王子家出中 ―1―

ススム | モクジ
 世界の西に、その国はありました。
 鬱蒼と茂る森に囲まれ、色とりどりの花が咲き、冬には雪に覆われ真っ白になるその場所を、人は『森の国』と呼びます。
 森の国には、王子が二人おりました。
 上の王子さまは先の国王さまに似て精悍な青年に育ち、いまやこの国の国王として立派にこの国を治めています。
 下の王子さまは先のお后さまに似て雪のような白肌に黒檀の黒髪、心根の優しい、美しい青年に育ちました。
 しかし下の王子さまは、引っ込み思案でで、ちょっぴり弱虫でした。
 これは、そのちょっと弱虫な下の王子さまのお話。


「いい加減にしろ!」
「いーやーだー!」
 城中に響くような怒鳴り声の応酬に窓の外で小鳥が驚き飛び上がった。
「ブラン!」
 ベッドの下に潜り込みヤダヤダと連呼している弟の名を負けじと叫んだのは、この国の王だ。
「やだやだやだやだ絶対やだ! もうお見合いなんていやだ! もうやめる! 誰とも会わない! もう一生独りでいい!」
「そんなわけにいくか! 出てこいこのバカ!」
 王がブランを引っ張り出そうと足をつかもうとしたが、弟も弟でそうはさせまいと両足をばたばたさせながらベッドの足をつかんで放さない。
「絶対でるもんか!」
 この国の王族は十五歳前後で結婚するしきたりがある。王もまた十三で婚約し、十五で今の妃と婚姻を結んだ。対してブランは現在十七歳で、すでに見合を繰り返すこと五十二回。だいぶ遅れをとっている。最初の十回まではしぶしぶであるが素直に出てきた弟だが、以降はもうずっとこの調子である。
 気持ちは分かる。いや分からない。なぜなら王は生まれたときから決められた許婚がいたからだ。腐っても国王の弟、本来なら誰もが乗りたがるはず玉の輿の条件であるはずなのに、先方から断られ続ける気持ちは分からない。
「とにかく聞け、落ち着け。頼むから今回だけは出てくれ。だめでもいい。お前の対応次第じゃ外交問題にまで発展するんだ」
「なおさらいやだあ」
 記念すべき五十三回目の見合いのお相手は、近隣国のお姫様だ。王が必死になる理由も、ブランが躍起になる理由も十分にある。
「いいぞー結婚は。つってもまあ俺のストリルーアよりいい女っていうと国中どころか世界中探しても中々いないんだけどな?」
「説教する振りして惚気んな! できるもんならとっくにしてる! おれのせいじゃない! もう絶対見合いなんてするもんかー!」
 涙声でも全力で叫んでいる弟の足をなんとかつかんで引っ張るも、てこでも動かない。
 王が視線を感じ、ハッとして振り向いてみれば、部屋の入り口で召使たちが掃除道具片手に興味津々といった様子で集まっていた。睨みつけると、「キャッ」と小さな悲鳴を上げて散り散りになって逃げていく。
「まあひどい。陛下、あまりあの子たちをお虐めにならないでくださいな」
「うびゃあ!」
 背後からかけられた声に飛び上がる。驚きで足を離してしまった。すかさずブランの足がベッドの下へ消えて行く。
「いきなり脅かすなソルシェ!」
 恨めしげに声の主の名を呼ぶと、少女の姿をした彼女はくすくすと楽しそうに笑った。
「ソルシェ、お前一体どういう教育をしているんだ」
 国王の言葉に、ソルシェは笑ったまま悪びれもせずに「申し訳ございません」とだけ言って小さく頭を下げた。
 揺れた黒のリボンを見て、国王は額に手をやった。袖や裾にあしらったレースさえ真っ黒いワンピースに、金の糸で名前を刺繍した同じく黒のレースの沢山ついたエプロン。青みがかった肩までの銀の髪の上には、やはり黒のカチューシャが乗っている。こんな自分の趣味に走りきったいでたちの彼女がこの城に仕えるメイドたちの頂点に立つのだから、召使たちのレベルなど推して知るべしだ。
――いや。
 彼女の場合、頂点に立っているのは召使たちの上だけではないかもしれないと、いよいよ国王は頭を抱えた。
「ブランさま」
 そんな彼をよそに、ソルシェはいまや完全にベッドの下に潜り込んで泣いている王弟のそばへよって優しく呼びかける。
「いつまでもそんなところにいらっしゃってはお召し物が汚れます。そろそろ出ていらしてはどうでしょう」
 ブランの泣き声が止んだ。止まざるを得なかった。
「ひゃっ」
 涙やらなにやらでぐしゃぐしゃになったブランの顔が引きつった。見上げた真ん丸の瞳から涙がぽろりとこぼれる。その視線の先に、ブランを守っていたベッドがあった。それが正しい姿であるかのように、反転してぴったりと天井にくっついている。
「さあお立ちくださいませ」
 放心しているブランの手をとり、ソルシェは彼を立ち上がらせた。袖口で未だにひどい状態の目元をぬぐおうとした彼を止めて、またもや黒いレースのハンカチでそれをふいてやる。ブランはなすがままだ。
「ソルシェ、あんまり甘やかしてくれるな」
 国王の言葉にも、ソルシェは「はいはい」と答えるだけだ。彼女が片手でついと空気をなでるようにすると、音もなくベッドがブランの真横、元の位置へ下りた。
 ソルシェは魔女である。
 魔女とは魔法を使う者のことを指すことが多いが、この国の場合は少し違う。無論魔女こそが一番の使い手であるが、魔法なら森の国の民すべてが力の大小はあれど使う事が出来るからだ。
 魔女とは種族に近いが、人が成るものである。とはいえ、魔女に成る者はソルシェを含めてもこの世界に両手で数えるほどしか存在しない。この国に限って言えばソルシェただ一人だ。
「さあブランさま。汚れたお召し物をお着替えいたしましょう」
「え、あ……」
 ソルシェが言うほどブランは汚れていない。ベッドの下で先ほどと同じようにしてベッドを動かし、常に綺麗に清掃されているからだ。退室を促そうとしたソルシェを国王が制する。
「だめだソルシェ。まだ話は終わってないぞブラン」
「陛下ったらもう! せっかくわたくしが嫌な流れを切り替えようと思っていたのに!」
「嫌で結構! ブランにはなんとしても今回の見合いに出てもらわなきゃ困る」
「陛下。少しはブランさまの意思も尊重して差し上げてください」
「甘やかすなと言ってるだろう。大体お前はいつもそうやって」
「あーもう! おれの話なのになんで二人が喧嘩してんだよ!」
 喧嘩を始めた二人の間を割ってはいるようにして、ブランが叫んだ。先ほどから叫んだり泣いたりしっぱなしな為か、声が掠れ少しひっくり返った。
「まあブランさま。お加減が優れないのでしたらおやすみに」
「大丈夫だってば! おれもう子供じゃないんだから」
 額に手をやろうとしたソルシェの手を退けようとして叩いた。一瞬しまったとばかりに顔を硬直させたブランだが、すぐさま口元を引き結んで彼女と兄をにらみつける。
「毎日毎日見合い見合い。おまけにそれで喧嘩。もううんざりだおれはこんな家」
「ブランさま……」
「おまけに、よその国の人だなんて……そんなにおれがいなくなった方がいいのかよ」
 握り締めた拳がわなわなと震えている。
「出てく。もう、家出してやる!」
 ブランの声が部屋に響いた。
 二人はぽかんとしてブランを見つめた後、片方はとたしなめるような声で名を呼び、もう片方はため息をついてまたかと呟いた。
「はいはい。分かった分かった。今回の見合いが終わったら考えてやるから。出来っこないこと言わんでいい」
「ほ、ホンキなんだからな!」
「そうですわブランさま、今日のおやつはブランさまの好きなまるまるリンゴのパイにいたしましょう。だから子供みたいなこと言わないで、ご機嫌なおしてくださいな」
「ソルシェまで!」
 全く取り合わない様子の二人に、ブランが悲鳴のような声を上げる。
「だってもう何度目ですか、そのお言葉」
「最初の内はそれで誤魔化されたけどなー。実行に移されたのって何度だっけか」
「五回ですわ陛下。家出宣言はその五倍はございましょう。そして実行された五回の内、その日の内に帰ってきたのが三回、城内でつかまったのが一回、二日もったのが一回でございます」
 即座に答えたソルシェに、ブランは低くうめいた。じわわっと涙が瞳にあふれ始めたところで、くるりと二人に背を向けた。
「二度と戻るもんか!」
 飛び出した弟に、王の追撃の言葉。
「はいはい行ってらっしゃい。見合いは明後日だから、明後日までには戻れよー」
 返事の代わりの悪態は、王の所まで届かなかった。
ススム | モクジ
Copyright (c) 2012 chiaki mizumachi All rights reserved.