「はいよ、美っちゃん」
大将が私の前にウーロン茶を置いた。
頼んでない。頼んでないのに、私の隣の新島が飲め、と促す。
「なんでそんな荒れてんだよ。大丈夫か? ちゃんと寝たのかよ」
むしろこちらが大丈夫なのかと問いたいほどアルコールで顔を赤くしながら、新島が心配そうな目でこちらを見た。
「寝たよ。帰ってからさっきまでずっと寝てた」
新島だって、多分そんなところだろう。
そうだよな、と低い声で呟いて、新島は自分のグラスに口をつけ――恐らくは無意識に、また顔をしかめた。
多分、焼酎、あるいは酒自体、飲めない人間なのだろう。
それでも飲もうとするのは私への対抗意識か、注文したものは残さない主義なのか。
「それは寝起きの不機嫌なのか」
――違う。根本から間違っている。
私は不機嫌なんかじゃない。むしろ今、とても気分がいい。
「大将、これ飲み終わったら、次は魔王のロックね」
「そんな高いの飲むのか!」
「祝杯だから」
「しゅくはい?」
出国前のあの香介の風邪の一件。
私は確かに彼の小西敦哉に対する想いに、初めて『嫉妬』を覚えた。
絶対にしないと思っていた。否、絶対に出来ないと思っていた。
「私が一人で勝手にやってる研究が進展した、お祝い」
ウーロン茶を一口飲む。そろそろ胃袋は限界かもしれない。
サッカー選手が野球選手に試合を挑んでいるようなものだと思う。
古典の君――小西敦哉に嫉妬することに意味はない。
妬んだところで、女性相手――例えば篠原留美相手――とは話が違う。フィールドが違いすぎて、まともに戦えないのは分かっていたはずだ。
――なのに。
自分の心がコントロールできない。
これが恋愛感情か。それとも別の何かか。
自分のことでも、分からないことはまだまだ沢山ある。
それは私にとって、大変喜ばしいことなのだ。
***
「送って行かなくても大丈夫か」
会計を済ませて店を出ると、雪がちらついていた。
新島の言葉に一瞬首を傾げてから、私はマフラーをきつく巻きなおす。寒い。
「どこに?」
「お前ん家に決まってるだろ。場所知らないけどな。ってかさっきからずっと目が合わないんだよお前。どんだけ飲んだんだよあの会計……」
心配されるほど、酔っていないつもりなのに。
大通りに出ようと新雪をぎゅっぎゅと音を立てながら歩き始めた。
「新島は、いい子いないの」
私の言葉に新島は驚いた顔をして振り向いて、すぐに白いため息を吐き出した。
「お前は俺の母親か」
「いないの?」
「いたら一人で飯なんて食ってるかよ」
――お前じゃあるまいし
新島は付け足して、私に背を向けた。それはどういう意味か。
「新島には、ちゃんとした女の子がいいと思うね」
「棒読みだなあオイ」
呆れた顔をして新島はまたこちらを振り向く。
「この際だから言うが、俺は、お前には高遠香介よりも、同じものの見方ができて、同じベクトルかそれ以上で想ってくれる奴の方が合ってると思うけどな」
そんなのが居るのか分からないが。
真面目な顔をしてそういうと、新島はがりがりと頭をかいた。わずかに体に積もった雪が、はらはらと落ちる。
「……ガラじゃねぇ。なんでお前と恋バナせにゃならんのだ」
くるりと踵を返して、新島はまた歩き出し、私はそれに付いていく。
遠くで、除雪機の音が聞こえる。それ以外は静かだ。
「お互い出会いの場は少ないんだ。俺に似合うって子いたら紹介してくれよ」
「その言葉、そっくりそのまま返す」
――香介より、興味をひく者がいるならば。
はぁと手の中に吐き出した息は、ほんの少しだけ手のひらを暖めて消えていった。
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