5b.

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 カツ、カツ、カツ、カツ
 メトロノームのような、規則正しいウインカーの音が車内に響く。
「ウ、――コウ?」
「……あ、ごめん、ぼんやりしてた」
 数度の呼びかけで漸くハッと顔を上げた香介に、運転席の敦哉が怪訝な色を浮かべて覗き込む。
「大丈夫かよ、顔色悪いぞ? 寒かったり暑かったりしたら言えよ?」
「大丈夫、ありがとう。ちょっと寝かけてただけだから」
 なんだよそれ、と敦哉はあきれた声をあげた。
 苦笑しつつ意外と心配性だよね、と香介が言うと、彼は思いっきり顔をしかめる。
「この俺が心配したくなるほど酷いって思えよ。風邪治ってないのか? ちゃんと病院行ったのかよ」
 信号が青になって、車は進みだす。
 敦哉の問いに、香介は曖昧に微笑んだだけだった。
「それで、何の話だっけ?」
「クリスマス。今年はどうするって篠原が」
「クリスマス? ああ……そうだねぇ。どちらにせよ、今から大きなことをするのは難しそうだね……。去年はスキーに行ったんだっけ? でも丁度土日だったからできたことだし」
 ああ、と低くうなずいた敦哉に、くすくすと香介は笑った。
「敦哉なんて、受験生抱えてたのにね」
「十二月なら少しぐらい……いいだろ」
 ばつが悪そうな敦哉の声に、さらに香介の笑みは強まる。
 そういえばと、ふと思い出したように彼のくすくすがとまり、少しいたずらっぽい笑みを残したまま、敦哉をちらりと見た。
「そのちょっと前に、彼女にプロポーズされたんだよね」
 キキーッ!
 けたたましいブレーキ音と共に、車が赤信号で急停止する。
 慣性の法則で前につんのめった香介が、戻った反動で後頭部をぼすんとシートにぶつける。
「危ないよ、敦哉。いくら誰も居ない道だからって……」
「お前がいきなり変なこと言うから!」
 頭をさすりながら抗議する香介に、敦哉はあせったように手をバタバタさせた。
「プロポーズって!? 『ちょっとその前』ってことは去年今頃のちょっとその前ってことか!? プロポーズってことは結婚だろ!? しかも『した』ならともかくいや駄目だけど『された』って何だよ!? なんでそんな大事な黙ってたんだよ!!」
「敦哉……日本語がちょっとおかしいよ? ちょっと落ち着いて」
 古典が専門とはいえれっきとした国語教師に、注意しながら香介は苦笑をもらす。
 敦哉は口をぱくぱくさせてから、香介の指示に従って深呼吸を一つする。
「彼女の冗談だよ。OKしたら逆に断られちゃったし」
「はあ!? 冗談!? お前の彼女は冗談でプロポーズするのか!」
「する人だよ。敦哉だってそれなりに知ってるでしょう?」
 香介の言葉に、敦哉は眉間に皺をつくって「確かにあいつならやりかねん」と低く呟く。
「もし万が一冗談じゃなかったら、今頃こうして敦哉の車には乗ってないでしょ」
「そう……か?」
「そうだよ。早く帰って、奥さんの相手をしてあげなきゃ」
――『あの彼女』に限って、そんな必要はないだろ、絶対。
 人の恋人に流石にそこまでは言えず、敦哉はとりあえず同意する。
「今が、ずっと続けばいいのに」
 どこか遠くを見つめながら、香介はぽつりと呟き、そしてげほっ、と背中を丸めてむせこんだ。
「おい、大丈夫か?」
「だいじょうぶっ……青だよ、信号」
 背中をさすりかけた手が宙をさまよって、ハンドルに戻る。
 再び車は進みだす。
「敦哉」
 もう一つ先の信号を曲がれば、香介の住むマンションが見えてくる。
「ん?」
「……僕が結婚したら、寂しいかな?」
 静かな問い。前方に集中したまま、敦哉は突然の質問の意図を測りかねて少し首をかしげた。
「そりゃちょっとは寂しい……と思う」
 次の信号は、青のまま。そのまま車は左折する。
「……敦哉」
「でも」
 続く声色は、どこか嬉しそうだった。
「俺も篠原も、全力で祝うけどな。あいつ、めちゃくちゃ張り切りそう」
「……そう、だね」
 脳裏に浮かんだ篠原留美の姿に、敦哉は忍び笑いをもらす。
 車は香介の住むマンションの前で止まった。
「しないよ」
 ハザードランプのボタンを押した敦哉が、呟くような声に顔を上げる。
――泣き笑いするような、香介の顔。
「結婚なんて、しないよ」
 きっぱりと言って、よりつらそうな笑みを強める。
「コウ……」
 なんと返していいか分からずに、敦哉はただその名前を呼ぶ。
 彼は一瞬下を向いてから、先ほどまでとは別の笑みを浮かべた。
「敦哉。明日飲みに行こうか? 留美さんも誘って」
「え、でもお前明日は何か用あるって……」
 はっきりとは言わなかったけれど、多分彼女との。
「いいんだ、いつでもいい約束だったから。ねえ、行こう?」
「あ、ああ」
 珍しく強引な彼に気おされて、敦哉は頷く。
「じゃあ、また明日。送ってくれてありがとう。おやすみ」
「……またな」
 香介はドアを開けて出て行く。
 敦哉は呆然としながら、マンションの中へ消えていく彼の背中を見つめていた。


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