つぎはぎアンドロイドと俺の七日間・1

NEXT TOP



 出発前最後の夜だったから、せめてこの先一週間、心配させないように今夜は夕飯を作ってみせて、食事面に関して言えば俺は大丈夫だと安心させたいと思っていた。
 なのにオヤジときたら、いつもの帰宅時間を大幅に過ぎた挙句、自分よりも大きいんじゃないかっていう段ボールを持ち帰ってきたかと思えば、ニヤケ面で玄関から自室に直行し、それきり引きこもってしまった。
 繰り返して言うが出発前の最後の夜だ。
 さすがにこれはあんまりなんじゃないかと、腹を立てた俺はオヤジを呼びに行くこともせず、一人、箸で割っただけでボロボロ崩れる不格好で色黒なハンバーグを食べ、いつもなら譲っている一番風呂に入り、早々にベッドに入った。
 日付が変わるより先に布団に入るなんていつ振りだろうか。当然眠れるわけもなく、俺は悶々としながら壁一枚隔てた向こう側から聞こえる物音に耳をそばだてる。布団に入ってすぐはガタガタと何かを動かす音が聞こえていたが、今はキーボードの音がかすかに聞こえるくらいで、静かだ。
 そもそも帰省中俺のことが心配だろう、というのも俺の勝手な思い込み且つ願望で、特にオヤジからどうこう言われたわけじゃない。案外、向こうは俺のことだから勝手にやれるだろうと思っているのかもしれない。この辺はコンビニも各チェーン揃っているし、二十四時間営業の飲食店も充実している。宅配だってある。自炊しなくたって、日替わりで一週間、外食して食いつなぐことだってできるだろう。
 もう心配もしてくれないのかな、なんて、来年二十歳だっていうのに大人げないことを考えると、急に心細くなって布団の中で膝を抱えて丸くなる。あの大きな手で頭を撫でてもらえることは、多分もうない。俺は大きくなりすぎた。オヤジよりも大きくなるつもりなんてなかったのに。
 壁に耳を押し付けて、やっとかすかに聞こえていたキーボードの音が止まる。数分の静寂。
 俺はたまらなくなって掛布団をはねのけて、足音を立てながら隣室へ向かい、ノックもせずにドアを開けた。
「オヤジ」
 部屋の主はギョッとした顔で俺を振り向いた。それも一瞬のことで、オヤジは「おお、ちょうどいいとこにきたな」と白い歯を見せて笑う。
「来い来い、ちょうど設定が終わったところだ!」
 俺の気も知らないで、オヤジは子供の様に得意げにそう言い、自分が座るパソコンデスクの後ろに設置した段ボール箱をしゃがんで覗き込む。
 やけに横長な段ボールからは数本のケーブルが伸びてパソコンにつながっており、俺が不審に思いながら近づくと、オヤジは「起きられるか」とささやいた。
「――はい、マスター」
 誰に、と思うよりも先に、段ボールの中から女の声で返答があった。白い手が伸びて、オヤジが差し出す手をそっと掴む。
 緩やかなウェーブの金髪の女が、ゆっくりと起き上った。オヤジが反動をつけて立ち上がりつつ、彼女を段ボールから引っ張り上げると、いかにもな黒のエプロンドレスに身を包んだ全身が露わになる。
「ハウスメイドロボ……?」
 驚いて目を丸くした俺に、オヤジはますます得意げな顔をした。
「アキバで見つけたんだ。値段聞くと驚くぞー、なんと税込ぽっきり三千円!」
「う、うそだぁ」
 指を三本突き立てたオヤジに、俺は訝しげにそう返す。その間に挟まれ、メイドロボは長い睫毛をゆっくりと上下させて瞬きを繰り返している。
 人型ロボットが不気味の谷を越えて、家庭用に実用化され始めたのは俺が生まれて少しした頃の話だ。ハウスメイドロボはそれに代表される物の一つで、家中の家事を一体でこなすことができ、『家電の最終兵器』の称号をほしいままにしている。価格は決して安くなく、発売当初は一体百数万円、十数年たった今、少し値が下がったとはいえ、まだまだ、高いものは百万、機能を抑えた廉価版だって数十万は下らない。
 いくら電気街でだって、それが三千円で買えるもんか。桁が二つは足りない。
「中古のジャンク品だったからなぁ。店の隅っこで埃被ってたし」
 俺の指摘に、オヤジも顎をさすりながら首をかしげる。
「ジャンク?」
「改造品だよ。おまけにスワン社製MDK型、曰く付きの初期ロットだぜ。バラして売ればかなりの値がつくだろうがなぁ。いやあ、いい買い物したぜ」
 改造、と聞いて嫌な予感がした。
 ハウスメイドロボは一般家庭、主に共働きの裕福な家庭に向けて作られ、広告やテレビCMもそういった体の物ばかりが見受けられるが、当然と言うか、世間一般の予想通りというか、実際に購入者の多くは一人暮らしの独身男性だった。
 彼らの大半はメーカーの想定通りの使い方をしたが、一部の男性は、まあ、なんというか、ちょっと人前で口に出すには憚られるような、性的なアレの用途を見出した。もちろんそのままではそういった使い方はできないから、改造が必須となる。
 改造されたハウスメイドロボ、と聞いて、それを連想してしまったのも、仕方のないことだろう。
「いや、違う違う」
 けれども、眉をひそめた俺を見て、オヤジは顔の前で手をひらひらと横に振った。
「パーツが一部男型なんだよ。具体的に言うと、左腕と、下半身」
「左腕と、かはん――ぎゃっ!」
 視線をそちらへ向けた瞬間、オヤジは「ほら」と言って膝上十五センチはあるだろう短いスカートをぺろりとめくり、俺は思わず悲鳴を上げて顔をそむけた。ハウスメイドロボはそんな無体にも微動だにせず、相変わらず瞬きを繰り返している。
「なにすんだよ!」
「なにって、見なきゃわかんねぇだろ」
「別にわかんなくてもいいよ!」
 一瞬しか見えなかったはずの白の三角地帯が目に焼き付く。レース下着は女性ものだった、とか、メイド服含めてオヤジの趣味なのかよ、とか思うけど、口には出さない。
「なんでこんな改造してるんだろうなぁ」
「知るもんか。いいからおろしてやれよ」
 未だに裾を持ち上げたまま首をかしげるオヤジの手を払う様にして、スカートを下す。ハウスメイドロボの視線が、初めて俺と合った。うっすら透ける黒の向こう側に、レンズの型番のようなものがかすかに小さく見える。
「情報の取得が完了いたしました」
「おっ、じゃあ早速夕飯を作ってもらおうかなー」
 静かな声に、オヤジが嬉しそうに顔をほころばせるが、俺は思わず「あっ」と声を上げる。
「夕飯、もうできてる……」
「えっ!?」
 十一時過ぎの室内に、オヤジの驚いた声が響いた。


 ハウスメイドロボは、オヤジによって『ツキハ』と名前が付けられた。つぎはぎだから、という随分安直な由来だった。
 そのツキハが俺のハンバーグ――否、ひき肉と玉ねぎで出来た黒い塊を温め直して、残りの肉汁にケチャップや醤油なんかを混ぜてソースを作り(俺はケチャップだけで食べた)、千切りどころか百にも満たなかっただろうキャベツを細かく切り直してテーブルに盛り付けた。そうするだけで、なんとなくまともに見えてくるから不思議だ。黒焦げだけど。
「おー、すごいすごい」
 オヤジは子供の様に手を叩いてそれを喜んで、ごはんをおかわりした。もうすぐ日付が変わるから控えろと言わなけりゃ、三杯目だって平らげたかもしれない。
「なあ、やっぱり一緒に来ねぇの? 夏休みだし、大学の講義もねぇんだろ?」
 両手を合わせてごちそう様と言ってから、オヤジはまじめな顔でそう切り出した。
「なんだよ。俺がここにいるためにアレ買ったんだろ」
 台所で洗い物をしているツキハをちらりと見る。動くたびに、白いエプロンの紐が視界の端でゆらゆらと揺れるから、少し気になるのだ。
「別にツキハに留守番頼んでもいいわけだし。ばーちゃんだって会いたがってるだろうし」
「今からチケットとれないだろ」
「とれはするさ。高いだけで」
 明日の朝から、オヤジはオヤジの実家に一週間帰省する。今から俺の分の北海道行航空券を買うには、少し割高すぎるだろう。
「大丈夫だって。高畠の大ばーちゃんにはよろしく言っておいて。俺もこっちでやりたいことあるし……」
 嘘だ。明日の予定も明後日も、その先の予定も真っ白だった。
 オヤジは気づいても居ないだろうが、先方から何度も言われてようやく重い腰を上げた今回の帰省、オヤジのお母さんやばーちゃんにも思惑があり、俺が付いていけばそれが台無しになる。それでなくても五年ぶりの帰省なんだから、親子と祖母で水入らずで過ごした方がいいと思うのだ。
 でもなぁ、となおも食い下がって心配そうにするオヤジに、少しだけ嬉しい気分になったけど、思っていたほどではなかった。
 だって本音を言うなら、そもそもオヤジに帰省して欲しくない。それができないのなら、オヤジには一人で帰ってもらう。俺がついて行くのなんて、いくつかある選択肢の中で、一番ない。
――そろそろ和憲(かずのり)の幸せも考えてくれないかね。
 先日、うっかり出てしまったオヤジのばーちゃんからの電話で、そう言われたのが耳から離れない。この人だけは俺を本当のひ孫として可愛がってくれていた、そう思っていたのに、勝手に裏切られたような気持ちになって、正直言って、今でも立ち直れていない。
 考えてないわけないじゃないか。俺だってオヤジに幸せになってもらいたい。世界中の誰よりもそう思ってる。
 言い返せるのは、頭の中でだけだ。俺が現実に言えたのは、ごめんなさい、なんていう誰の特にもならないような謝罪だけだ。
「俺なら大丈夫だよ」
 精一杯強がると、オヤジはようやっと「そうか……」諦めたように言ってうつむいた。


NEXT TOP


Copyright(c) 2015 chiaki mizumachi all rights reserved.