アニキがシスコンを拗らせすぎて××になった件について・4

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 バイト一時間半前にセットした携帯のアラームが鳴り響く。
 ベッドに入る前は小夜たちが出かける直前でばたばたした音が聞こえていたが、打って変わって静かな夜だ。小夜はいるはずだが。
 出かける前にシャワーを浴びておこうとのそのそと部屋を出る。――と、廊下で小夜に出くわした。
「あ、お兄ちゃん! あたしのパンツしらない? 青と白のストライプの!」
「ぱんつぅ……? ってお前、またそんな格好でうろうろして!」
 すでに風呂上りらしい小夜は、濡れた髪を乾かさないどころかパジャマも着ないでバスタオル一枚を巻いただけの姿だ。「また」と言った通りそう珍しいことじゃないのだが、まだ夜は肌寒い。風邪をひくぞ。
「パンツは知らん。つかなんで俺に聞く」
「えー、だって昨日の洗濯当番お兄ちゃんでしょ」
 言われてまだ完全に覚醒していない頭を働かす。確かに洗濯当番だったし、該当の下着を畳んだ記憶もある。
「ならいつも通り他の服と一緒にベッドの上においといたぞ。なかったか?」
 そもそも年頃の娘がアニキたちに下着を畳ませることの是非が気になるが。本人が気にしていないんだからいいのか。
「他の服はあるんだけど、パンツとブラだけないんだよね。どっかに落ちたかなー」
「セットでないんかい……どっちも知らないぞ」
「別にお兄ちゃん疑ってるわけじゃないよ」
「当たり前だ」
 言いつつ、何故か一瞬、脳裏にアニキの顔が浮かんだ。
――いやいや、最近言動がおかしいとはいえさすがに……。
「なしたの?」
「いーやなんでも。アニキは」
「まだ帰ってきてないよー。だってデートだもん」
 まあまだ八時半だ。
「デートならもっと遅くなる、よ、な……」
 口にしてから、小夜につられたとはいえあの二人の外出に『デート』という言葉が自分の中に沸いた事に少なからずショックを受けた。やはりそういう系統の想像がまったくできない。
「ま、まあ、諦めてとりあえず他の着ろよ。ないわけじゃないだろ風邪ひくぞ」
「えー、今日はアレの気分だったのになー」
 頬を膨らまして小夜は居間の方へ踵を返し、三歩で振り向いた。
「あ、炒飯少し残ってるけど食べる?」
「食べる」
 ぱたぱたと足音をさせて部屋に戻る小夜の後ろをついて居間に入った。ソファの横の床に黒い鞄が置いてあるのに気付く。
「あれ、これ、登坂さんのじゃね」
 二泊ぐらいできそうな大きさのスポーツバッグにいつも登坂さんは勉強道具やなんかを詰めてやってくる。
「あーうん、映画見るのに邪魔になるからって置いてったよ」
 それだけ答えて小夜は自室に入って行った。
「てことは戻ってくるのか……」
 まさか泊まるとか言い出さないだろうな――それは色々、なんか心配になる。アニキの部屋俺の隣だし……。
 考えてはいけない領域に踏み込みそうになったのを何とかおしとどめて頭を振る。やめよう。俺には炒飯が待っている!
 しかし台所に向かおうと鞄を跨ごうとして気付く。鞄の置いてある位置は微妙に邪魔な導線上で、ソファに対しても斜めになっており、普段きっちりと邪魔にならないような壁際やソファの隅に置いてくれる登坂さんらしくない。鞄のファスナーも半開きだし。
 見下ろすと、嫌でも鞄の中身が見える。バインダーや本、ファイル、それらに絡みついた青い紐、というよりは平たい帯のような――。
 見覚えがあるどころか、数秒前まで話題の中心にいたそれに酷似しているような。いや、でも見間違えかもしれない。気のせいかもしれない。
 小夜はまだ着替えから戻ってくる様子はない。
 迷わなかった。そっと半開きのファスナーの隙間から手を差し込み、紐を引っ張る。
 ずるり、と引き抜かれたそれは――どうみても小夜が探していたブラジャーです。本当にありがとうございます。
「な」
 引き抜こうと思った時点で予想はついていたものの、いざそうだと分かると思考が停止する。
 なんでこれが? 登坂さんの鞄に?
「こっちがあるということは、パンツも……」
 ファスナーの隙間からはそれを見る事はできなかった。開けて確かめるべきか、流石にそれは迷う。
 見なければよかった。このまま気付かなかったフリをして、下着を鞄にしまって、ファスナーをぴったりしめてしまった方がいいのではないか。――ダメだ、スルーするなんて俺にはできない。
 きっと何かの間違いだ。小夜の部屋で勉強したときに、紛れ込んでしまったんじゃないか。――いや、そんなことありえるだろうか? 気付かないわけがない。
 だけど、登坂さんが故意に小夜の下着を盗もうとする理由なんてないはずだ。そもそも盗むのならもっと鞄の奥底にしまいこんで、見つからないようにするものではないのか。
 じゃあ、なんで?
「ただいまー」
「お邪魔します」
 玄関の開く音とアニキたちの声に、ハタと我に返る。
 まずい、小夜の下着を掴んだままだ。開けっぱなしの登坂さんの鞄を前にしたこの状況じゃ俺の方がヤバイ。
「あ、おかえりお兄ちゃん!」
 自室から小夜が飛び出してきて、居間に入ってくる二人を出迎えた。咄嗟に俺は後ろ手にそれを隠して、少しずつ後ずさる。
「お土産はー?」
「ほらよ、プリン。コンビニのだけど」
 幸いにも例によってアニキの注意は小夜ばかりに向けられているし、登坂さんはそれを見て苦笑いをしている。
「やったー! 冗談で言ったのに!」
 小夜が嬉しそうに飛び跳ねてコンビニの袋を受け取り、ガサガサ音をさせながら、テーブルの上に四つ、プリンの容器を並べはじめた。
 俺は限界まで距離を取ったものの、ここから一体どうしたらいいのだろう。いくら大きくはないと言ったって、ジーンズのポケットにねじ込めるはずもなし。
「どうした仲也。今日はちゃんとお前の分も買ってきてやったぞ。バイト行く前に食ってけよ」
 普段は空気以下の扱いの癖に、こんなときに限ってアニキが俺に声をかける。デートだかなんだかが楽しかったのか、機嫌がよさそうだ。だからこそバレた後が怖い。
 登坂さんは登坂さんで、大事そうにパンフレットを抱えていた。袋をもらえなかったのかむき出しのそれは今話題のアクション映画のそれで、なんとなく恋愛映画とかじゃなくて良かったと少しほっとする。
「出かける前で忙しいのにごめんね。俺もプリン食べたら帰るから」
 登坂さんがそう言いながら、パンフを仕舞おうとソファの横に置いたままの自分の鞄に近づき、異変に気付く。
「あれ? 鞄開いて――」
「登坂さ」
「お兄ちゃん! それ!」
 登坂さんの疑問と、俺がそれを止めようとする言葉をかき消して、小夜が高い声を上げた。
「見つけたの!?」
 指差したのは俺の背中の方だ。しまった、鞄に意識が取られて、小夜の方からは丸見えになっていた。
「もーそれならそうと早く言ってよー」
 流石に赤の他人である登坂さんに見られたくないのか、こそこそと俺を自分の部屋へと引っ張っていかれた。
「見つけた? 何が?」
 めんどくさいことに、怪訝な顔したアニキまでついてきた。
 いいからお前は向こうでプリン食ってろよ。
「その……下着が……見つからなくて、探してたの」
 さっきまでタオル一枚で頭濡れたままうろついていた奴とは思えないような恥ずかしそうな顔で小夜がごにょごにょと答えた。聞き取れなかったのか理解できなかったのか、アニキは怪訝な顔をしたまま「あ?」と低い声をあげた。
「そんなことより! どこにあったの?」
「やー……」
「あれ、上だけ? 下の方は?」
「その……」
 何一つ答えられずに口ごもる俺に、小夜が不思議そうに首をかしげた。真実を話すにしても嘘をつくにしても、アニキがここにいるのではヤバすぎる。
「大翔」
 悩む間に、居間からアニキを呼ぶ登坂さんの声が聞こえた。
「んー?」
 アニキが振り向くと、それまで陰になっていた登坂さんの姿が俺の位置からも見えた。鞄を見下ろしている。
「やべっ」
 思わず口走った俺をアニキは一瞥し、立ち尽くしている登坂さんの元へ歩み寄り、彼が指差す鞄のそばにしゃがみこんだ。
――アニキ、しばしの沈黙。
「なに? なに?」
 ドアをふさぐように立っていた俺の後ろで、状況を理解していない小夜が一人ぴょこぴょこと飛び跳ねた。
「仲兄ぃどいてよー、どしたのー?」
 俺を押し退けた小夜が居間に入ると同時、アニキが登坂さんの鞄の中からアレをつかんで立ち上がった。
「――ってえっ、えっ、ひゃあああ!」
 アニキの手にある水色の縞の布地に気づいて、小夜が悲鳴のような声をあげた。飛びつくようにして自分の下着を奪い、真っ赤な顔で俺たち三人の、特に登坂さんの視界に入らないよう背中に隠す。
「なな、なんで!? どういうこと!?」
「俺が聞きたい」
 俺だって聞きたい。
 そうアニキの声に同調するより先に、アニキが目の前にいた。握り拳が振りあげられる。
「大翔!」
「お兄ちゃん!」
――衝撃は、予想よりも軽かった。
 それでも俺はその場に踏みとどまれず、勢い余って小夜の部屋の中で尻餅をついた。どちらかと言えば、そちらの方が痛い。
「仲也! お前――」
「お、俺じゃねぇよ! 見つけただけだ!」
「見つけたあ?」
「暴力はダメだよ!」
 小夜が割ってはいった。登坂さんもまだ握りしめたままのアニキの腕をつかんでくれている。
「修の鞄の中からか。……開けたのか、お前」
 しかしアニキの冷たい声は小夜の頭上を通り過ぎて俺に向けられたままだ。
「開いてて、見えた、から」
 バカ正直な俺の答えに、アニキが自分の腕をつかんでいる登坂さんを睨んだ。離せ、とぶっきらぼうに言って彼の腕をふりほどく。
「や! でも登坂さんが盗ったってことじゃ」
「黙ってろ」
 ぴしゃりと俺の言葉をはねのけた。
「大翔」
 登坂さんはアニキの名を呼んで、困ったような顔をしている。いや、実際困っているだろう。多分、濡れ衣なんだから。
「俺もお前が盗ったとは思ってない。でも、悪いけど、お前の鞄から出てきたのは事実だし、今日のところは帰ってくれ」
「お兄ちゃん!」
「……大翔」
「ごめんな。また連絡する」
 顔をそむけたアニキに何かを言いかけた登坂さんは、それを飲み込むように開いた口を一度閉じ、そして小さく頷いた。
「……分かった」
 そう言って、登坂さんはまだ俺の前でオロオロしている小夜に微笑みかけた。
「ごめんね小夜ちゃん。一応俺の鞄確認してもらえるかな」
「え、でも」
「他にも入ってたら困るし、ね」
「はい……」
 おずおずと小夜が鞄の前に向かった。その間、アニキはソファにどっかりと腰を下ろして、組んだ指を額に当てて深い溜息をついた。
 俺も立ち上がって、別に汚くないのになんとなく尻を払う。飯を食うつもりだったのに、そんな気分でも空気でもない。
「多分大丈夫、です」
 俺は食卓テーブルの椅子に座り、鞄の中を改めた小夜がそう言うのを黙って眺めていた。
 登坂さんは鞄の受け取り、彼の方を見ようともしないアニキの方をちらりと見た。
「じゃあ、お邪魔しました」
 小夜が玄関まで登坂さんを見送りに行って、元々静かだった居間の静寂が更に耳に痛いようだ。
 それまで身じろぎ一つしなかったアニキが、低い声で呻いた。
「仲也、……殴って悪かったな」
 べつに、と答えながら、俺はテーブルの上にあったプリンの蓋を乱暴に開けた。


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