塔の上の王子さま ―6―

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 塔を出た王子が真っ直ぐナターシャの方へ向かっていく。
「王子!」
 途中、ドリゼラが彼の行く道を阻んだが、王子は少し微笑んだだけで彼女を退けさせた。
「王子さま……!」
 期待に満ちた視線でナターシャが彼を見上げた。いつの間にか母親も目覚めている。起きても夢のような心地だったろう。
 しかしそれも一瞬で終わる。王子はナターシャの方向からわずかにそれ、二度目に突き飛ばされてからその場にふて腐れた顔で寝転んだままのアッシェの元へ跪いた。
「大丈夫ですか?」
「へ? ええあ……はい」
 あまりの出来事に、アッシェは間抜けな返事をした。その場の誰もが同じ気持ちのようで、ぽかんとその様子を見続けている。
「あなたを探しておりました。よかったら、僕と結婚してくださいませんか?」
「なんで!?」
 同じく全員が抱いたであろう疑問を、真っ先にナターシャが叫んだ。
「あれは十年ほど前のことです」
 王子はアッシェの顔を真っ直ぐに見据えたまま唐突に語り始める。
「まだ七つだったその頃の僕は城を抜け出して、城下で遊ぶのがブームでした。狭い城の中だけでなく、広い世界を見てみたかったのです」
 いや決してうちの国の城は狭くなかろう、と誰かの横槍が入ったが、王子の語りは止まらない。立場的に誰も止められない。
「あるとき僕は調子に乗りすぎて、迷子になってしまいました。日も暮れ、一人ぼっちでとても心細かったのを今でもよく覚えています。それを助けてくれたのが、多分あなただと思うのです」
 王子はアッシェの手をとり、熱に浮かされたような口調で言葉をつむいだ。このまま流れに身を任せていては、いつ手の甲にキスをしだすか分からないような情熱が彼からほとばしっている。
「あの、心当たりがないんですけど……」
 その様子にドン引き気味のアッシェが、手を握られたまま、体だけ僅かに後ろに引いた。本当なら手を振り払ってしまいたそうな表情をしているが、なんとか理性で押しとどめたらしい。
「王子! それはきっとわたくしですわ!」
「いいえ、私よ! そもそもあの子はうちの侍女ですもの!」
 王子の後ろで忘れられかけた后候補二人が名乗りをあげる。しかし見向きもされない。
「覚えておりませんか?」
「十年前……でしたらまだお父様の借金がなかった頃……でも、本当にごめんなさい、分かりません。うちのお嬢様とお間違いでは……」
 放置されたナターシャが気になるアッシェが、チラチラとそちらを見る。しかし王子はしっかりと首を横に降った。
「いいえ彼女たちではありえない。たしかに最初の課題で彼女が出したあの時食べさせてもらったの料理に似ていた。二つ目の課題で確かめた利き腕も、同じ左だった、しかし!」
 ナターシャがはっとして口元を覆った。作法の課題を受けたのは彼女自身だが、最初の課題の全てを行ったのはアッシェだ。
 王子は始めてアッシェから視線を外し、オロオロしているだけの宰相に振り返った。
「宰相! 例のあれをもってきてくれ!」
「はっ!」
 慌てて宰相が塔の中に入り、そして何かを掴んで戻ってくる。子供用の小さなコートだ。王子のものだったのか、王家の紋章が入った金の足つきボタンがいくつもついている。
「これはあの時僕が着ていたもの。木に引っ掛け、取れてしまったボタンを直してくれたのはあなたではありませんか?」
 その上から二つ目の金のボタンは、布地から大幅に浮いて、そのうえ他のボタンに比べて少し左にずれていた。宰相が掲げるように見せると不安定にボタンがぷらんぷらんと揺れる。
 下手にもほどがある、とギャラリーの誰かが率直な感想をぽつりと漏らした。
「あの時の少女は裁縫が苦手なようだった! よって美しい刺繍を施した彼女たちではない!」
「そんな理由なの!?」
 最後の課題を自分でやったことが裏目にでたとは思わなかったナターシャが、真っ青になって叫ぶ。気づけば一度は意識を取り戻した彼女の母親も再び眩暈を起こし、うなされていた。夢だと思いたいのだろう。
――しかしひどい話だ。部長、幾らなんでも私の不器用をネタに話を膨らませすぎじゃなかろうか。
 ふと王子の向こう側にある舞台袖で北大路先輩が心配そうに客席の様子を気にしている様子が見えた。ギャグの受けとしては、まあたまにくすくす声が聞こえるので、そこそこだろうか。台詞の突っ込みより先に観客が同じ突込みを入れているのが気になるが。
 私の顔をじっと見つめたままの王子――いや川合先輩の視線が一瞬険しくなる。すいません後少しなのに集中乱しました怒らないでください。
 王子はまだ困惑した様子のアッシェを、口説き落とすように優しい声で続ける。
「それになによりも、私の記憶のなかの彼女の顔は、あなたに瓜二つだ。どうか思い出してください。あなたなのではありませんか?」
「王子さま、私……」
 真摯な表情にアッシェは頷き、握られたままの手を両手で握りかえして王子に支えられながら立ち上がった。ぎこちないが微笑みを返す。
「思い出してくれたのですね!」
 美晴が、いや、ナターシャが後ろでヒステリックに地団太を踏む。ドリゼラはハンカチをかみ締めている。
「結婚してくださいますか?」
 再度尋ねた王子に、アッシェはにこやかに頷いた。
「はい」
 感極まった様子で王子が彼女を抱きしめた。
――何度練習してもこれは慣れない。
『こうして王子さまとアッシェは結婚し、末永く幸せにくらしましたとさ。めでたしめでたし』
 棒読み気味の北大路先輩のナレーションが響き、エンジ色の幕が閉まっていく。
 幕の向こうの拍手を聞きながら、もう少しだけこうして浸っていたいなと思った。


(終)
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