王子様とワルツを・1

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「どうしたの、それ」
 ベッドの中で、シャルロットが本を閉じながら尋ねた。あたしははいつもの花束を窓辺の花瓶に活けて、その横に土だけ入った植木鉢を置く。
「もらったの。よかったら置かせてほしいんだけれど」
「構わないけど……私にお世話ができるかな」
「世話はあたしがするわ。ごめんね、病人の部屋に鉢植えなんておいてしまって」
「それは別に。アンジュの頼みとあらば。今更縁起を担ぐようなものでもないしね。でもどうして?」
 シャルロットはすっかりそれが彼女の声になってしまったハスキーな声で言って、前かがみで本を読んでいた為に前に垂れてきた豊かな金髪を後ろへやる。
 彼女が学園の南の端にあるこの塔に引きこもるようになったのは、二年も前のこと。学内で何をやらせても一番になっていた彼女だったのに、突然の病に襲われて、今はもう一日ベッドから動かず、当然塔から降りても来ない。半ば幽閉されているようなものだけれど、当の本人は落ち込む様子を見せることもなく、毎日好きな本を読んで暮らしている。
 あたしはできるだけ毎日ここへきて、学園内の花園から頂くその日一番美しい花を活けて、クラスで起きたことを話したり、クラスメイトの傲慢なドリゼラやその取り巻き達の横暴を愚痴ったり、シャルロットが読んだ本の感想を聞いたりして、暇な放課後を過ごしている。
「ここはいつも日当たりがいいでしょう? あたしの部屋は日当たりが悪いから……もう二週間も前に種をまいたのに全然芽が出ないのよ」
 ため息をついたあたしに、シャルロットはふうんと口の中で呟いた。
「まあ、そういうことならいいよ。芽吹くのが楽しみだね。どんな花が咲くんだろう」
 小さく首をかしげた彼女に、あたしは分からないと言った。
「咲かないかもしれないわ」
 二週間前に土の中に埋めた、蜜色のいびつに丸い、形の悪い種。芽吹きもしないその種は、どこかあたしに似ている気がする。
「まだ分からないよ。――さあ、今日はなにがあったの?」
 植木鉢を見下ろして黙り込んだあたしに、シャルロットが空気を入れ替えるように話を変えた。
 あたしは素直にそれに乗って、ベッドのそばに置いた椅子にすとんと腰かける。紺色の修道服のような制服に昨日泥水をかけられて、シミが残ってしまったのを彼女に見えないように、うまく右手を重ねて隠す。
「今日は……そうね、みんなお披露目のことでもちきりだったわ。みんなドリゼラにおべっかを使うのに夢中で、おかげで久々にナターシャから嫌味を言われなくて済んだもの」
「お披露目?」
「あら、忘れてしまったの? 来週は王子さまのお誕生日兼お披露目の舞踏会なんでしょ。もう一週間切ってるんだもの」
「あ、ああ……そうだね」
 シャルロットはどこか浮かない顔をした。
 我が国の王子は、あたしたちと同じ、今年で御年十五になるそうだ。この国のしきたりで、次期王となる王子はその歳まで存在を隠されて暮らし、十五で華々しくデビューする。
 誰も見たはずがないのに、美青年だとか長身だとか、噂が立つのはどういうことなんだろう?
「シャルロットも呼ばれたんでしょう?」
 この学園に通う娘たちは、そのほとんどが貴族の娘だ。それでも舞踏会に招待されるのは一握り。残念ながらあたしは学園を運営する修道院で育った孤児だから、そんなものとは縁遠い。
 シャルロットも確かここから離れた地方の貴族らしいけど、名が知れているのかクラスメイトからも一目置かれている。
「ああ、まあ、うん、呼ばれは、したね……」
 歯切れの悪いシャルロットは、俯いて布団を胸まで引き上げた。まあ確かに、招待されたところで、この状態じゃねぇ。
 ここに来て以来、あたしは彼女が立ち上がったところすら見ていない。こうして話している分には元気そうだけど、実をいうと寝込む前は、彼女の声はとても美しいソプラノだった。病で喉をやられてしまい、今は低い声で話す。本人にも違和感があるのか、おしゃべりだったはずなのに、これでもずいぶん口数は減った。強引に押しかけてくるようなあたしと、毎日勉強を教えにくる先生以外に会わなくなったのは、そういう事情もある。
 けど知ってる。最近彼女が読む本は、王子が出てくるような童話が多いってこと。
 くだんの王子の噂みたいに、どの話に出てくる王子も美しくて優しくて、夢のような存在。シャルロットだって女の子だもん、憧れるものよね。
「パーティでお妃選びもされるんだって。みんなドリゼラが見初められるって……どう思う?」
 クラスメイトのドリゼラは将軍の娘だ。たぶん見目は麗しい。頭もいい。かつてはシャルロットと成績を争って、そして負けるのが常だったけれど、今は不動の一位に君臨しているクラスの女王だ。
「ありえない」
 シャルロットはかつてのライバルに中々手厳しい。クラスの誰より白くて小さな顔に、苦笑いを浮かべる。
「もしかして自分がいけば、選ばれるとか思ってる?」
「それもないよ。アンジュは? アンジュなら選ばれるんじゃない?」
「まさか!」
 テキトーなことを言った彼女に、あたしは思わず吹き出して笑った。
 そもそもあたしみたいな孤児、招待すらされていないのに。
 シャルロットはまじめな顔をすると、体を捻ってベッドサイドの引き出しを開けた。白い封筒が取り出される。金の王家の紋章が刻印されているそれは、どう見たって話題に出た舞踏会の招待状が入ったものだ。
「私の招待状。これがあれば、アンジュは私の代わりに舞踏会に行ける」
「何を言ってるの?」
 本気で意味が分からず、聞き返した私に、シャルロットは唇の両端を持ちあげてニッと笑う。
「私は行けないから。勿体ないでしょう」
「勿体ないって、そんな問題じゃ」
「まあともかく。それで、アンジュは私の代わりに舞踏会に行く気はないの?」
「そんな、だって」
 あたしは口をパクパクさせた。いくらなんだって、無謀すぎる。
「代わりなんて無理よ。あたしは赤毛だし、のっぽで色黒で、美人でもないし、シャルロットの代わりなんて勤まらないわ。早々にバレてつまみだされるのがオチよ」
「招待状に顔は描いてないよ。誰も地方貴族の娘の顔なんて知りはしない」
「でも」
「行きたく、ない?」
 シャルロットが眉を下げた。こんな悲しげな上目使いをされたら、世間に隔離されて育ち、きっと女性に免疫のない王子はコロリといってしまうでしょうね。
 そりゃあ、ええ、まあ、あたしだって、女の子だから、でも、でもね。
「それはシャルロットのものだわ。あたしには、行く資格、ないもの」
「資格なんて」
「シャルロットが行けばいいわ。来週までに病気を治すのよ。あたし、シャルロットが一番お妃様にふさわしいと思うの」
 あたしみたいな生まれてすぐに修道院の前に捨てられた孤児に優しくしてくれる級友は、シャルロットぐらいだ。ここはお前の場所ではないと嫌味を言われ、泥水をわざとかけられるような、そんな人間、お城に行けるはずがない。
 制服の裾をぎゅっと握りしめて言ったあたしに、彼女はため息をついて悲しげに笑い、首を横に振った。
「さっきも言ったけど、それは、絶対にありえないよ。だって私がここを出るときは、私が死ぬ時だもの」
 強調して言った言葉に、さらりと付け加えられたそれを、あたしはぽかんとした顔で聞いていた。今度こそ本当に意味が分からなくて、声が震える。
「……なんの冗談なの」
「本当のことだよ」
 シャルロットの声は投げやりだった。
 気づけばあたしは音を立てて椅子から立ち上がっていた。驚いて見上げるシャルロットに、大声で「バカ!」と叫ぶ。
「どうして、そんなこと言うの!」
「違う、違うよアンジュ」
 怒るあたしに、彼女は口元に手をやって、不安げに視線をさまよわせる。
「何が違うと言うの?」
「……アンジュには、私の気持ちは分からないよ」
 振り絞るような低い声に、打ちのめされた気になる。
「そう、あたしも、あなたの気持ちが分からないと思うわ」
 悲しみに沈んだシャルロットの海のような蒼い目を見ることができず、あたしは背中を向けて、そのまま部屋を飛び出した。
「待って、アンジュ……!」
 通り過ぎた花瓶の花が揺れる。隣の植木鉢は、沈黙したままだ。


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