繋がる星と願いと
2029年3月21日
「こんにちは」
白髪交じりの男性が輪華の病室を訪ねてやってきたのは、それから数日後のことだった。
「……こんにちは」
男性は病室の入り口で一度立ち止まり、不安げな顔をした輪華に優しく微笑んだ。
「松村と申します」
入室の許可を求められ、じっと彼を見つめた後、輪華は掠れた声でどうぞと答えた。シリウスが居ないと口数が減る。声が思う様にでなくなる。
それからすぐに思い出して、丸椅子をベッドの下から引っ張り出した。特有の低いモーター音が近づいてきて、輪華はハッと顔を上げた。松村氏と目が合い、慌てて輪華は椅子を勧めると、ありがとうと礼を言われてまた微笑みかけられる。
松村氏は自然な動きで椅子に腰をかけると、モーター音はぴたりとやんだ。
「私は、君がシリウスと呼んでいた、そのライオンのぬいぐるみを操っていた青年を支援していた者の一人です」
思わず、輪華はライオンのぬいぐるみを抱きしめた。
初対面であるものの松村氏がそう言う前から、輪華は薄々彼が何者であるのか察しがついていた。
胸のポケットに覗く携帯電話に、中年男性が付けるには不釣り合いな可愛らしいライオンのマスコットが揺れている。それは今、輪華が抱きかかえていたライオンのぬいぐるみとまったく同じデザインだ。
「シリウスに……何かあったんですか」
尋ねる輪華の声は震えていた。抱きしめる力が強すぎて、少しゆがんだライオンの顔が切なげに見える。
松村氏が笑顔のまま、眉間に皺を寄せた。泣くのを我慢するような、そんな表情に思えた。
「……亡くなりました。一昨日の午前六時に」
小さなため息に乗せられたその言葉に、輪華は息を詰めた。
まるで世界に二人だけしかいなくなったみたいに、病室はしんと静まり返る。ずんと心が重くなった。シリウスが動かなくなり、何となくそんな予感がしていて、しかしそうでないことをこの数日間祈り続けていた。
「あ、の」
唇が震えた。一度唇を噛んで、それを我慢し再び喋ろうとする。
「わた、私、自分が話すばっかりで、シリウスのこと、全然知らないんです。……教えてくれませんか」
つっかえながらそういうと、松村氏は何故か「ありがとう」と言った。
「シリウスは、君と同じように事故で重い脳機能障害を負ってアメリカの病院に入院していた、十八歳の男の子です。障害は重く、機械による支援がなければ、自力で意図的に動かせるのは瞼だけ。視覚も機械支援を受けていて、聴覚だけが残されているに近い状態でした」
松村氏が鞄から写真を出して見せてくれた。彼の隣に見覚えのあるライオンのぬいぐるみを膝の上に載せて、車いすに座る痩せ細った青年が写っている。彼が、シリウス――本名は、リアムと言うそうだ。
「全身麻痺の為に食事も困難な状態でした」
――それはどんな味がするんだい?
シリウスの無邪気そうな問いを思い出す。普通だなんて言わないで、もっと答えてあげるべきだった。
「そんな状態であっても、彼は世界中の人たちとコミュニケーションをとり続けることを望み、自分のサイバネティクス機器を転用した、ぬいぐるみリンクを支援者と共に開発したそうです。私がまだ彼と知りあう前の話なので、伝聞ですが」
松村氏が自分の右ひざを撫でた。
「松村さんがシリウスと知り合ったのは……やっぱり病院でなんですか?」
ぶしつけな質問ではないかと不安になりながら、輪華はその膝をちらりと見た。不安をよそに、松村氏は穏やかな表情で頷く。
「そうです。私も災害で右ひざから下を失い、サイバネティクス技術の支援を受けています。落ち込んでいた私に医師がシリウスを紹介してくれたのが、きっかけです」
携帯ストラップのライオンが揺れる。彼もまた、輪華と同じようにぬいぐるみを通してシリウスと話をし、そして救われた。
「あなた宛てに彼からメッセージがあります。どうか受け取ってください。あと、これは私たち支援者から」
松村氏は大小二つの封筒を置いて、帰って行った。同じサイバネティクス技術の義足を使っている以上、サーバーのある病院からあまり離れることはできない。彼は彼の病院へ帰るそうだ。それでも足取りはまっすぐで、迷いがないように思えた。
輪華は小さな封筒を開けた。シリウスの直筆なのか、少し癖のある筆記体の英文を、辞書を引きながら何とか読む。
手紙の内容は、シリウスは自分が長く生きられないことを知っていたこと、輪華の回復を待たず別れてしまうことを詫び、悲しまないでほしいと彼女を励ます内容の手紙だった。
手紙の締めくくりにはこう書かれていた。
『君は一人じゃない。たくさんの仲間が君を待っているよ』
輪華は手紙とライオンを一遍に抱きしめた。
シリウス――それはもっとも輝きの強い、導きの星。
輪華を始め、自分と同じ境遇に苦しむ人々を導いた彼は、故にそう呼ばれた。
松村氏が置いて行ったもう一つの大きな封筒は、シリウスを支援していた者、彼に導かれていた者が彼の遺志を継いで、「ぬいぐるみリンク」を用いて社会参加・社会貢献活動をする者たち、リンカーの為の協会をつくろうというパンフレットだった。
「輪華ちゃん、リハビリの時間よ」
「あ――はい」
ナースに呼ばれて輪華は読みかけのパンフレットをテーブルの上に置いた。
――どんなに小さなものでもいいから、この世界に足跡を残したい
シリウスの願いを思い出す。彼にもらった、たくさんのもの。
自分にも何かできないだろうか。そう考えながら、輪華はベッドからゆっくりと立ち上がった。
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