王子様とワルツを・3

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 思えば、ドリゼラはクラスの頂点に立ち、いつも取り巻きに囲まれていたが、それでいていつも孤高であった。彼女は決して孤児のあたしに嫌味や嫌がらせをしてこなかった。かといって、取り巻きを諌めるわけでも、庇ってくれるわけでもなかったけれど。
「ばあや、彼女にわたくしのドレスを貸してさしあげて。舞踏会に一緒に出ますの」
 学園を出て馬車に揺られること半日。お城にほど近いその邸宅で、ドリゼラによってあたしはにこにこと優しげな壮年の女性に託された。特に詳しい説明もないというのに、ばあやと呼ばれた彼女は「かしこまりました」と一礼し、「どうぞこちらへ」とあたしを促す。
「あ、あの」
 どうやらドリゼラとはここで一度別れるのだと悟ったあたしは、ドリゼラのばあやについていく前に、一度振り向く。
「どうして、ここまでしてくれるの?」
 馬車の中では結局一度も口をきけなかったドリゼラは、何故か微笑む。
「なぜ王子が十五年間も公の場に出てこないかご存じ?」
「いいえ、しきたりだとしか」
 あたしが知るはずがないと首を横に振ると、でしょうねとドリゼラは頷く。
「大昔、暴虐な国王と傲慢なその王妃がいらしたそうですわ。そこにとある悪い魔女がやってきて懐妊中の王妃に呪いを掛け、お腹の中の王子を決して人前に出せない姿に変えてしまった。嘆き悲しみこれまでの行いを悔いた両陛下に、今度は別の旅の魔女がやってきて、その呪いを王子の十五の誕生日までに解けるよう捻じ曲げてもらった――というおとぎ話が由来ですの」
「へぇ……?」
 楽しげに話すドリゼラに、あたしは話の意図がよくわからないまま頷く。
「とばっちりを受ける王子がひたすらかわいそうなお話ではありませんこと? 何か一つくらい報われたっていいと思いますの。だから――」
 言葉の続きは、「ドリゼラ様」と後ろからやってきた執事に遮られた。何事か彼女に耳打ちすると、ドリゼラは小さく肩を竦める。
「ごめんなさい、お父さまがお呼びだそうだから、わたくし行かなくては。この話の続きはあとでいたしましょう」
「え、ええ」
 わけが分からないまま、あたしは彼女と別れ、まず湯殿に案内された。小汚いと思われたのか、どちらにせよ少なくともこのままではドリゼラのドレスを着れないらしい。一人でできると言い張っても、『ばあや』さんの命で小間使いの女の子によって半ば強引にあたしは脱がされ、そして洗われた。人前で肌をさらすのはほぼ初めてだというのに、そんなこと一切お構いなしに全身をいい匂いのする泡で包まれ、お湯をかけられる。
 そしてやっと着替えに取りかかる。
 ばあやが持ってきたのは空色のドレスだった。自分の髪色と同じ、真っ赤が好きな彼女だったから、真っ赤なドレスを持ってこられたらどうしようかと思っていたから、少しだけ安心する。あんな派手な色を持ってこられたら、ドレスに着られてしまうに違いない。
 言われるままに息を吐いて止める。ぎゅっとコルセットが絞めつけられる。
――ドリゼラとシャルロットは、仲がよかったんだろうか。
 あたしの目から見て、そんなことはなかったと思う。少なくとも二人ともがクラスにいたときは、顔を合わせると殺伐とした空気が(一方的にドリゼラから)流れていた。なら何故あの塔に居て、ドリゼラはわざわざ植木鉢に水などやっていたのだろう。
 髪を結われ、化粧を施された。「できましたよ」と言われ、鏡の前でそれまでつぶっていた目をあけると、知らない人がいた。――いや、それがあたしであることは、十分にわかっていたけれど。それくらいの変わりようだった。
「お似合いでございます。さあ、舞踏会のお時間が迫っておりますよ」
 にこにこと笑って言ってくれたばあやに礼を言って、あたしはここまで乗ってきた馬車に再び乗り込む。
「ドリゼラは?」
 彼女の姿はそこになかった。
「先にお出かけになられました」
 御者はそう言い、彼女からの言伝があると続けた。
「『舞踏会では決して、驚いても大声を上げないように』とのことです」
「……はあ、わかりました」
 馬鹿にされているのだろうか。孤児の出とはいえ、学園で貴族と一緒に教室の隅で礼儀作法を学んでいるのだから、さすがにそれぐらいの嗜みはある、はずだ。
 そう思いつつも、急速に自信がなくなってきた。シャルロットの願いだからとやってきたものの、あたしは舞踏会に行って、なにをすればいいのだろう。
 物見遊山で行って、王子を一目みて満足して帰ってくればいいのだろうか。
 学園に戻って、クラスで嫌がらせや嫌味を言ってくるだろうナターシャに、自慢してやればいいのだろうか。
 不安をよそに、馬車は動き出し、すぐにお城についた。重たいドレスを引きずるようにして大広間へたどり着くと、すでに舞踏会は始まっているのか、ゆったりした音楽に合わせて貴族たちがワルツを踊り狂い、楽しげな話し声が室内に満ちていた。天井からつるされたシャンデリアに、あたしには価値すら分からない調度品、貴族たちのドレスや装飾品が輝いて、眩しい。
 案内してくれた従者はすでに帰ってしまい、一人ぼっちで心細いあたしは、ドリゼラか、あるいは招待されたと教室で自慢していたクラスメイトたちを探したものの、どちらも見つけられなかった。王子はすでにこの場所にいるのか、それすらも分からない。
「なにしにきたんだろう、あたし……」
 賑やかさから離れ、大広間の壁の隅で壁に張り付いて一人ごちる。隣に置かれた燭台を持つ天使の像の笑みが、どこか小ばかにしているように見えた。
「こんなところにいらしたの。探しましたわよ」
 それでも、その像の後ろから気取った声が聞こえてきたときは、まさに天の助けかと思った。
「ドリゼ」
 彼女の名を呼びかけて、あたしは口を開けたまま固まった。幸いにも、忠告通り大声を上げはしなかった。
「まあ、お似合いですわよ」
 ドリゼラは気にすることもなく、ドレス姿のあたしをみて、満足そうに頷いた。
 そういう彼女の服装は、ドレス――ではなかった。身に着けているのは男性の服、それも、近衛隊の隊服ではないか。いつもきれいに結い上げていた赤髪は後ろで一つにくくり、腰にはサーベルを挿している。
「ドリゼラ、あなたどうしてその恰好!」
 極力小声を意識していても、それでもどうしても語気が強くなる。
「あら、似合うでしょう?」
 けれど彼女は躱すように微笑んで、小さく首をかしげた。
「まさか、あたしがこのドレスを着ちゃったから?」
「そんなわけないでしょう。他に服ならたくさんありますわよ」
 心外なとばかりに言った彼女に、あたしはなら何故と再び問う。
「だって、あなた、お妃候補だったんじゃ」
「お妃候補?」
 ドリゼラは口元を抑えると、くすくすと笑いだす。
「それはナターシャたちが勝手に言ってるだけですわ。わたくしの野望は今も昔も、父の後をついでこの国初の女将軍になること、ただそれだけですのよ」
 不敵に笑った彼女に目を丸くした。そんなあたしの手をとって、「さあこちらへ。お待ちかねですわ」とドリゼラはどこかへ連れて行こうとする。
「お待ちかねって、誰が」
「決まっているでしょう。あなたは何のためにここにいらしたの?」
 とはいえ、あたしはもう目的をすっかり見失っている。舞踏会に来るというシャルロットの願いは果たしたと言っていい。あとはそう、美形の噂が本当か、王子をちょっと見るぐらいか。
「シャルル王太子殿下の、おなーりー!」
 大広間に声が響き、貴族たちのおしゃべりがぴたりとやむ。弦楽器の音だけがゆったりと響く中、あたしがドリゼラに手を引かれて向かう最奥の空間に、一人の青年が現れた。
 背はすらりと高く、豊かな金髪は今のドリゼラのように一つにくくって背中に流している。肌は、透き通るように白い。
「え……」
 その時、慣れない重たく厚いスカートの裾を踏んづけて、あたしは前につんのめった。あっ、とドリゼラがそれに気づいて支えようとしたが、時すでに遅し、びったんと派手な音を立てて、あたしは前方に倒れこんだ。誰か知らない人の悲鳴が響く。
――やってしまった。
 その悲鳴を合図に音楽は鳴りやみ、周囲の視線が一斉に集まって、あの不作法者は一体どこの娘かと尋ねる貴族たちの声がさざなみのように聞こえる。顔をあげるのが恐ろしくて、その場に倒れこんだまま、あたしは身動き一つ取れないでいた。
 そこに、コツ、コツ、と小さな足音が近づいてきた。
「大丈夫ですか」
 誰かの声が頭上から降り注いだ。静かで低い、ハスキーな声に、思わず顔を伏せたまま、泣き出しそうになる。
「……はい」
 けれど、いつまでもそうしていられないことはあたしでも分かる。顔を上げ、涙で滲んだ世界で、『彼』の姿をなんとか見た。あたしを見つめるその瞳は、海のように青い。
「アンジュ……?」
「シャル、ロット……!」
 シャルロット、いやシャルル王子は青い目を大きく見開いた。「どうしてここに」といつもの低い声で言い、ハッとして周囲を見回して誰か――おそらくドリゼラを――探した。彼女はいつのまにかあたしの前から消え、少し離れた場所に移動して一人ほくそえんでいたそうだけれど、この時のあたしたちは知る由もない。
「シャルロット、よかった……」
「アンジュ、その、なんて説明したらいいか」
 どういうこと、なんて、聞く必要なんてなかった。理由なんてどうでも構わなかった。あたしは、もう二度と聞けないと思っていたその声で名前を呼んでくれるだけで嬉しい。
 王子から差し出された手を取り、あたしはやっと立ち上がる。
「私、実は男で、その」
 王子で、呪いが、としどろもどろな彼の顔をまじまじと見つめた。久々に立ち上がった姿をみたシャルロットは私よりも頭一つ以上背が高かった。それを隠すために、ずっと彼はあたしの前ではベッドの中に居たんだろうと思う。
「いいの。あたしは、またシャルロット……いえ、シャルルに会えて嬉しい」
「……私も、アッシュに会えて嬉しい」
 あたしとシャルルは手を取り合って微笑みあったが、ややあって彼がハッとする。あたしもまた、周囲の視線が突き刺さっていることを、ようやく思い出したのだ。
 こほんと咳払いした王子は、一度あたしの手を放して、右足を引いてお辞儀をした。
「こんな私でよろしければ、一緒に踊っていただけませんか」
「……はい」
 音楽が再び流れ始める。
 あたしはドレスの裾を摘み、カーテシーでそれに応えると、再び王子の手を取った。

(終)


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書いたの:2014/12/9-11 フリーワンライ企画お題使用(ワンライには不参加)
お題:咲かない花の種を撒く 狂い踊るワルツ
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