塔の上の王子さま ―5―

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 王子の最後の課題を受けることができたのは、五人中ナターシャとドリゼラの二人だけ。一体どちらを王子は選ぶのだろうと、昨晩から国民の感心はそればかりだ。
 王子が自身の妻となる娘をついに選ぶ日、塔の下には人だかりが出来ていた。
「これより王子のお答えを申し伝える」
 宰相がもったいぶった口調で羊皮紙を開いた。
 並ぶ二人の娘はどちらも自分が選ばれると信じて疑っていないようで、互いに笑みすら浮かべている。気が気でないのは、ギャラリーにまぎれるナターシャの家族や、ドリゼラの取り巻きの貴族たちの方だ。
 宰相は羊皮紙をしばらく開いたまま、呆然とした表情を浮かべた。二人の娘も、その様子に気づき、徐々に笑顔が曇り始める。
「ど……どちらも王子の望む者ではない」
「……なっ」
「なんですって!」
 悲鳴のような声が二人から上がる。遅れて、背後からも悲鳴が沸きあがった。ナターシャの母親が倒れたのだ。
「奥様! お気を確かに!」
「お母様!」
 アッシェの声にナターシャが我に返る。飛びつくようにアッシェを突き飛ばし、母に縋りついた。
「お母様、お母様しっかりして!」
「お嬢様、落ち着いてください。奥様は気を失っているだけで」
「うるさい!」
 突き飛ばされても臆せずナターシャを落ち着かせようとしたアッシェを、彼女は一言で再度跳ね除ける。ごん、と後頭部が地面に落ちる嫌な音がした。
「うう、ナターシャ……」
「お母様!」
 腕の中で、悪夢にうなされるように低く唸った母親に、ほっと表情を緩めた。
「納得がいきませんわ! 説明を求めます! 王子!」
 ドリゼラは後ろの騒ぎそっちのけで宰相に詰め寄った。その姿は皮肉にも先日散々嘲ったガリーナ嬢と同じであったが、今はそれに気づく者はない。
 この場に居る全ての人間が、王子の出した答えに驚き戸惑っている。宰相ですらもだ。
「と申されても……」
 宰相がちらりと塔の上を見上げた。王子が次に塔から出るときは、隣に后の姿がなければならない。それがしきたりである。
「いいよ宰相。僕が答えよう」
 一向に収まりのつかない騒ぎの中、よく通る低い声が塔の扉越しに聞こえた。詰め寄るドリゼラの動きが止まり、それにつれて回りも静けさを取り戻していく。
「出てはなりませんぞ、王子!」
 ただ一人宰相が慌てた声を出して扉にしがみつくが、軋んだ音をたて木作りの扉は宰相ごとゆっくりと動いていく。
 扉がついに開ききる。
 暗闇の塔の中に立っていた王子が、迷いのない顔で外へと踏み出した。

 ***

「亜紀ちゃん、どう?」
「ぴったりです」
「よかった!」
 それまで不安げに見つめてきた王子先輩がほっと笑顔を浮かべた。
 アッシュの衣装は後半部の展開に伴い、よりダウングレードしてわかりやすく下手くそな継ぎが当たった、別のワンピースに変わった。
 私は継ぎあての部分を軽く指でなぞりながら、これを作った王子先輩の顔を見上げた。相変わらずのイケメンであるが、少し疲れた様子も覗かせている。
「先輩が衣装のプロだったんですね」
「プロ? 誰がそんなこと……あ、さては信太郎だな」
 王子先輩が、部室の奥を隠すように設置した衝立を睨んだ。
 やたらと練習以外の部活の出現率が低かったのは、衣装のデザインやら作成を自宅でしていたためだったらしい。
「プロ志望だけどプロじゃないよ。去年卒業した師匠には遠く及ばないし。ちなみにあのドリゼラ衣装は師匠作」
 冗談じゃなくて本当にあるのか師弟制度。
 でもあのドリゼラ衣装は良し悪しだと思う。着る人を選びすぎる。二年の先輩が完全に着られているもの。その年のドリゼラ役には似合っていたのだろう、きっと。
「最初に着たのは部長だけどね」
 似合って……いたのだろうか。
「あの人に性格の悪い役やらせたら、随一だからな」
 そんな彼女は今、ナターシャの母親役の衣装を着たまま、顧問に呼ばれて出て行った。すでにその『随一』の迫力は立ち稽古で何度も拝ませていただいているので、頷かざるを得ない。
 というかこの劇、アッシェと王子以外みんな性格が悪いような……。
「来年からどうするんだろ、衣装係」
 王子先輩がため息をつき、遠い目をした。入学して二ヶ月の私の目にも、今年の二年生はあまりやる気がないように見える。衣装係だけの話でなく、三年生が卒業した後のことを思うと不安だ。まあ部長が目の上のたんこぶなだけで、いなくなったら覚醒する可能性もあるけれど。
 どことなく、先輩から期待するような目でみられたが、しかし私は玉結びもろくに出来ない女である。
「先輩なら弟子志望が沢山いそうですけど」
「志望者がいてもな。みんな俺の手元じゃなくて顔ばっかり見るから」
 流石先輩、自分がイケメンである自覚があるのか。しかしまあ、イケメンもイケメンなりに大変そうである。
「信太郎、衣装どう?」
 衝立で仕切った向こう側に居る川合先輩に、王子先輩が呼びかけた。
 後半の台本が手に入って驚いたのは、その展開だけではない。
「ずっと王子先輩が王子やるのかと思ってました」
「毎年言われるけど、残念ながら俺は大根なんだよね……」
 王子先輩がまたもや悲しげな顔をした。それはとても演技っぽく見えるのだけど、舞台となると別なのだろうか。
 衝立が動いた。川合先輩がひょっこり顔をだす。
「うえっ!?」
 劇中の王子の登場シーンとは似ても似つかぬ間抜けな登場だというのに、思わず変な声が出た。
「山田お前……なんだその声は。意味次第では怒るぞ」
「はい、今のはスッポンが月に見えてびっくりした声です」
「そんな見間違いは月に失礼だ! 月に謝れ!」
 褒めたのに。
 王子さまの衣装に身を包み、いつものセルフレームの黒ぶち眼鏡を外した川合先輩は中々かっこいい。眼鏡を外すと可愛くなるのは女子、かけたほうがかっこいいのは男子、という持論があったが改めるべきだろうか。
「素直にかっこいいと言え」
「でも、流石に天然モノの北大路先輩と並ぶと養殖感が……」
 私たちのバカなやり取りの最中も、王子先輩は自分の仕事をしっかりとこなしている。しゃがみこんでズボンの裾を確認して、渋い顔をした。
「信太郎身長伸びた? 去年のままだと裾ちょっと足りないかも」
「やっぱりそう思うか。これでもだいぶ腰パンなんだけど」
「まあでも去年裾上げしたの解けば大丈夫かなぁ」
 王子先輩が川合先輩の上着をめくってベルトの位置を確認していると、部室の戸ががらりと開いた。
「……えっ」
 丸めた画用紙を抱えた美晴が入り口で硬直した。まじまじと王子先輩にめくられたままの川合先輩を見たかと思うと、戸の上にはってある演劇部の看板を確認、もう一度二人を見てからぴしゃりと戸を閉めた。
「お邪魔しました」
「おいこら杉内!」
 すかさず先輩が突っ込みを入れ、王子先輩が苦笑した。それを合図に美晴が戻ってくる。
「なんだ川合先輩だったんですか。誰かと思いました」
「他に誰がいるよ」
 ぶっきらぼうに言うと、美晴は抱えていたポスターを川合先輩に差し出した。
「部長に言われてポスター用の紙生徒会から貰ってきたんですけど……」
 どういうわけだが、後半部の台本の件でもめて以来、部長と美晴は仲がいい。あんなにこだわっていた主役を外され、流石の私もかわいそうに思えるようなことをされたのに不思議だ。私の知らないところで何らかのフォローがあったのだろうか。性格が悪いもの同士気が合ったのだろう、というのは他の三年生の談だけど。
「おお、待ってた。山田、昨日作った下書きとペン」
「はい」
 すっかり雑用っぷりが板についた私を、美晴が見た。あらいたの、と言わんばかりな顔をして、ざっと私の体の上下に視線を走らせると、
「変」
 とちくりと小声で言いおった。
 お前これお前の大好きな王子先輩の最新作だぞ。
――とまあ、美晴の私に対する扱いは相変わらずである。
 今の所アッシェ役をよこせとは言ってこないが、代わりにアドリブを入れてまで劇中アッシェをいじめるようになった。中でも突き飛ばされるシーンはホントに痛い。それもこれも部長の熱心すぎる演技指導の賜物だ。開き直ったともいう。
「あんたにはそんなボロがお似合いよ」
 これはもしかして部長は念願の弟子を手に入れたということかしらと思いつつ、お返しに「お前も着てみせてみろ」とナターシャの衣装を投げ付けたら、王子先輩に怒られた。
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