塔の上の王子さま ―4―

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「お母様! 二つ目の課題も楽勝だったわ!」
「おかえりなさい、ナターシャ」
 サロンに飛び込むように入ってきた娘に、ナターシャの母は目を細めた。
 彼女の父はこの国でも一、二を争う商人である。財を得た彼が次に狙うものは栄誉だ。降って沸いたような娘のお后選びの話に、飛びつかないわけがない。
「二つ目の課題が作法だったと聞いて肝が冷えたわ。あなた何度言っても駄目なんだもの」
「ええ、でも平気だわ。アッシェが教えてくれたもの」
「まあ、アッシェが?」
 ナターシャの母が娘の斜め後ろに控える少女を見た。年頃はナターシャより少し下だろう。彼女は俯いたまま、小さく頭を下げた。
 ふんと奥様は鼻で笑う。
「たまには役に立つじゃない」
「昔暗号ごっこして遊んだのを覚えててよかったわ」
 ナターシャは立ったままテーブルの上にあったクッキーを一枚つまんだ。はしたないと母親にため息をつかれても、気にする様子はなさそうで、はいはいといい加減な返事をして椅子に座る。
「ああそうそう、三つ目の課題はこの布に王家の紋章を刺繍してこいだって。また明日までって、王子さまったら人使い荒いわね」
 視線で促され、アッシェが鞄から白地の布を取り出した。
「まあ、あんな複雑な模様を? アッシェ、何をしているの、さあ早く取りかかりなさい」
 叱責するような言葉に、アッシェが顔をあげた。おずおずと、ともすれば消えていってしまいそうな声をあげる。
「あの、奥様……申し訳ありません、わたくし裁縫は」
「駄目よ、お母様。アッシェったら料理の腕はいいけれど、裁縫はからっきしだもの。とてもじゃないけど王子さまに見せられるようなものにならないわ」
 奥様はアッシェを見下ろして、そうねと頷いた。
 彼女の身に付けたワンピースはナターシャのお下がりのものだ。それも元の持ち主が雑に扱ったせいで、ところどころに穴が開いていたものだ。継ぎを当ててあるが、アッシェが自分でやったものなので縫い目はぐざぐざで、逆に目立つ。
「使えない子ね。ならさっさと仕事にお戻り。今日の仕事はまだたんまり残っているんでしょう」
 先ほどの自分の言葉を打ち消して、奥様は猫でも追い払うようにしっしっと手を降った。
「あの、奥様、今日はお嬢様の付き添いが終わればその後はおやすみをいただけると朝……」
「おほほ、何をバカなことを言ってるのかしら。そもそも父親が借金を作って行くところがなくなったお前を、拾ってやったのはだあれ? 感謝の気持ちがあるのなら、たとえ休みを言い渡されても私たちのために身を粉にして働くべきではないの?」
「そんな……っ、申し訳ございません」
 唇をかみ締め、アッシェが頭を下げた。泣いているのか、逃げるように部屋を出て行く。
「お母様、刺繍は自分でやるわ。私刺繍は得意だもの」
 何事もなかったかのように、ナターシャは皿の上のクッキーを平らげた。手についた菓子の粉を払って立ち上がる。
「あのドリゼラとかいうケバい女になんて負けないわ」
 ナターシャは不敵な笑顔を浮かべると、部屋に高笑いを響かせた。

 ***

「なん、なんですかこれ! 部長!」
 完成した後半部の台本を手に、美晴が叫ぶ。
 そりゃ叫ぶだろう。こんな展開。
 ヒロインだと思っていたけなげな優しい美少女ナターシャが、本当は性悪美少女ナターシャだったんだから。急展開すぎる。
 その上前半はほとんど台詞らしい台詞もなく、モブだった私の『ナターシャの侍女』役には、いつの間にかアッシェと名前が付けられ、悲劇のヒロインばりの扱いを受けている。
「あはは、美晴ちゃんそれじゃナターシャじゃなくてガリーナみたいだよ」
 部長は笑いながら鞄からコンビニ袋に入ったペットボトルのお茶を出した。美晴はそんな部長相手に食って掛かる。
「ナターシャが主役じゃなかったんですか? これじゃあまるで――」
「主役だよ。前半はね」
 他の部員たちは私を含め、こぞって成り行きを見守っている。このピリッとした嫌な空気の中では、むしろそうすることしかできない。
「先輩もなんとか言ってくださいよ! いいんですかこんな話で!」
「うーんでもひどい時の話はもっとひどいし……」
 道具や衣装の確認作業の時に一緒に出てきたので見せてもらったが,一昨年の台本なんて、かぐや姫ばりの難題をなんとかクリアして王子と逢えたのに、実は王子は男として育てられた女の子だった。一昨年だけでなく、作中散々持ち上げられ王子に期待させ、最後に落とす、そんなオチの話は多く演じられてきたらしい。まあそれはそれで、私は面白いとは思うけど。
「部長の性格の悪さがにじみ出てて、俺は嫌いじゃないよ」
 王子先輩がイケメンスマイルで中々ひどいことを言う。性格が悪いと面と向かって言われたはずの部長は「流石大路分かってる!」などと逆に嬉しそうだ。
「でも……!」
 憧れの王子先輩の言葉でも、美晴を納得させるには至らない。彼女の主役への執着は、はっきり言えば異常だと思う。そうでなければ意味がないとすら、思っていそうである。
「よりにもよってあんたなんかが……」
 美晴が私を睨んだ。とばっちりにも程がある。
「ねぇ美晴ちゃん」
 部長はお茶を一気に半分以上飲み干し、ぷはっと一息ついてから、「あたしさ」と低い声で微笑む。
「学年の問題は学年でなんとかすべきと思ってるから今までノータッチだっただけで――何も見えないわけじゃないからね」
 さっと美晴の頬が赤らんだ。はっきりとは言わなかった言外の意味に、部内の空気の緊迫感が更に増す。
「美晴ちゃんには可愛いだけのナターシャより、こっちのナターシャの方が合うよ」
 にっこりと笑ってそう言って、部長はいつものようにぐるりと部員を見回した。
「他に何か言いたいことある人いる? いないね。じゃあ読み合わせしようか」
――この流れで一体誰が逆らえるものか。
 私の後ろで川合先輩がため息をつきながら、二つに別れていた台本をホチキスで一つにまとめた。
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