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● 魔法長女 すいかwithべいびぃ --- 3.眠くなるまで『きらきら』は出て来ない ●

――ちゃん、おねえちゃん
 まどろみの中、暗闇で声がします。
 それが私を呼ぶ声であることには、しばらく気づかないでいました。じゃあなんだと思ったのかと言われても、寝かけていた脳みそには、答えようがありません。
 何せ私を『お姉ちゃん』と呼ぶ者はそれまでいなかったのです。雨莉はまだ一歳。まだ「まんま」ぐらいしか喋れないので、当然私をお姉ちゃんとはまだ呼んでくれません。お母さんたちも、私を名前で呼びます。
 なんだろう、これは夢?
『おねえちゃん』
 耳元でそうはっきりと呼ばれ、ついに目を覚ましました。
「雨莉……?」
 暗闇の部屋の中、目の前の輪郭は、丸くて小さい。妹の雨莉でした。表情は分からないのに、二つの目だけが爛々と異様に輝いていました。
 電気、電気をつけないと。
『やっと起きまちたね』
 私が半分起き上がって枕元の明かりをつけたのと、雨莉がそう言ったのは、ほぼ同時でした。
 舌っ足らずながらもその流暢な口の動きに、CGか何かを見ているような錯覚を覚え、私は電気をつけたポーズのまま、動くことができません。
――なにこれ、夢? 明晰夢、だっけ?
 何度も言いますが、雨莉は一歳です。それも四月になったばかり。普段は一階の両親の寝室で、川の字の真ん中の線になって寝ているはずです。
 それに私が今眠っていた場所は二階にある自室のロフトベッドなのでした。家の階段をなんとかよじ登ることをようやく覚えた雨莉ですが、梯子は二段上ったぐらいで助けを求めて泣く子です。どうやってここまで登ってきたのでしょう。
「……雨莉、なの?」
 これが夢であっても、そうでなくても、目の前にいるものは雨莉でない。何か得体の知れないものを前にしている、どんなに寝ぼけていてもそれは間違いないと確信できました。
 カーテンを閉め切った部屋の闇は濃く、ベッドに備え付けのライトでは部屋の隅々までは照らすことはできません。その中で、相変わらず雨莉の瞳だけが宝石のように光っていました。
『あたち自身に、名前はありまちぇん。けれど、ヒトの前に姿を現す時、あたちたちは自分たちをこう呼ぶことを許されていまちゅ』
 雨莉(仮)の話し方はなんだか台本を読んでいるようなそれでした。たどたどしいけれど、たどたどしいからこそ、必死に説明しようとしている。
『きらきら』
「きらきら……?」
 確かに瞳はきらきらしているけれど。
『あたちを助けてくだちゃい、おねえちゃん。ひいてはちょれが、雨莉のためにもなるでちょう』
「助ける?」
 聞き返した瞬間、音もなくベッドの上の電気が消えました。
『きらきら』の瞳も光も見えません。
――ちゃん、すいかちゃん
「雨莉!?」
 叫んだ瞬間、足元でがたんと机が音を立てました。前の席の小鬼田さんが、プリントを差し出したまま、困惑した表情をして私を見上げています。背後ではなずなが、苦笑いでため息をつきました。
 私は立ち上がったまま、辺りを見回して
「へ、教室?」
 ドッと辺りから笑いが沸き起こりました。黒板の前では担任の尾花先生があきれた顔をしています。
「……大畑。妹がめんこいのは分かるが、ホームルームには参加しろな」
――寝ぼけた! それも盛大に!
 顔が真っ赤になっているのを自覚しながらすとんと席につき、小鬼田さんに謝りつつプリントをなずなに流してから、じたばたしたい気持ちを抑えて顔を机に打ち付けました。
 ちょっと十分の休み時間にうとうとしただけなのに、夢まで見るほどぐっすり寝てしまうなんて!
 ああ、それにしても、昨日と同じ夢を見たようです。繰り返し見るということは、やっぱり夢だったのかな。
 額を机にくっつけた状態で反省していると、目の前には先ほど小鬼田さんから回ってきたプリントの、『進路希望調査』の文字が目に入りました。
「今回の希望調査は来週の家庭訪問の資料になるからな。まじめに書けよー。特に御形!」
「えーなんで俺―?」
 斜め後ろの席のごっちんが急に呼ばれて不満そうな声をあげましたが、表情はなんとなくドヤ顔です。
「おっ前、去年第一希望に『トイレの女神』って書いたのオレ忘れてないからな。ネタが古いんだよ。まあ明日まであるからゆっくり練ってこい。以上、日直―」
 尾花先生はそう言って日直を促し、皆がたがたと立ち上がってさようならと礼をすると、教室は一気に喧騒に包まれました。
「トイレの女神だめかー。何がいいと思う? 新世界の神は前々回やったしなぁ」
 期待に応える気満々のごっちんが、掃除のために椅子を机の上にひっくり返しながら、真剣な顔をしています。
 いやなんで『神』縛りなのよ。
「普通に書きなよ……おばさんに怒られるよ」
「だって一年の時から星農(ほしのう)って決めてるから、毎回同じこと書いてもおもしろくないだろ」
 そう言うと、ごっちんは本当につまらなさそうにため息をつきました。
 星農とは星見沢農業高校の略です。さすが跡継ぎ、ちゃらんぽらんなようでいて、意識はちゃんとあります。まあでも進路希望に面白さを求める気持ちはわかんないけど。
「でんすけは西高だっけ? 受かんのー?」
……ちょっと褒めたのに、また嫌なこという男です。
「失礼なー。ごっちんこそ、星農は名前を漢字で書けるだけじゃ受からないんだからね」
「むっ、お前も言うようになったな」
 西高――星見沢西高校は市内の公立では一番ランクが上の学校です。正直言って、今の私の学力ではギリギリなところ。
 でも頑張る理由はあります。
「な――七草は? どこ志望?」
「なずなは私と一緒! ね、なず」
 同意を求めようと振り返ると、ちょうどなずなが大きな口をあけてあくびをしている瞬間でした。
「っ!?」
 私とごっちんの視線に気づいて、慌ててなずなが両手で口を押さえて赤くなりました。
「ご、ごめん、えと、うん?」
「珍しいね、なずなも寝不足?」
 あ、やっぱり昨日の苗植えの疲れが響いているのかな。
「うん、ちょっと、ね」
 顔を真っ赤にしてるなずなは見ててとっても可愛らしい。
 ごっちんがちょっと見惚けてから、テンパって話題を変えてしまう程度に。
「あー……しかし保育園から続くお前との腐れ縁もこれで切れるかと思うと俺はうれしくて涙がでるね。せいぜい頑張ってくれたまえ」
「私もごっちんのボケに突っ込みいれなくてすむと思うと嬉しいねー」
「突っ込みって! 可愛げねぇなぁ、御形くんと離れるなんて寂しくて泣いちゃう! ぐらい言ってくれよ」
「無理無理」
 進路が別々でも家が近所なのは残念なことに変わりがないし。残念なことに。
「二人とも、さぼってないでちゃんと掃除しなさい」
「はーい」
「はあい」
 うっかりごっちんのペースに乗ってしまったのを、なずなが一声で掃除にもどします。回転ほうきで教室前方から、ごっちんと二人並んで床を掃いていきます。
「そういや昨日の話だけど」
「ん?」
 ぼそりと呟いたごっちんに、再び掃除の手が止まります。
「カエルが飛び出してきて、七草がびっくりして悲鳴あげてしりもちついたじゃん」
「うん」
 何を突然言い出したかと思えば。
 ごっちんが言っているのは昨日のお昼ご飯の直後の話です。三人で歩いて畑に向かう途中、カエルが草むらからぴょこんと飛び出してきて、びっくりしたなずなが驚いて持っていた苗を巻き散らかしながらしりもちをついてしまった――という小さなアクシデントです。
「女子ってやっぱこうあるべきだなーって」
「はあ」
 確かに可愛かったけれども、それをすべての女子に求めるのはいかがなものかしら。
 ごっちんは私をちらりと見ると、わざとらしいため息をつきました。
「それに比べてお前ときたら、速攻でカエル捕まえて庭にポイだろ。しかも素手」
「えっごっちんカエル素手で触れないの!?」
「触れる! いやそういう話じゃなくて」
 なになにと雑巾で窓側の棚の上を拭いていたなずなが寄ってきました。ああまた一人ちゃんと掃除しない人間がでてしまった。
「でんすけがガサツすぎてつらいって話」
「いやカエルの話なんでしょ?」
 そんなやり取りの後にざっと説明すると、なずなはすこしきょとんとしてからにっこりと微笑みました。
「ガサツなんかじゃないよー。あのまま放置してたらトラクターとかに轢かれたりしちゃいそうで危ないからって、すいかは避難させようしたんだもの。そういうの、優しいって言うんだよ」
「なずな……!」
 さすが私の親友です。
 思わず抱きしめそうになったけど、なずなは棚を拭いたばっかりの汚れた雑巾を持っていたので諦めます。
 優しいって言うなら彼女の方です。こんな風にいっつもフォローしてくれるんです。
「てか御形くんったらカエルの話蒸し返さないでよー。恥ずかしーなーもー」
 思い出し照れをしているなずなに、ごっちんがなぜか釣られ照れをして頬をかき、まあ、なんだ、とごまかす様に視線を私に戻しました。
「あれだ、お前も七草見習って俺が滑ってもフォローしてくれ」
「えっこの話の落としどころってそれなの? よくわかんないんだけど」
 私の突っ込みに、なずながくすくすと笑っています。
――その笑顔が少し寂しそうなことに、そのときの私は気づかなかったのです。
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