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● 魔法長女 すいかwithべいびぃ --- 8.君は彼女だ ●

『これだけは分かって欲ちいのですけど、あたちたちは、宿主の身を第一に考えていまちゅ』
 階段を飛び降りるように走る私の背中に、おんぶ紐でくくりつけられたきらきらがそう言いました。
 変身したからか、先ほどの暗闇はうそのように晴れて、今度は恐ろしいくらい校内が静かに感じます。
『雨莉はまだちいちゃいでちゅ。当然あたちのエネルギーとなる正の感情の量もちゅくない。ちょれにあたちが出てくる間、雨莉は眠っているので、正の感情を生み出ちまちぇん。この前もドロドロを消ちたところで力尽きてちまいまちた』
「それが、こないだから出てこれなかった理由?」
『ちょうでちゅ。魔法のほうちょーを作るのにも力を使いまちたし』
 うかちゅでちた、ときらきらの声は悔しそうでした。
『おねえちゃんに、あたちが目覚める前の話を聞いておくべきでちた』
――目覚める前?
 最初にきらきらが私の前に現れたのは、苗植えをした日の夜です。
 なずながうちにやってきた、その日の夜。
『ドロドロは眠っている他のきらきらにも悪影響を与えまちゅ。あたちのように目覚めてちまったり、この間の男の子のように簡単なことでドロドロになりやすくちたり』
 だから陽由くんの中のきらきらは、お母さんに怒られるってだけで、あんな風になったのか。
 玄関までたどり着いて、靴を履き替えることもなく(というか、変身したら真っ赤なブーツだったので)外に飛び出しました。
 まだ辛うじて明るいと言える空。校門を抜けて、開けた視界に、なずなの中にずっといたソレがありました。
「じゃあ、いつからなずなのきらきらは」
 こんなになるまで、穢れていたのでしょう。
 それは、雨莉くらいの大きさの卵ようにも見えました。
 あたりに黒い靄を撒き散らすその薄い膜の中に、何かがうごめいています。
――これを切れば。
 包丁を強く握り締めて振り上げた、そのとき。
「やめて、すいか!」
 なずなの声に、びくりと体がこわばりました。
 ドロドロの本体、膜の中に黒い手がひとつ張り付いています。
――まるで、生まれようとしている。
「切らないで、お願い」
 声とともにずぶりとその手は膜をつきぬけ、徐々に全身が現れます。
 見えてきたのは、まるで真っ黒いマネキンでした。
 ただ、その顔は、なずなの顔で。
 思わず振り上げた包丁を下ろして、私は思わず飛びずさってしまいました。
『おねえちゃん!』
 非難するようなきらきらの声が背中から聞こえます。
 けれど、包丁を持つ手が震えるのはどうしようもないのです。
――黒いマネキンは、その間にもその全身をあらわにしようとしていました。
 それまで無表情だったマネキンは、つま先が完全に膜の外にでると、真っ黒な顔でなずなと同じ、花が咲いたような笑顔を浮かべました。
「すいか」
 声も、なずなと同じです。嬉しそうに私の名前を呼ぶのです。
『だめでちゅよ、おねえちゃん』
「ありがとうすいか、切らないでくれて」
『だめでちゅ……』
 背中のきらきらの声が力ない。私は包丁を取り落としてしまいそうになるのを、必死に両手で握り締めます。
「はじめまして、ずっと、お話してみたかったの。すいか、なずなの――はじめての友達」
 それは、『ドロドロ』なんて気味の悪い呼称と前評判とは裏腹な、優しげな声色でした。
 けれど私はそれに応えることはできなかったのです。ただ目の前のなずなの顔をした黒いマネキンが恐ろしくて、私の服の背中の部分を握ったまま一言も発しなくなった雨莉と一緒に固まっていました。
「はじめて、なんて、驚いた? 知らなかったでしょ? あのね、なずなったら引越しばっかりだったから、『わたし』以外友達がいなかったのよ」
 張り付いたような無表情のくせに、マネキンは口元に手の甲をやってくすくすと笑うような動きをしました。
「友達が居なくても、なずなの心は穢れなんてひとつもない、強くて美しかったものだった。なのに、あなたと出会って、変わってしまった。一人の寂しさに気付いてしまった」
 マネキンの声に、ひやりとしたものが混じりました。マネキンは動かないし、私も動けません。
「あなたと離れるというだけで、あれほど輝いていたなずなの心が、こんなに汚れて」
 めきめきと音をたてて、マネキンの形がゆがみました。手には同じ闇色の刃が突き出ています。
「――なずなのために、消えてちょうだい」
 反射的に後ろに飛びのくと、元居た位置にとがったとげのような刃が突き刺さりました。黒いもやが周囲に巻き散ります。
『おねえちゃん、逃げまちょう』
 背中のきらきらが、そっと囁きました。
「でも」
『こうなってしまったら、おねえちゃんには無理でちゅ……』
「でも、じゃあ、なずなはどうなるの?」
 きらきらは、答えませんでした。
 あの時、黒いもやに包まれてしまって、私には見る事ができませんでした。ごっちんの反応からして多分、陽由くんの時とは逆でした。
 私がもやに包まれた。
 きらきらの言葉を借りるなら、『ちょういうタイプのちゅとれちゅ』、なのでしょう。
「あなたさえいなければ!」
 黒い刃が再び、マネキンの手のひらが放たれました。
 私の足元をわずかにそれて、地面に突き刺さります。
 きらきらの言葉を素直に受け取ることはできません。私は、背中を向けて逃げるわけにはいかないのでした。
「なずなのばか、高校が別なくらい、なんだっていうの。そんなことぐらいで、避けないでよ」
 それに今、私の背中には、きらきらが、雨莉がいます。妹の身に危険が及ぶこと、それだけは絶対にできません。
 飛んでくる包丁で叩き落そうとはしますが、刃は容赦なく私の体に降りかかり、顔をかばった腕や足を裂いていきます。
 けれど決して、致命傷にはならないのでした。こんなになにもできなくて、こんなに無防備なのに。私なんか、消えてほしいはずなのに。
――初めてあったなずなは、とても寂しげで不安そうでした。
『ドロドロになると、きらきらも苦しいんでちゅ』
 きらきらが背中で呟きました。
『巻きこんでちまってごめんなちゃい。でも――助けてくだちゃい。お願いでちゅ。おねえちゃんにちか、頼めまちぇん』
 目の前の彼女は『ドロドロ』で、もとは『きらきら』という生き物で、決してなずなではないのだけれど。
――それは一人で悩んで苦しんだ、なずなの姿には違いないのでした。
「仲良くなんてならなければよかった!」
 ドロドロの苦しそうな声を聞きながら、包丁を両手で持って、私は深く身を沈みこませました。
「仲良くならなかったらなんて、私は思いたくない。なずなと友達になれてよかったって、思ってる」
「嫌いになればよかった!」
「嫌いになんて、なれないよ!」
 走るのはなずなより私の方が、得意でした。
 刃の弾は、一旦撃ちつくすと作り出すのに一瞬の間があるようです。
 それを見逃すわけにはいきませんでした。
 間合いに入った私をマネキンは真っ黒な瞳に写し、わずかに一瞬微笑んだような気がしました。
「――だいすきだよ、すいか」
 どん、と陽由くんのときとは違って、手ごたえがありました。
「ああああああ!」
 ドロドロの悲鳴が、耳を劈くようでした。
 刺した包丁の周りから、ぴしぴしとマネキンが黒くひび割れて行って、体の半分以上にひびが入った途端、ぱりんとガラスの割れたような音で全身が砕け散りました。
 あとに残ったのは、胸の位置あたりに浮かぶ、両手に収まる程度の大きさの光の玉でした。
 嗚呼、これが。
「これが、きらきら……」
 きらきら、なんて表現より、もっと眩しくて、暖かくて、やさしくて。
 なずなみたいだと思いました。
『ありがとう』
 そんな風にきらきらが瞬いた気がしました。
 そして、音もなくゆっくりと、光の玉は徐々に昇っていきました――空を目指して。
「ねえ、あの子はこれからどうなるの?」
 どんどん離れていくなずなのきらきらを見上げつつ、私はずっと背中にいた雨莉を下ろしました。
 こちらのきらきらは、小さく首をかしげてから、『信(ちん)ぢてもらえるか分からないでちゅけど』と前置きし、すっと小さな人差し指を空に向かって伸ばしました。
『星(ほち)に、なるんでちゅ』
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