――風邪を引いた、明日は会えない。
そういう趣旨のメールがパソコンに届いた。
何故パソコンに? それよりも明日って? 一瞬考えて、数瞬で正解を導き出す。
嗚呼、煮詰まっている。この二日間、まともに寝た気がしないからか。
パソコンに来たのは、研究室に居る間は携帯の電源を切りっぱなしで音信不通になるのを知っているからだ。
明日、というのは明日また海外に出る私を見送ってくれる約束だったからだ。
「帰る」
呟いてパソコンを閉じた。
隣のデスクの新島が、同じく二日は寝ていない淀んだ瞳でこちらをみた。
「……終わったのか?」
「終わってない。でも、あとは家で仕上げる」
「シャワー浴びてしゃっきりしてこい。ひどい顔だぞ」
「それ、そっくりそのまま返す。――お疲れ」
ノートパソコンの入った重たい鞄を肩にかけて、研究室を後にする。
終電の時間はとうに過ぎていた。迷うことなく目に入ったタクシーを拾う。
私と同じくらいに眠そうな運転手に自宅の住所を指定しかけて、思いとどまった。
「とりあえずそのまま真っ直ぐお願いします」
***
――一定のリズムで揺れるスーパーの袋。
ドアの鍵を開けて部屋に入ると、思ったよりも部屋は暖かかった。
「……ふむ」
しかし、暗い室内でヒーターはセーブモードになっている。
「後手に回ったか」
いや、もとより今まで先手を打てたことなんてない。
彼女、なんて人が思うほど私は優位な立場に居ないのだ。
香介は眠っていた。
額には濡れタオルを置いて。
これが自分が風邪を引いたという理由でわざわざ自分でそんなことをする律儀な男ではないことは、私にだってよくわかる。
『自分の世界』は何にかえても大切にするくせに、どこかで『自分』はどうでもいい、と思っている人だから。
そもそも、腐っても保健医。氷枕だって部屋にある、はず。私も場所は知らないけど。
誰か部屋にいたのだ。私が来る少し前まで。
「――敦哉」
ぽつりと、熱にうかされた声で彼がその名を呼ぶ。
こんな時でも――こんな時だからこそ、その名を呼ぶのか。
がさり、とスーパーの袋をテーブルに置いた。
起きればいい、目が覚めてその不在を知って、がっかりすればいい。
私は濡れタオルを取り上げて、その額に冷却シートを貼り付けた。
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