に見出した。そこには少なからず孫とひ孫が見たいという己の幸せも含まれているだろうけど、それも含めて世間一般の、よくある普通の感性だと俺は思う。
「オヤジだってもう来年三十五だろ。いい加減真面目に婚活しないと、結婚できねぇぞ」
『だからってこんなだまし討ちみたいな! それ以前に俺にはでかいコブつきだし、誰も相手にしてくれねぇよ』
「……人を言い訳に使うなよ」
 ムッとして低く言うも、オヤジは電話の向こうで不鮮明な声でさらに何やらごにょごにょと呟いている。
「実の子じゃないんだし、コブの内に入んないだろ。邪魔なら出ていくし」
『馬鹿を言うな!』
 投げやりに言った俺に間髪を置かずに言ったその言葉を、できるなら一生とっておきたいと思うと同時に、でももうそれだけでは満足できないのだとも思う。
『お前は俺の子だ。血が繋がってなくたって、お前にだけはそれを否定させないぞ』
 テレビ電話がメジャーにならなくてよかった。こんな顔、オヤジには見せられない。
「……ごめん。でも、だったらなおさら、オヤジには幸せになって欲しいんだよ。オヤジの子として、俺はそう思う。とりあえず会うだけ会ってみなよ」
 実の子だったらよかったのに。そうでなかったら、女として生まれてきたかった。オヤジと知り合ってから幾度なくそう思ったけど、こればかりはどれだけ考えたところでどうにもならない。
 俺がオヤジを幸せにすることはできない。
『くそっ』
 オヤジが電話口で悪態をついた。
『分かった。会うだけだけどな!』
 捨て台詞のように言って、オヤジはじゃあなと電話を切った。
 嬉しいのか泣きたいのか分からなくて、俺は両手で目を覆って天井を仰ぐ。
――静真、俺と一緒に住もうか。
 オヤジこと藤林 和憲が俺にそう言ったのは、もう十年も昔のことになる。俺は九歳、オヤジは二十四歳だった。
 あの結婚式の写真を撮ってから数年後、俺が小学生に上がる少し前に母は病で亡くなり、後を追う様に父も通勤途中に事故に遭って亡くなった。
 祖父母はすでになく、二親を亡くした後は父方の叔父と母方の伯母の家を一年ごとに行ったり来たりする生活をしていた俺の元にあらわれたオヤジは、自身を「静真の母の従祖叔父(いとこおじ)の孫」と、聞いても一瞬ではどういう関係か分からない説明をした。つまり、俺の母方のひいばーちゃんのいとこの孫、ということらしい。ひいひいばーちゃんの兄弟の曾孫、とも言う。
 俺とは限りなく他人に近い間柄ではあったけれども、俺の両親の結婚式に呼ばれる程度には親しかったようだ。オヤジたちの故郷はまさに田舎で、近い親戚から遠い親戚まで今も同じ集落に住んでいるらしいので、子供の頃は顔を合わせることが多かったらしい。
 それでも、結婚してからは交流もなかったことは確かで、なのにどうして俺を引き取る気になったのか、何度尋ねてもオヤジははぐらかして答えてはくれなかった。
 けれど俺は、真夜中に見てしまったのだ。花嫁姿の母と自分が二人で写る写真をパソコンで眺め、オヤジが涙ぐみながら一人で酒を飲んでいるところを。
 ああと納得がいった。俺は、特に幼いころの俺は、母似だったのだ。オヤジが結婚しない理由は、俺の存在そのものじゃない。母さんのことが忘れられないからだ。
 それに気づいた時、ひどくショックを受けた。そして、そのショックが、自分自身の気持ちまで気づかせてしまった。
 俺だってオヤジを本当の親だと思ってるわけじゃない。俺がオヤジに抱いている感情は、もっと、重くて、ドロドロしてる。
――行かないで。見合いなんてやめて帰ってきて。俺から離れていかないで。俺だけ見ていて。俺を、愛して。
 俺の中の小さな子供が、そんな我儘を言う。けれどその正体は醜い大人だ。
 オヤジは俺を愛してくれてる。けれどそれは親としてだ。小さな子供のふりをした俺は、もっともっとと違う種類のそれを求めている。オヤジから求められている息子としての役割とは、違う立場を。
「静真さま」
 ハッとして両手を顔から離し、俺は部屋の入口を見た。
 風通しを良くするために夏の間は日中ずっと半開きなドアの隙間の向こうで、お盆を持ったツキハが立っている。
「お茶をお持ちしました」
 そう言って部屋に入ってきた彼女が、ちらりとモニタを見た気がした。俺は慌ててモニタに向かって手を振り、結婚式の写真をデスクトップの外に追いやった。ロボットに見られたって他言しないはずだけど、なんとなく気になりはする。
「あ、ありがとう」
 ツキハはコースターを敷いて麦茶の入ったグラスを机の上に置き、一礼してまた出て行った。
 彼女――と言っていいのか未だに脳裏に焼き付く下半身パーツのことを思うと悩む――と暮らしてまだ一日と少しだけど、やはりハウスメイドロボは便利だと思う。便利すぎて堕落するとも思う。
 たとえば俺がこうして一日パソコンの前にへばりついていたって、ツキハは定期的にこうして水分やら軽食やら持ってきてくれ、掃除も洗濯も、料理も一人で済ませておいてくれる。何も仕事がない時はステーションの中で勝手に充電して待機しているのだから、人間が彼女を構う必要もない。発売当初、「ますます未婚率が増える」と散々言われたそうだが、まさにその通りだと思った。
 今みたく、少し空気を読まないところはあるけれど。そこは機械だし、仕方がない。仕方ないのだけど――。
 俺は再び結婚式の写真を引っ張り出してから、今度はきちんとウィンドウを消した。
 次に『スワン社MDK型 記憶データ』で検索をかける。ヒットしたページをいくつか見てから、俺は麦茶を飲み干して立ち上がった。
 掃除も洗濯も午前中に終えてしまっているから、今ツキハの仕事はないはずだ。オヤジの部屋へ見に行くと、細長い透明な箱型のステーションの中にツキハが横たわっているのを見つけた。
――棺桶みたいだと、いつみても思う。
 俺の気配を感じてか、ツキハはゆっくりと目を開けた。
 ハウスメイドロボが最新鋭家電であっても、その中ではツキハ、MDK型は旧世代機にあたる。現行型は彼女から四世代先で、どれだけOSのバージョンを上げても、それに比べれば機能的には劣る。
 スリープ状態からの復活が遅いあたりも、それをうかがわせる。
「ツキハ、ちょっと俺の部屋まで来てくれないか」
 オヤジのパソコンデスクの引き出しをあさり、それらしいコードをいくつか引き抜くと、イスのキャスターを転がしてツキハを隣の部屋へ誘導する。
 椅子に座らせると、首の後ろにあるカバーを開けて、コードを突き刺した。パソコンにつなげると、一瞬の間をおいて、画面にウィンドウが表示される。
 項垂れ、半開きで虚ろな目をしたツキハをみると、なんとなく罪悪感を覚えたが、仕方がないと言い聞かせた。
 ハウスメイドロボの記録情報は、一定周期でクラウドにアップロードされている。最近機器ならかなりの頻度らしいが、ツキハは大体一時間ごとだ。スリープに入る前の最新の記憶にあたるデータ消してしまえば、先ほど俺の部屋に入って見たであろう、オヤジと両親の結婚写真の記憶は消えてしまう。
「えっと、記憶データのフォルダは」
 クラウドにアップされているのは記憶のデータだけではないから、俺は検索して得た情報をもとに大量のデータの中から、目的の記憶フォルダを探し出した。開くとさらに二つのフォルダ。
「あれ」
 メイドロボの記憶データに関するぺ―ジを見比べながら、俺は小さく首をかしげた。本来なら表示されるべきフォルダは、『Tsukiha』と言う名のフォルダ一つのはずだ。なのにその左隣に、『Asahi』というフォルダが隠しフォルダを意味する半透明の状態で現れていた。
 一瞬不思議に思ってから、すぐに得心がいく。
 前のユーザーの時代の記憶だろう。
 オヤジはフォーマットしたと言っていたが、クラウドには残っていたようだった。
 ともあれ俺はツキハのフォルダから最新のデータだけ削除して、それ以前の復元ポイントまでツキハの記憶を戻す。一時間ほどの空白ができて、オヤジには怪しまれてしまうかもしれないが、写真を眺めていたことを知られることに比べたらマシだ。ホームメイドロボのクラウドに興味があって覗いたが、うっかり誤って消してしまった、みたいな白々しい嘘をついてやる。
 データの削除をもってして俺の目的は達成されたのだが、そうなると『アサヒ』の記憶が気になって、俺は続けてそちらのフォルダを開いた。
 残っているデータは一つだった。
 日付は今から三年前。それまではアサヒとして動いていたのだろう。俺はパソコンにゴーグルをつないだ。もともとはネットゲームをするために開発された、脳波を読み取ってソフトを操作する機器だが、最近は疑似体験がねらいの動画を見る時なんかにも使われている。
 ゴーグルを装着すると、拾ってきたフリーソフトでファイルを展開し、出てきた動画データを再生する。
「……う」
 となりでツキハが低く呻いたような気が、した。


――……。
「アサヒ」
 呼びかけに、視界がくるりと振り返った。
――ツキハだ、と目の前に居た少女を見て俺は思った。
 しかしすぐさまそれを否定する。なぜなら今は俺の視点がツキハ(当時はアサヒだったんだろうが)のはずだからだ。
 ツキハの前ユーザーはもしかして、同じ顔をしたメイドロボを何体も所持していたんだろうか。ずらりと並んだツキハの顔を想像すると、結構ホラーだ。
「どうしたユウヒ」
「お母さんを見なかった? どこにも居ないの」
 アサヒだったころのツキハの声は低かった。掃除の途中だったらしく、アサヒははたきを下ろして一度うつむく。フローリングの床は埃一つなく綺麗に片付いていた。
「あいつならさっき寝てたはずだろ」
「ベッドにいないの」
 不安げなユウヒの顔は、まるで人間のようだった。
 俺の知るツキハの顔とはいつも無表情で、どれだけ人間に近くても、やはり機械は機械だと思わせる。けれど彼女のそれはごく自然で、ツキハがユウヒの顔をアップにしてカメラの型番までくっきり撮していなければ、話しかけているのは人間の少女と誤認してしまっていたかもしれない。
「外に出てしまったのかしら」
「まさか」
 そう言いながらも、胸のなかに言い知れぬ感情が去来するのを感じた。
 不安だ。ややあってようやく言い表せたそれに俺は驚いた。ロボットも不安になるっていうのか。
 映像が一度暗転した。膨大な量の記憶は常に最適化され、不必要なものと認識されたものはどんどん消されていくらしい。次に見えたのは外の風景だった。ごく普通の住宅街。アサヒは走りながら周囲を見回して探している。
「アサヒ!」
 交差点で別の方角から飛び出してきたユウヒに、アサヒは黙って首を横に降る。
「そんな……」
 青ざめこそしなかったが絶望的な表情をしたユウヒだったが、直後前方になにかを見つけ悲鳴にも似た声をあげて指をさす。アサヒがそちらを振り向き、見えた人影を視線でとらえると、それにむかってズームを繰り返す。多少荒くなりつつも見えたのは人間の老女だった。杖をつき、おぼつかない足取りでゆっくりと歩いているそこは、嗚呼、車道のど真ん中だ。
「お母さん!」
 悲鳴をあげたユウヒよりも先にアサヒが走り出した。自分の方が俊足と認識していた。遅れてユウヒも追いかける。
「蜜花(みつか)!」
 車道まできてアサヒが叫ぶ。
「ああ、アサヒくん」
 けれどそれがいけなかった。
 老女はまるで子供のような笑顔でアサヒのもとへ方向を変え、
――そこへ車が来た。
 運転手は明らかにカーナビかオーディオか、なにかの操作で余所見をしていた。アサヒがそう認識したのは、すでにユウヒと一緒に車道に飛び込んで、老女を突き飛ばしたと同時だった。
 衝撃。暗転。
 次の記憶はなく、映像の再生は終わった。

「なんだよ、これ」
 ゴーグルをはずし、俺は思わず呟く。
 隣に座ったアサヒ――否、ツキハを見て、俺は「うわあ!」と大声をあげた。
 ツキハは虚ろな目をしたまま立ち上がり、うなじにささったケーブルを引き抜こうとしていたのだ。ずぼっと音をたててそれは引き抜かれ、一瞬苦しげに顔が歪められた。
「みつ、か……なに、しやがる」
 うめくような声はオヤジが設定したツキハの声だったが、口ぶりは明らかに違う。眉間にシワを寄せながら俺を見て、そこで始めて俺の存在に驚いた顔をしたが、それも一瞬だった。俺は胸ぐらを捕まれて床に叩き伏せられる。
「がっ」
 一切の抵抗を許さないスピードに、俺は背中をしたたかに打ち付けた。
「誰だお前は、蜜花をどうした!?」
「……っ、ちが」
 問われても、喉元を押さえつけられて、うまく話すことができない。苦しい。死ぬ。
 鬼の形相のツキハに、ロボットはこんな顔もできるのかと他人事のように思いながら、俺は情けなくも意識を手放した。


 額の上におかれたタオルのひやりとした感触に目が覚めた。
「ん……」
 一瞬、自分のおかれた状況を失念して、タオルに手をやりながらどうしたんだっけと思ってから、思い出して飛び起きる。
 タオルをおいた直後の姿勢のツキハが俺を見上げている。そこに表情らしいものは浮かべられておらず、あの形相は夢か妄想か、映像の続きだったのではないかとも思わせた。
「おはようございますご主人様。お加減はいかがでしょうか」
 だが立ち上がったツキハの服装に、俺は目を丸くして、気を失う前の一連の出来事は現実だったと思い知らされる。
「とでも言うと思ったか、変態野郎」
 嫌悪感をむき出しにして、吐き捨てるようなツキハは、長いウェーブの金髪を首の後ろあたりでくくり、安物のメイド服から黒っぽいジーンズとワイシャツに着替えていた。
「な……!」
 オヤジの服じゃないか! と叫びそうになったのを、今はそれどころじゃないだろうと理性でおしとどめる。
「お前、……『アサヒ』か」
 冷たい目をして俺を見下ろすアサヒは、こくりと頷くと、腕をくんでため息をつくような動作をした。実際には息をしないロボットだから、真似だけだ。
 そんなことより腕を組むと、メイド服姿ですら邪魔そうに思えた大きな胸が自然と寄せられて、第二ボタンまで開けられたオヤジのワイシャツから、肌色の谷が見えて危うい。
「悪かったな。再起動直後で混乱していた。申し訳ない」
 ちっとも謝罪に聞こえない言葉を並べると、アサヒはぐるりと俺の部屋を見回した。
「俺は売られてお前に買われた、ってことか?」
 確認する言葉に、俺は首を横に振る。買ったのは俺じゃない。オヤジだ。
 人の姿形をしたハウスメイドロボ本人の口から自身の売り買いのことを聞かせられると、なにか犯罪のような気がしてくる。
「記憶の取捨選択に不具合が起きてるな……パッチが当たってない」
 ぶつぶつと不愉快そうに独り言を言ってから、「借りるぞ」とアサヒは今度は自分でうなじにコードを突き刺した。慣れた様子で指輪デバイスを装着して操作し、メーカーのサイトに行ってパッチを落とし始める。
 呆気にとられているとアサヒは椅子に座って足を組み、こちらを振り向いた。
「どういうことだよ」
「オレが聞きたい。お前がオレを起こしたんだろう? おまけになんだこの気持ちの悪いちぐはぐな体は」
 不満をぶつけられたが、全くもって検討違いな話だ。
 俺は起こしたつもりはない。記憶ファイルの展開はしたが。個体の人格設定のデータとは別になっているはずだ。そちらには触っていない。続けての体の件だって、買った時点でその状態だったのだし。
 思ったままそう言うと、アサヒは疑わしげな目で俺を見た。
「バグか」
 それだけ言って、ダウンロードの済んだパッチを自分にインストールする。
「なあ、お前って、男なの? 女なの?」
 ツキハとはあまりに違うそれに、俺が思わず聞くと、モニタを見ていたアサヒは横目で俺をみると、ふんと鼻で笑う。
「男に決まってんだろ。こんな女がいるか」
 ……そんな体の男がいてたまるかと思った。


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