アニキがシスコンを拗らせすぎて××になった件について・3

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「俺はキャベツのみじん切りを頼んだのであって、指先のみじん切りは頼んでないんだが」
「ごめんー」
「先生って、ぶきっちょなの?」
「お前ほんとその真顔でマジレスやめろよ」
 登坂さんが家にくるようになって、一ヶ月ほどがたった。
 今ではすっかり小夜とも仲良く馴染んでしまい、今日だって家庭教師はない土曜なのに、普通にアニキの友達として――恋人として、というとなんか違う気がする――遊びにきている。
 といっても、相変わらず俺とは大して接点はない。
「いやー、スライサーなんて初めて触ったから」
 アニキに絆創膏を貼ってもらった指を眺めながら、登坂さんが苦笑いを浮かべた。
 登坂さんが途中までやったキャベツのみじん切りは、俺が引き継いで居間のテーブルの上に置いたボウルの中で塩をまぶした状態で、こんもりと山を作っている。今日の昼飯は、小夜のリクエストで手作り餃子だ。
「初めて……?」
 カルチャーショックを受けたような小夜の顔。
「先生は一人暮らしなんでしょ、料理全然しないの」
 しないなーという暢気な登坂さんの声を聞きながら、キャベツの水分を切って、先に下味を付けた豚挽き肉に生姜と一緒に混ぜて捏ねる。今日は俺もバイトだし、小夜も午後から部活だから、ニラやらにんにくやら、匂いのでるものは入れない。
 アニキが冷蔵庫から市販の餃子の皮を取り出してきて、一枚ずつまな板の上に並べはじめた。包むのはアニキと小夜の仕事だ。四人分、しかも食べ盛りの小夜と、俺より細そうなのに意外と食べるらしい登坂さんのため、百個作るのでなかなか大変だ。
「つかこいつん家、包丁どころかガス台も冷蔵庫すらないからな」
「れ、冷蔵庫もない!?」
 小夜のリアクションは悲鳴のようだった。俺も似たり寄ったりの気分で、作業の手をとめ、頷く登坂さんの顔を見た。
「あーうん、ないよー。台所にあるのはレンジとお湯沸かす電気のポットだけかな」
「初めて家に行った時なにもなくてびっくりしたわ……」
 こんなに呆れたアニキの声を聞くのは珍しい。登坂さんは驚かれるのが嬉しそうに、にこにこしながら説明してくれる。
「料理しないから、冷蔵庫いらないんだよ。買ってきたものはすぐに消費しちゃうし」
「牛乳は!? 先生牛乳は飲まないの?」
 牛乳かよ。お茶とかじゃなくて。牛乳命の小夜らしい突込みどころだ。
「牛乳なんてしばらく飲んでないなぁ」
「じゃあご飯はずっとコンビニとか外食? 体に悪いよー」
「ミールカード持ってるから一日一回は学食だし、大丈夫」
「ミールカードってなに?」
「ん、簡単に言うと学食の定期券みたいなもん。前払いで一日千円までなら食べ放題になる」
「へー」
 アニキの説明に、小夜が感心するような声で頷いた。まあどっちにしろ外食にはかわりがない気がするけど。そういえば最初のころ、小夜が作った夕飯を食べて家庭料理は久々だとか言ってたっけ。
 まあ、それはさておき。
「つか、そろそろいいから餃子包んでくれよ」
「はーい」


「あー満足満足。ごちそうさまー」
 百個の餃子が無事に食べつくされ、その内の三割は食べたであろう小夜が満足そうにお腹をなでた。今は部活があるからいいが、中体連が終わって引退したあともこの調子で食べたら間違いなく太りそうだと、若干見ていて不安になる。
「おいしかったよ、ごちそうさま」
 食器を下げるのを手伝ってくれながら、登坂さんが炊事当番だった俺に言う。それを聞いてへへーんと胸を張ったのは、隣で麦茶を一気飲みした小夜だ。
「仲兄ぃがうちで一番お料理上手いんだよ!」
「そうなんだ?」
「大兄ぃはお肉焼いただけーとか魚焼いただけーだけど、仲兄ぃはちゃんとバランス考えて、しかも本とか見ないの」
 目の前で自慢されて、なんだか気恥ずかしい。と同時にアニキが嫉妬でこっちを睨んでくるからやめてくれないかと思う。というか本だって初めての料理なら見るし、野菜も取らなきゃなーレベルでちゃんと考えているわけじゃない。
「言われて見れば確かに、前に作ってくれたときも鮭だけだったね」
「そりゃお前、包丁もない弁当温められるだけのレンジしかないお前んちで、それ以上なにしろってんだよ」
「へー、作ってるんだ、登坂さんちで」
「一回だけな」
 もう二度とやらねぇよと不貞腐れたように吐き捨てた。
 大人げない。
 それにしても登坂さん相手にも俺様してるのかと思ったが、一応気を使ったりしてるのか、。あんまり想像付かん。
「修、映画何時からだっけ」
「えーっと、六時五十分だよ」
「まだ大分あるな、それまで何する」
 テレビを見ながらぐだぐだし始めたアニキたちを尻目に、俺は焼くのに使ったホットプレートを片付け、洗い物を始めた。
「今度はみんなでお好み焼きやろうよー。あたしが作るからさー」
 小夜の言葉に、どうせなら今日も小夜主導でやって欲しかったと思わなくもない。今日は全員予定がばらばらで、夕飯作らなくていいから楽だと思ったのに、思わぬ手間だった。
「小夜ちゃん、携帯光ってるよ」
 洗った食器を片っ端から拭いて片付けてくれていた小夜が返事をして、例によってテレビ台の横に置きっぱなしの携帯のところへ駆け寄る。
「誰から」
 すでに険のある声でアニキがそれを覗き込んだ。
「まさか男!?」
「違うよー、同じバド部のすみれちゃん」
 仮に男であっても、この状況でそうは言えないだろうなと思う。
 小夜が彼氏を作るには、このシスコンバカアニキが存在する限り至難を極めるだろう。多分どんなハイスペックな男を連れてきても超がつくほどの修羅場になる。
 小夜はメールを見たあと、うーんと小さく唸ってから登坂さんの方を振り返った。
「先生、金曜に出た数学の宿題なんだけど、どうしてもわかんないところがあるの」
「うん? いいよ、見せてごらん」
 気安い調子で登坂さんが頷いてくれたが、小夜はすぐに宿題を取りに行かずに、もじもじと手を後ろで組んだ。
「えと、その、あのね、先に友達に聞いたんだけど、その子も分からなくて困ってて――先生がよかったら、一緒に教えてくれないかなーって、ダメかな?」
「いいよ」
 言いにくそうだった小夜とは裏腹に、登坂さんは至極あっさりと頷いた。パッと明るくなる妹と反比例するように、アニキの眉間にしわが寄る。
「じゃあ呼んでくるね!」
「呼ん……?」
 言うなり小夜は玄関へと駆け出した。がちゃんと鍵が開く音とともに、「いらっしゃい」と「おじゃましまーす」の声がする。
 もしかしなくても、さっきのメールの時点で外に待機していたんだろうか。行動はえー。
 ソファでアニキがため息をつく。
「あーあ、いいのか安請け合いして」
「えっそんな悪い子なの?」
「そーじゃなくて……いやお前がいいってんならいいけどさ。休日手当とかでないぞ」
「まあ、餃子ご馳走になったしね、その分働くよ」
 ソファの脇に置いて合った黒い鞄を引き寄せ、バインダーと筆記用具を取り出して、授業の用意を始めた登坂さんに、アニキはまだ渋そうな顔をしている。
「……悪い子じゃないけど超苦手なタイプだな」
 明るい笑い声と足音が近づいてくる。
 俺は洗い物を終えてエプロンをはずした。あまりよその人に見られたいと思う姿ではない。小夜が作ったくまのやつだし。
「こんにちは! おじゃましまーす」
 いかにも体育会系な威勢のいい挨拶で、小夜の友達、すみれちゃん(苗字は知らない)は居間に入ってきた。小夜と同じ紺色のバド部のジャージの下を膝までたくし上げ、身長の半分ぐらいありそうなラケットバッグを背負って、どうやらこのまま部活に行くらしい。
「先生、この子が大崎すみれちゃん、私とダブルス組んでるの」
「突然すみません。よろしくお願いします!」
「登坂です、よろしく」
 彼女が動くたびにじゃらじゃらと、ラケットバッグにつけたストラップやキーホルダーが賑やかに揺れた。
「――今日はお兄さんたちどっちもいるんだね、なんか男の人ばっかりで緊張するなぁ。うち家族お父さんしか男いないし」
 すみれちゃんは俺とアニキをちらちらを見てから、小夜にこそこそと囁く。いやまあ、完全に聞こえてるけど。
「あー、すみれちゃんち三人姉妹だっけ。大丈夫、噛み付いたりしないよ!」
 確かに噛み付かないけど、他になんか言い様ないのか。
「じゃ、部屋いこー。はやくはやく!」
 登坂さんをつれて、二人は賑やかにやってきて賑やかに去って行った。とはいえ、小夜の部屋は居間のすぐ隣なので、扉一枚隔てた向こうから小夜の笑い声が聞こえるが、俺とアニキが居間に残されると、会話もないし、途端に静かに感じる。
「俺も部屋に戻るか……」
 週明け提出のレポートが残ってる。さっさと終わらせてバイトまで寝たい。
「おい」
 出て行こうとした俺に、ソファに不機嫌そうにふんぞり返っていたアニキが口を開く。
「仲也、お茶持ってってやれ。ついでに部屋の様子見てこい」
「はあ? なんで俺が。これからレポートして仮眠すんだよ。自分でやれ」
 吐き捨てた俺に、ソファのアニキが深刻そうなため息をつく。振り返って見たらうつむいて軽く頭を抱えていた。
「あの子絶対俺のこと好きなんだよ……見たらわかる」
「死ね」
 何を言うかと思えば、自惚れにも程があるだろ。そもそもたまに遊びに来てるっぽいが、顔を合わせるのは俺だって三回目ぐらいなのに。
「モテないお前にはわかんないだろうけど」
「じゃあ尚の事自分で行ってくれば」
「小夜以外興味ねぇよ!」
 小夜以外は余計だ。ホントまじでやめてくれ。冗談なのかガチなのか判断付かないけどほんときもい。
「うっかりマジに告白されでもしたら困るじゃねぇか。第一俺には今修がいるし」
「されてからそんな心配しろ。どっからくるんだその自信」
 男に走るのと、八歳差の、しかも中学生の妹の友達に手を出すこと、どっちが人としてやばいのだろう、などとふと思ったが口には出すまい。
「じゃあ告白されても男にしか興味ない、でいけばいいじゃん」
「それじゃあ小夜の外聞が悪くなるだろうが!」
「いまさら!?」
 気にするならそもそも男と付き合うなよ。
「アホらしい」
「あ、こら行くな!」
 逃げようとしたら、シャツの裾を掴まれた。
「……お茶なら欲しけりゃ自分たちで取りにくるだろーが」
「じゃあ俺に淹れてくれ。できたらコーヒー」
「それが本音か!」
 付き合ってられるか。


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