塔の上の王子さま ―1―

ススム | モクジ
――塔の上には王子様がいる、らしい。
 彼は御后様となる運命の花嫁を、じっと待っている。

 ***

「普通塔の上にいるのはお姫様でしょ」
 配られた台本を読み終えるなり、私の前に座る美晴がどことなく不満そうにつぶやいた。伸ばしかけの前髪が汗で張り付いて邪魔なのか、しきりにかきあげて、仕舞いには隣の百合菜にピンを差し出されている。
「まあまあ、これが伝統だからさあ」
 笑う部長の言葉に、私も今一度手元の台本の表紙に視線を落とす。
 通学路の桜も散りかけたゴールデンウィーク明け。普段どおりストレッチから始まる基礎練習を終えた私たちに、二ヵ月後に行われる学校祭用の台本、『塔の上の王子様』が配られた。
 伝統、と部長が言うのは、去年も一昨年もその前もずっと前も、つまりは創部されてからほぼずっと、学校祭では同じ演目をやっているらしい。
 確かに、入学した始めの頃に行われた部活紹介で上映された去年の学校祭のDVDに映っていたのものは、こんな感じの話だった気がする。
 けれど……手元の台本の裏表紙をめくって何度も確認する。美晴の方をじっと見てみたが、こちらを気にすることはないようだった。
「あの、先輩、これ途中で切れてるんですけど」
 斜め前に座る他の一年生が、私と同じ用に何度も台本をめくって確かめた後、おずおずと部長に向かって手をあげた。
 そう、この台本、話の途中からばっさりない。
 ああ良かった。私だけではないのか。
「ああうん、後半は熱意製作中。落丁とかじゃないよ」
 しれっと何でもないような風に言われて、質問した彼女ははあと不安げな相槌を打った。
「部長、ちゃんと説明してあげなよ」
 部室の後ろでフォローの突っ込みを入れたのは、演劇部でたった二人しかいない男子部員の一人、三年生の北大路先輩だ。苗字から一文字とっぱらって大路と周囲から呼ばれているようだけど、その爽やかな笑顔やルックスから、私たち後輩からはどちらかというと『王子』先輩の意味を込めて呼ばれていることの方が多い。
「んーとね、これも伝統なんだけど、毎年オリジナルをちょっとずつ改変してやってるのね。でも毎年毎年変えてるからそろそろネタが被ってきてなかなかいいのが思いつかなくてね……。今頑張って考えてるから、ちょっと待ってて」
「はあ」
 説明されても不安は消えなかった。むしろ逆に不安が増す。あと二ヶ月だっていうのに、間に合うのだろうか。
「まあ大丈夫大丈夫。今ね、文芸部に通って手伝ってもらってるのよ」
 部長が胸をはる。ここのところ練習が終わるとすぐに部室からいなくなっているはそのためか。
「はい、じゃあ他に質問は? ないよね? ないなら役決めは来週の月曜にやるので、それまでに希望の役の台詞を覚えておいてね。希望者が重複したらオーディションかなぁ……」
 部長がぐるりと部員たちを見回した。部員の数は十二人。この劇をやるにはギリギリの人数だ。
「そのときはそのときで! はい今日は終わり!」
 マイペースな部長がぱんと手を叩くと、自分はすぐさま立ち上がって台本を自分の鞄に詰め込んで、いわゆる埴輪ルックと呼ばれるジャージの上にそのまま制服のスカートを履いた出で立ちで鞄を担ぐ。
「川合、あたし今日も文芸部行ってくるから、鍵よろしく」
「……おう」
 王子先輩の横でミーティングノートを開いていた副部長の川合先輩が低い声でうなずき、黒いセルフレームの眼鏡を押し上げた。彼が残るもう一人の男子部員で、かつ三人しかいない三年生の一人でもある。
「んじゃお疲れ!」
 嵐のように部長が部室を飛び出していくのを見守り、
「文芸部も可愛そうに」
「あちらも学祭のために忙しいだろうにねぇ」
 三年生二人が並んでワンマン気味な彼女にため息をついた。
 私以外の他の一年生たちは台本を開きながら雑談に興じていた。どの役をやるか、そんなどことなく牽制めいた、じゃれ合いのようなやりとりだ。
 前半部を見る限りでは物語の主人公は商家の娘ナターシャ。少し勝気だけど、健気な『美少女』だ。美少女という設定は私には無理があるかもしれないけど。
 やってみたいなと、思わないわけでもない。
 でもどうせ、と思いながら美晴を中心に集まる彼女たちを眺めた。いっぺんに何人か喋っている状態なので、私のところまでは詳しい会話が聞き取れない。途切れ途切れに役名が聞こえてくる。
 部室の隅で一人体育座りをしたままぼんやりしていると、頭に影がかかった。
「山田」
 不意に呼ばれ顔をあげると、川合先輩がノートで肩をたたきながらこちらを見下ろしていた。
「杉内に聞いたがお前裏方希望だって? パネルの確認しにいくから来い」
「え?」
 思わず間抜けな声がでた。そんなことは一言も言った記憶がないぞ。
 くすくす笑う声に振り向くと、美晴たちがこちらを見て笑っていた。
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