3.

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「ねぎに含まれる『硫化アリル』ってぬるぬるする部分があるでしょ、あれが抗菌作用とか色々あって、のどや鼻の炎症を抑えるのにいいの」
「へえー。ワタシ首にネギ巻くって都市伝説だと思ってたわー」
「臭いはすごいんだけどね、ネギだし。それでも起きなかったの。全然、気配すらなし」
「まあ、ひどい話ねぇ。でも寝ててもきっと分かってるかもしれないわよ? 夢うつつに見てくれてるかもしれないし、大丈夫美っちゃんは泡になったりしないわ、ハッピーエンドのほうよ」
「そうかなぁ……あ、大将、豚精二串追加ね」
「……諏訪?」
 突然俺に名前を呼ばれて、諏訪美月は振り向いた。
「新島」
 家の近所にある小さな室蘭風焼き鳥屋。
 帰国して次の晩は、俺はいつもここで夕食をとる。出国に向けて冷蔵庫の整理をしたあとだから、食べるものも気力もないのだ。
 カウンターに座っていた諏訪は、眉間に皺をよせたまま、食べかけの豚精をもぐもぐしている。
「なんでここにいんだよ?」
「なんでって、常連だけど」
「なあに、美っちゃん。例のカレシ?」
 俺と諏訪の会話になってない会話に、諏訪の隣にいた体格のいい男が身を乗り出した。がっちりした筋肉質な体をしているのに、言葉としぐさは少しなよなよしている。
「違う、ただの同期。……そんなところに立ってないで座れば」
――ただの同期。
 正しい形容だし他にないんだろうが、言い方のせいかひどく拒絶された感じがする。一応ゼミに入った頃からの付き合いなのだから、もう少しやわらかい言い方はなかったのか。
 一席空けずに隣に座ったことに突っ込まれるかと思ったが、意外にも諏訪は、いつもの何を考えてるのか分からない目で一瞬こちらを見ただけだった。
「大将、お酒おかわり」
「今日は飲むわねぇ、大丈夫?」
「大丈夫」
 おねぇ口調での心配をよそに、諏訪は手元のグラスをあおる。
 多分、グラスの形と色からして、焼酎の水割り。
「何にします?」
「あ、えと、ウーロン茶と豚精二つと……」
「うーろんちゃあ? 酒飲みなさいよ酒。大将、コレに同じのあげて」
「……なんだお前、酔ってんのか」
「酔ってない」
 はいよ、とカウンターの向こう側からグラスが下りてくる。
 俺のところにウーロン茶、諏訪のところには水割り。
 不服そうに諏訪はこちらのグラスを見たけど、何も言わないで終わった。
 それを楽しそうに笑いながら眺めていた男が、おもむろに立ち上がる。
「美っちゃんのオトモダチが来たところで、ワタシ残念だけどお暇しなくっちゃ」
「えー、金ちゃんもう帰るの?」
「ごめんネ、明日も仕事なのよぉ」
 甘えた響きの声を出した諏訪に、手をひらひらさせながら申し訳なさそうに言うと、男はコートを着て財布を取り出してお勘定を済ませる。
「じゃあまたね美っちゃん。せっかくの美人さんなんだから、面倒がってないでキチンと綺麗にしていなきゃダメよ」
 ぽっちーんと音がしそうなウインクを諏訪に、俺には美っちゃんをよろしくねと一言残して、男は焼き鳥屋の大将に見送られて店を後にする。
 諏訪も小さく手を上げてそれを見送った。
「誰、あれ。お前の友達? 何者?」
「飲み友達。ここでしか会わないから金ちゃんって名前と昔メイクアップアーティストだった、ってことしか知らない」
――それだけしか知らないのに『飲み友達』で、俺は『ただの同期』なのか。
 納得いかない感情の行き場を探しているうちに、俺の前に豚精がおかれる。
 男が居なくなってからも静かに飲み続ける諏訪。さっきの男の話の様子ではもうかなり飲んでいるようだが顔には一切アルコールが出ていない。言動は少しおかしいが。いやいつも通りか?
「お前酒強かったっけ?」
「強いよ。『男コン』で生き残る程度には」
「……何言ってるんだお前は」
「格闘技系サークル主催『ドキッ、男だらけの合同コンパ』、略して男コン」
「なんだそりゃ……ってかなんでそんな下心バリバリの男だらけの飲み会に行ってるんだお前は」
「これだから自称草食理科系は」
 タイトルだけで嫌悪をもよおした俺に、諏訪は吐き捨てるように呟く。
「アレはその年のミスキャンパスの予備審査も兼ねてる紳士の飲み会だよ。二十歳以上しか呼ばれないし上級生が牽制しあってるから、こちらにその気がない限り安全な飲み会だよ。でる酒の量とアルコール度数以外は」
――説明を聞いても『何を言ってるんだお前は』以外の感想が浮かばない。
 カウンターに頬杖をつきながら、諏訪はゆっくりグラスを回す。からん、と氷の音がした。
「その気がない女はそういうところに行かないだろ」
 睨みながらの俺の言葉に、諏訪はふ、っと笑った。
「私がそういう女だと思ってるんなら、そう思っていればいい」
 俺からの評価などどうでもいいと言わんばかりに、小鉢に入った枝豆をつまむ。
「やっぱり、同じのください」
 俺はカウンターの向こうに、諏訪のグラスを指して言う。
 あいよ、と威勢のいい返事とともに、ややあって同じグラスがやってくる。
「新島こそ飲めるの?」
「馬鹿にすんな」
 実をいうと、そう飲めるわけじゃない。一口飲んだだけで顔が赤くなる。
 口に含んだとたんにアルコール独特の辛味が口に広がって、吐き出したくなるのを無理に飲み込んだ。
「……さっきあの人と何喋ってたんだよ。ネギとか泡がどうこうとか言ってたけど」
「風邪予防の話。あと人魚姫」
「人魚姫ェ? ガラじゃねー」
 食いついた俺に、諏訪はじろりとねめつけくる。
「金ちゃんがなんか、今仕事で人魚姫の童話を集めてるんだって」
 本によってラストが違うんだって。諏訪が付け足した。
 仕事で人魚姫……か。あの人一体なんの仕事をしているんだろう。あまりカタギの仕事には見えないけど。
「人魚姫はどうして王子を刺さなかったんだろう」
 ぽつりと、こぼす様に諏訪が呟く。
「どうしてって、そりゃあ」
 愛だろ、と言いかけて口をつぐむ。酔っててもそれを口にするのは恥ずかしい。
「私なら、泡になるくらいだったら、王子を殺す」
 不機嫌そうにグラスをあおって、おかわり、と呟く。
 もうそのぐらいにしておきなよ、と流石に大将が声をかけた。


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