2.

 /  / TOP



「出てきて大丈夫だったのか? せめて寝てろよ」
 一時間目の日照高校。その時間授業のない国語教師の小西敦哉は保健室にやってくるなり、そう心配そうに香介を見た。
「うーん、まだ熱は少しあるんだけど、寝てなくても大丈夫だよ。今日乗り切れば、明日明後日は土日だからね」
 マスクの向こうで笑ったのだろう香介を見ながら、敦哉は小さくため息をついた。
「お前な、生徒にうつしたらどうすんだよ」
「クスリ飲んでマスクして、今日は出歩かずに保健室に引きこもってるよ。保健室の先生は僕しかいないから……急な怪我人とかでたら困るでしょ」
「怪我を見てもらいに来て風邪をうつされてはたまったもんじゃないだろ」
 敦哉の突っ込みに、保健医はただ黙って笑うだけだ。
 ここまで来てしまったら、香介は頑固だ。
「留美さんは?」
 いつもの様に敦哉にマグカップでコーヒーを出しながら、話題を変えようと香介が口にしたその名前は、彼らの大学からの友人である英語教師のものだ。
「なっ、なんで篠原の名前が急に出て来るんだよ!」
 不意打ちだったのか、目を白黒させて敦哉が大声を上げた
「えっ、ああ、昨日は彼女にも心配かけちゃったから? 何、また昨日喧嘩したの?」
 その反応に苦笑しながら、香介も自分の分のコーヒーを白いコーヒーカップに注いでデスクに置く。
「また、って。俺らがいつも喧嘩してるみたいに言うなや……。昨日はお前降ろす前に先に篠原の家に寄っただろ、そんな暇ねぇよ」
「あれそうだっけ? 実はあのとき結構朦朧としてたんだよね」
「おいおい大丈夫なのかホントに」
「今はもう大丈夫だってば」
 再三の心配そうな言葉に、香介も念を押して返す。
「そうそう」
 コーヒーを飲むためにマスクをずらした香介が、思い出したように敦哉を見上げた。
「昨日はスポドリと冷却シートありがとう。でも流石に、ネギはやりすぎだと思うよ、効いたけどね」
 コーヒーに口をつけかけた敦哉が、はあ? と素っ頓狂な声をあげた。
「何の話だよ? 俺は濡れタオルのっけたのと、あと強いていうならお前の彼女に言われたとおりにメールしたぐらいだぞ」
「え」
 香介も目を丸くする。考え込むように口元に手をやった。
「起きたらおでこに冷却シート貼ってあって、枕元にペットボトルが置いてあったんだけど……それに首にネギが」
「だから知らねーって。お前寝ちゃったからすぐ帰ったし」
「首にネギ、はよく皆言うけど、きちんと焼いて等分してタオルに巻いてあったから、敦哉すごいなーって思ったんだけど」
「俺じゃないって」
 全力の否定。香介は黙り込んで首をかしげる。
「じゃあ誰が……」
 恐々呟いた彼に、敦哉もコーヒーを置いてしばし考えこんだ。ややあって、手を叩く。{{半角}}
「あ、お前の彼女じゃねーの? 風邪ひいた、ってメールしたんだから、心配してのぞきにきたとか」
「それはないよ」
 敦哉の提案は、すぐにきっぱり否定される。
「諏訪さん、今日の夕方からまた海外だから。論文で忙しいって言ってたから、多分そんな余裕ないよ。本当は見送りに行く予定だったんだけど……」
 諏訪さん、とは彼の交際相手の苗字だ。その関係にしては、随分と呼び方が素っ気無い。二人っきりの時は名前で呼んでいるのかもしれないが、敦哉にはイメージが浮かばない。
「海外? 相変わらず忙しい人だな。今度はどこだよ」
「中国の方、上海だったかな、北京だったかも……」
 自信のない様子の香介に敦哉は眉をひそめる。
「コウ、お前らまだそれ付き合ってるんだよな?」
 見送るとか見送れないとか、そういう会話があるらしいのに、アバウトすぎる。
 思えば敦哉がいつ誘っても香介はそれに応えてくれるし、彼女からのメールや電話で席を外すところも見かけないし、こうして話題に上ることすら珍しい。敦哉も留美も、彼女の話はなんとなく気まずくて、あえて触れないようにしているからかもしれないが。
「お付き合いしてるよ。メールは二週間に一度は返ってくるし、月に一回は会えてるし」
 なんのことでもないように、とにこりと微笑んだ香介に、敦哉は思わず「なんだよそれ」呆れ声をあげた。
 敦哉の恋愛経験――わずかではあるが――から見れば、ありえないと思う。
 月に一回のデート、はまあ忙しい相手だから仕方がないとして、メールぐらい毎日交わしてもいい気がする。
『毎日電話してくれなきゃ嫌!』という要求も辟易するが、メールもなにもない日が続くといつの間にかフラれたのかと心配する。いや、敦哉自身の学生時代の経験と、社会人である二人を比べることがそもそもの間違いなのだろうか。
「遊ばれてんじゃねーだろうな」
 学生時代の『彼女』の様子を思い出しながら、敦哉が低い声で呟く。
 言外にある「もしそうだったらタダじゃおかねぇ」という怒りに、香介は嬉しさ半分、苦笑半分で肩をすくめる。
「そんな暇、今の彼女にないよ。純粋に忙しいんだ」
「でもそれ、コウは寂しくないのかよ」
 自分のことのように心配してくれる彼に、香介は嬉しくて目を細める。
「ありがとう。でも僕は大丈夫。こうして心配してくれるコウも、留美さんも居るからね……」
 それより時間、大丈夫? 時計を見上げて尋ねた香介に、あ、と敦哉は慌てた声をあげる。二時間目は授業があるから、一時間目が終わる頃には一度国語準備室か職員室には戻って準備をしなくてはならない。
 じゃまた後で、と言ってバタバタと慌しく保健室を後にする敦哉を見送ってから、香介は一人ぽつりと呟く。
「それにしても、あのネギは誰が……」
 香介の声は、授業の終了を告げるチャイムにかき消された。


 / TOP / ランキング参加中。よろしければ(月一回)


Copyright(c) 2011 chiaki mizumachi all rights reserved.