繋がる星と願いと

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2030年3月19・20日

「そんな」
 春分の日前日。輪華の元に訃報が飛び込んできた。
 亡くなられたのは、老人ホームでいつも囲碁の相手をしてくれていたおばあさん。旦那さんを早くに亡くされて、子供もいなかった彼女は、輪華のことを大層可愛がってくれた。先週の末に風邪を引いたと面会がキャンセルになってしまって、心配していたというのに。
「お通夜は今夜で、お葬式は明日の午後かららしいのだけど」
 知らせてくれた犬養さんは心配そうにどうするかと尋ねた。
 俯いていた輪華は、入院着の太もものあたりを握りしめて顔を上げた。
「……出たい、です。お別れを言わないと」
 犬養さんは心配そうな顔をしたものの、すぐに「分かったわ」と了解してくれた。
 取り急ぎお通夜にはぬいぐるみリンクで参列した。茶色いウサギは他の参列者から物珍しく見られたものの、事情を知ると皆理解してくれた。
 輪華はぬいぐるみの向こうでおばあさんを想って泣いた。もっといろいろなことを教わりたかった。漫画でしか見たことのなかった囲碁のルールをきちんと覚えたのはおばあさんのお蔭だった。やっと一勝することができて、再戦の約束をしていたのに、果たされなかった。
「大丈夫?」
 犬養さんは明日のスケジュールの心配をしてくれたが、輪華はそれでも、変更などはせずにすべての予定を乗り切るつもりだ。
 明日の予定は大まかに言えば六つ。ボランティア先の幼稚園の卒園式、病院内で入院中の児童の女の子のお誕生日会。星見会でなるべく多くの星が見えるように、義眼のメンテナンスとその慣熟訓練もしなくてはならない。加えて、お葬式と、最後に星見会。本当に分刻みのスケジュールだ。
 お葬式にでるのなら、星見会はギリギリだろう。もしかしたら、間に合わないかも――そこまで考えて、輪華は首を振る。
 あきらめたくない。
 輪華は涙を拭って、小さく気合を入れるように両手を胸の高さで握りしめた。


 この年の春分の日は、雲一つない晴天となった。きっと夜空も綺麗な星が見えるだろう。
 輪華は余所行きの服を着て、まずぬいぐるみと共に幼稚園に向かった。
 実際に幼稚園を訪れたのは初めてだ。ぬいぐるみ越しで見るよりも、自分の目線が高いためか園内も園児たちも小さく感じる。
 式はつつがなく行われた。園児たちが『はじめの一歩』を歌っていた。輪華も陽奈と一緒に当時歌った曲だ。懐かしく感じて、少し昔を思い出して泣きそうにもなる。
「うさぎのおねえちゃん!」
 迎えに来てくれた輪華の母と一緒に幼稚園を後にしようとする輪華に、小さな女の子がそう言って呼びとめた。
 卒園生なんだろう、胸にお花を飾り、可愛らしいリボンを頭に結んで少しおめかしした彼女は第一声こそ元気に声をだしたものの、あとは恥ずかしそうに、自分のお母さんの後ろに半分隠れている。お母さんはニコニコしながら娘を押し出して促し、ようやく前に進み出る。
「いっつも、えほんよんでくれて、ありがとう」
 そう言ってはにかみ、また後ろに隠れてしまった。
「お姉ちゃんが絵本を読んでくれるようになって、この子も自分から絵本を読むようになったんです。ありがとう」
 お母さんから補足するように再びお礼を言われ、輪華は思わず両手で口元を覆う。なんとか「いいえ」と言って、涙声で「こちらこそ、ありがとう」と答えた。
 女の子とバイバイして別れて、母親の運転する車に乗り込む。
「良かったわね」
「……うん」
 同じく涙声の母親に、輪華は素直に頷く。
 車は病院に折り返し、急いでお誕生日会の会場に顔をだした。プレゼントは、輪華と同じウサギのぬいぐるみだ。ぬいぐるみリンクは繋がっておらず、動かないそれだけど、とても喜んでもらえた上にお返しに折り紙で折ったお花までもらってしまった。
 お花を持って、今度は義眼のメンテナンスだ。サーバー側の処理プログラムを先生と一緒に更新する。なるべく多く星が見えたらいい。日常生活を送るには少し不便な設定だが、急いで慣熟訓練をこなした。今日の残りわずかな一日ぐらいなら平気だろう。
 その後喪服に着替え、犬養さんに付き添ってもらっておばあさんの葬儀に参列した。本来なら病院のサーバーとの回線が繋がらないほど離れた場所であるが、今年開発されたばかりの車載式衛星通信機器を使わせてもらえた。使える時間帯の制限はあるけれど、これで今までよりもぐっと行動範囲が広がるのだと言われて、視界が少し明るくなったような気がする。
 やはり少し泣いてしまいながら、輪華はおばあさんに今までのお礼を言ってお別れを済ませる。おばあさんの遺言で形見にしてほしいと、施設の職員さんから碁盤と碁石のセットを渡された。おばあさんが好んで部屋に置いていた、ラベンダーのポプリの香りがする。
 母親と合流し、今日一日の最後の予定である星見会の会場へ喪服のまま向かいながら、輪華は車の中で少しぼんやりする。窓の外を見つめ、今までのことをじっと思い出す。何かあったかい気持ちが沸き起こってくる気がしたが、それが一体なんなのか、輪華はまだ名前を付けられない。
 涙はもう、止まっていた。
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