塔の上の王子さま ―3―

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「何故です!? 何故わたくしの名が呼ばれないのです!」
 一つ目の課題を終え、名を呼ばれなかったガリーナ嬢が悲鳴にも似た声をあげた。宰相に詰め寄り、今にも掴みかからんばかりの形相をしている。
「すべては王子がお選びになったこと」
 宰相の答えにすぐさまガリーナは標的を変え、塔の上を睨みあげる。
「王子! わたくしでは駄目なのですか」
 ガリーナの声が塔に届いたのか、カーテンの奥で影が揺らいだように見えた。しかし、その他に応えるような動きはない。
「王子!」
「……まあ見苦しい」
 応えることのないカーテンの向こうを睨み続ける彼女の背後で、ぽつりと誰かが漏らした。
「誰!?」
 聞き漏らさなかったガリーナが、声のした方、他の四人のお后候補の娘たちを睨みつけた。どの娘たちもパッと彼女から視線を逸らしたが、ガリーナは迷わず真ん中の娘、ナターシャに掴みかかる。
「あなたね! そもそも何故あなたのような平民が選ばれて――」
「そんな! わ、わたしでは」
 ナターシャが必死に弁明する。事実、呟きは彼女のものではない。隣で何食わぬ顔をしてほくそえむドリゼラの言葉だ。
「ガリーナ。もうやめよ。これ以上恥をさらしてくれるな」
「お父様……!」
 通過者の名を連ねた羊皮紙を丸め、宰相がため息をついた。
 ガリーナがその場に泣き崩れ落ちた。
「ガリーナさまは幼少時からずっと舞踏会で王子のお相手をしていらしたお方。それがまさか一番に候補から外れるとは」
「おかわいそうなガリーナさま。本当に王子を好きでいらしたのに……」
 見守る貴族たちが囁きあう言葉も、広間に響く彼女の泣き声にかき消される。
「ガリーナさま……」
 足元で泣き伏せるガリーナに、ナターシャが困った顔で彼女の肩に手をやった。一方、ドリゼラは彼女の隣で汚らしいものでも見るような目をしている。
「当然の結末ですわ。所詮ガリーナ嬢はお父上である宰相の力で后候補に名を連ねただけ。王子がお選びになる者はわたくしですもの」
 彼女がレースの扇子で隠した口元が小さく吐き出した言葉も、誰も聞き取ることはできなかっただろう。
 ざわめく会場の中、宰相が大きな咳払いをした。それまでガリーナに向けられていたそれぞれの視線が彼に集まる。
「第二の課題を申し伝える。第二の課題は作法。試験管は私である」
「まあ……平民のあなたには難しいのでは?」
 ナターシャの隣でドリゼラがくすくすと嫌味を囁いた。
「ご心配ありがとう。でも大丈夫です」
「あら、そう?」
 ナターシャの挑戦的な言葉に不敵な笑みを浮かべると、ドリゼラは扇子を閉じた。宰相に名を呼ばれ、余裕を見せたままゆったりと前へ歩みだした。

 ***

「山田お前……もしかしなくても、ものすごく不器用なのか?」
 呆れた口調で川合先輩が私を見た。
「はい……ご覧のとおりです」
 取れかけていた衣装のボタンをつけ直せと命ぜられ、できあがったそれを川合先輩がひどく冷たい目で見た。一瞬の間の後、川合先輩の手がぶらぶらしているボタンを掴んでぶちりと引きちぎる。
「ぎゃーひどい!」
「やりなおし」
 ですよね。
 玉止めと同時に針穴からすっぽ抜けた糸を、再び通すべく針を持ち直す。持った糸の先がぶるぶる震えるのを見て、川合先輩があきらめのため息をつながら「どれ、貸せ」と衣装を奪い取った。
「お前にやらせてたらいつまでたっても終わらん」
 はいすいません、ごもっともです。
 私の苦戦はなんだったのか、先輩の手によって一発で糸が小さな針穴に通される。
「お前それでよく裏方やりたいとか言えたな。うちの部は人数少ないから、大道具小道具衣装、満遍なくやらされるぞ?」
「まあ中学の部も人数少なかったからそれは分かってますけど」
 というか私自身は『裏方志望』なんて言った覚えはないだが。
 重ねて言えば私の担当は大道具のはずで、何故衣装係の作業を手伝って、裁縫がドヘタな件についていじられなければならないのだろうか。帰り際川合先輩に玄関でばったり出会ってしまったのが原因だけれど。
 先日一緒にパネルの確認などの雑用をこなしたら、気にいられたのか体のいい使いっ走りになると思われたのか、このように何度か捕まって、本来は割り振られていない作業を手伝わされている。
 まあ多分、後者だろうな。
「……ってか先輩すごいですね早ッ!」
 そんなことを悩んだ一瞬の間に、ちくちくとボタンが付けなおし終わる。思わず率直な感想が漏れたが、先輩はにこりともしない。
「これぐらい普通だ」
「いやあそんなことは……。というか、うちの部の衣装ってどれも凝ってますよね。このドレスも手作りでしょう?」
 ぷちんと糸を切って、先輩がガリーナのドレスの掲げるように持ち上げて全体を確かめる。
「衣装だけはなー。何故だか常に最低一人は裁縫担当のプロがいるらしい。卒業してった先輩の話だと」
「今は川合先輩がプロですか?」
「だから俺は普通だってば」
 先輩が普通だったら私はなんなのだろう。ゴミか。いやゴミ以下ですかね。
「杉内は? あいつが本来の一年の衣装担当だろ」
 確認を終え、ドレスをきちんとハンガーにかけながら先輩が尋ねる。
「あー、美晴は多分今日は来ないと……王子先輩が来ないって聞いたから」
 一年生は四人。先述したように私が大道具を押し付けられ、美晴が衣装で他の二人が小道具だ。
 三年生は監修として全体を見ることになっているが、部長は台本にかかりきり、王子先輩はよく分からないがあまり出てこず、結局ほとんどが副部長である川合先輩がやっている。となると、当然のように王子先輩目当てな他の一年生の志気は下がってしまい、こうして私にしわ寄せがくる。
 ちなみに実をいうと二年生も来ていない。大丈夫なのか。
「俺じゃ不満か」
「いやそういうのじゃ多分なくて」
 察した先輩がため息をついた。
「どいつもこいつも王子目当て……ハッまさかお前も!?」
「えっ、いや違います違います!」
 ぶんぶん手を振って否定をすると、先輩はほっと胸をなでおろしたようだった。
 同じ部の先輩として決して嫌いではないし目の保養と思って見ているけれど、そういう感情を抱いたことはない。
「良かった。この調子じゃ大路卒業したら部活なくなるんじゃないかと思ったぞ」
「ええっそんなまさか」
「冗談抜きで二年もほとんど大路目当てだからな。もう今マシになったほうだけど」
 薄々そんな感じてはいたけれど、それほどまでなのか王子先輩。イケメンこわい。
 川合先輩が学祭用とガムテープの上から書いてある衣装ケースから、別のドレスを取り出す。クリーニングのビニールを取りはらって、ハンガーにかけなおした。
「これは誰用のですか?」
「ナターシャ」
 なるほど先ほどのガリーナのドレスより質素な作りだ。主人公なのに少しもったいない。その侍女である私が着る予定の衣装はさらに質素、というより貧相。まあ、当たり前か。
 ちなみにこの中で一番派手なのは、作中一番美しいとされる后候補、ドリゼラの衣装だ。『全力で予算をつぎ込みました!』と言わんばかりの力作になっている。あれは着る方もかなり派手でないと似合わないだろう。今年のドリゼラ役の二年生は……うん、私の口からはなんとも言えない。
「山田、お前さ……」
 ナターシャの衣装をじっと見つめていた先輩が、不意に私の方に振り返る。
「本当はナターシャがやりたかったんじゃないのか?」
「えっ」
 何故バレてる。いやそれよりも先輩、衣装を私の体に当てようとしないでください。それはもうすぐ晴美の手に渡るものです。私が先に触ったとバレたら多分烈火のごとく怒り狂うと思います。
「気づかないわけないだろ、あんな言い方して」
「気づいてたんですかうわあびっくり」
「茶化すな」
 精一杯のリアクションを、川合先輩は冷たくあしらう。
「お前いじめられてるのか?」
 真っ直ぐ見つめてくる、というよりは、もはや睨みつけてくるのに近い視線を送られ、私は思わず視線を逸らした。
「いじめって、ほどじゃあないと思うんですけど」
 まあ、正直美晴も私を嫌っていることを隠す気なんてさらさらない。川合先輩が気づいても当然だろう。他の一年生はもとより、二年生も、表向きは優しいけれど率先して私に関わってくるわけでもない。見て見ぬ振り、腫れ物に触るような扱いだ。
 なのに川合先輩が切りこんで来たのは、やはり三年生で副部長、という責任のある立場だからなんだろうか。それとも、男子であるから、女独特のめんどくさい人間関係と縁がないからだろうか。普段は女所帯の中で肩身が狭そうであるけれど。
「普段無視するぐらいで……というかこちらから話かけることもないので自然と会話がないだけで、いじめとかじゃ、全然ないですよ」
 川合先輩と目を合わせないまま、でもそのまま棒立ちでもいられず、髪の毛をいじる。前髪伸びてきたな。
「中学の時よりましですし」
「中学のときからかよ!」
 川合先輩のリアクションが大きすぎる。言わなきゃよかったな。
 でも、中学の時は本当に、ひどかった。今は冷戦状態だけれども、それでも最初は仲良くやれていたのだ。切欠は、一つ上の三年が引退した後の最初の校内発表会の主役を私がもらったことだった。別に私の方が優れていたわけでもなく、私の方が主役の雰囲気に合ってたというだけだろうに、美晴は納得できなかったらしい。
 私の台本は破かれ(もう覚えていたので問題なかった)、
 靴は外靴中靴問わず画鋲が入れられ(履く前に気づいたので問題なかった)、
 もしくは隠され(しかし捨てるまでの度胸はなく大概そばにあった)
 ジャージやTシャツは汚され(どうせ汚れるものだ)、
 雑用を押しつけ(まあ別にいい)、
 話しかけても無視で(今もだけど)、
 必要な連絡をまわさない(これはちょっと困った)。
――まあざっと思い出すだけでこれぐらいだろうか。
 振り返るとしょぼい気がしてきた。当時は部活拒否したくなるぐらい嫌で、結局主役は直前になって美晴のものとなった。以来、一度も美晴と役を争うようなことはしてない。
 それでも引退まで嫌がらせは止むことがなかったけれど。
 今美晴がおとなしいのは、大人になったというよりは、ひとえに王子先輩の存在によるものだろう。イケメンさまさまだ。
 ん? ということは、王子先輩が卒業したら元通りだろうか? 考えないようにしてたけど、嫌だなぁめんどくさい。
「お前タフだな……いやマゾいのか?」
 どちらかと言えばドン引きの視線を送られたが、お褒めにあずかり光栄です。
「どうして高校でも同じ部に入るんだよ」
「いやあもうあっちは演劇やらないと思ったんですよね。次はバド部に入りたいとか言ってましたし」
 現実は甘くなかった。王子先輩がいたから美晴は演劇部に入ってきた。やっぱり駄目だイケメン。そもそもの原因じゃん。
「それにやっぱり、私自身は演劇好きだったので」
 というよりは、きっと未練だ。
 やりたかった。悔しくて本番まで毎晩泣いた。
 川合先輩は言葉を見失ったのか、一瞬口を開けかけて、一旦閉じて、また思いなおす。
「今からでも」
「おっはー。あれ二人だけ?」
 がらりと部室のドアが勢いよく開いた。それまでの空気をぶち壊して、おそらくは文芸部帰りと思われる部長がひょっこり顔をだす。
「おう、おはよう」
 いくらか先輩が気の抜けた顔をした。私も同じ気持ちである。
「おはようございます」
「ってか最近よく二人でいるねぇ……ハッまさか」
 文芸部からかっぱらってきたらしいお菓子を私と先輩に配りながら、部長がにやりと笑う。さっきの川合先輩と全く同じフレーズを使うあたり、三年内で流行っているのだろうか。
「さては川ちゃん、亜紀ちゃんを弟子にしたな!」
 ばん! と振り回すかのごとく遠心力をつけた部長の右手が、川合先輩の背中にヒットする。今のは痛かっただろう。先輩はげほげほとむせている。
 しかし流石部長、ろくでもないこと言うのかと思ったら、微妙にろくでもなさのベクトルが違った。
「いいなぁ。あたしも弟子欲しい」
「残念だが山田は不器用すぎて使い物にならんぞ。さっき破門にしたところだ」
「ひ、ひどい!」
 いつの間にか弟子にされた上に破門だなんて!
「あーそうなの? そりゃ残念。大路も弟子欲しいって言ってたのに」
 そもそもうちの部に弟子制度なんてあるのか。初耳だ。
「ふん、不器用なんだ?」
 確かめるように部長がじっと私を見る。
「ええまあ……」
 なにこの辱め。事実ですけども。
「てかどうしたんだよ。ついに文芸部を追い出されたか」
「人聞き悪いなぁ。衣装の確認作業に部長が来たら駄目かいな」
 三年二人の会話には一年の私は入りにくい。とりあえず貰ったお菓子を食べることにする。おお、手作りのチョコチップクッキーだ。ちょっと嫌な思い出がよぎったけど嬉しい。
「ほかの衣装班は? 大路が来ないのは聞いてたけど」
「来てない」
 短い報告におやまあと部長が肩を竦め、川合先輩の顔をまじまじと見つめる。
「月が見たいのにスッポンを見てもね……良いか悪いかと言われたら勿論悪いけど、その気持ちは分からなくもない」
「おいスッポンの悪口はやめろ」
 クッキーおいしい。これが毎日出るなら部長が文芸部に入り浸る気持ちも分かる。
「使えなさそうな衣装あった?」
「いんや多分大丈夫だろ。それより台本はどうした」
「停滞なう」
 返答に、川合先輩がため息をつく。壁に貼ってある手作りの学祭カウントダウンカレンダーを見た。
「あと一ヶ月半だぞ。ギリギリすぎる。というかアウトだ」
「うーんまあでも出来そう。今思いついたからちょっと見て」
 部長は机の上にルーズリーフをばら撒くと、シャーペンを取り出した。さらさらと丸みを帯びた字で台本を書き連ねていく。
 先輩と私はそれをしばらく見つめてから、顔を見合わせた。
「お前これ……大丈夫か?」
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