繋がる星と願いと

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2028年10月

「……どうしたら、ちゃんと死ねますか」
 そう呻いた彼女の声は、ひどくガラガラして掠れて、まるで別人のそれのようだった。一体どれだけ泣いたのか、赤く腫れた目の下には隈が出来、決して枯れることのない涙が今も一筋頬を伝っている。
 左腕の痛みを訴えながら、右腕でほとんど無意識にさする。すでに癖に近い。けれどどれだけ触れたところで、自身に左腕がさすられる感覚は伝わらなかった。その左腕はすでに生身のものではなく、脳機能バイパス技術を用いた義手に置き換わっているからだ。見た目はそのものであっても、それを覆う皮膚は再生した彼女のものであっても、彼女の腕であって、彼女の腕ではない。
 季節は秋から冬になろうとしていた。病院の窓の外には、冷たい木枯らしが樹木にわずかに残った茶色い葉を揺らしている。
 左腕と左眼、そして親友を喪ったあの痛ましい事故から、半年。彼女の苦しみは癒えず、その兆しも見えない。
 担当医師は、彼女――睦月 輪華の両親を呼び出すと、静かにこう言った。
「一つ、ご提案があります」

 ☆☆☆

――脳機能バイパス技術。大脳新皮質にある一次運動野、一次視覚野、一次聴覚野など大脳で情報の出入口となる領域を読み出したり刺激したりすることで、機械が機能障害を負った脳の代わりを務めている技術。
 意識不明の状態から回復して、輪華は己の身に何が起こったかを聞かされた。
 己の身に施されたそれをサイバネティックスの一種だと主治医から説明されても、輪華には一切ピンとこなかった。分かったのは、何事もなかったように存在しながら、動くたびに低いの音がする自分の左腕と、瞬き直後に一瞬輪郭がじわりとぼやける左眼は、どちらも機械に置き換わっており、すべての違和感はそのせいである、ということだった。
 また、左足には頚椎損傷による麻痺があり、投薬と長いリハビリを行わなければならず、そのリハビリを終えたとしても、義手と義眼を動かすには、無線ネットワークを通じて病院地下にあるサーバー支援が必要であり、故に専用回線の届く範囲にしか行けないことを伝えられた。
 一切頭に入ってこない横文字や難しい言葉を飲み込めずにいると、それから一番最後に、親友の死を知らされた。
 以来、輪華は絶望の底で、後悔ばかりしている。
 半年前、あの事故の日、忘れ物をしたことに気づいたのは家を出て数メートルのことだった。忘れたのは数学の宿題のノートで、今となっては、そんなもの、捨て置けばよかったとさえ思う。輪華の高校の数学教師は校内一厳しくて恐ろしいと、入学して半月しかたっていない輪華ですら知っているほど有名だったけれど、それがなんだっていうのだ。忘れても、怒られて、少し点数が減って、教師からの心象が悪くなる、たったそれだけだ。
 そんなくだらないものと引き換えに、輪華は大きなものを失った。
――輪華、戻ろうよ。大丈夫、バスを一本遅らせても余裕があるもの。
 陽奈の言葉が脳裏をよぎる。優しい子だった。その優しさに、輪華は甘えてばかりだった。
 戻ったりしなければ、バスを遅らせたりしなければ。
 事故に遭わなかった。あの暖かい日々を続けられた。
「……ごめんなさい。ごめんなさい」
 繰り返し何度も呟く謝罪は、天国に届くのだろうか。
 事故で失ったはずの左手首が痛む。無意識に左手を握りこもうとすると、僅かに間をおいてモーター駆動音を感じた。
――うるさい。
 そう思うと同時に輪華の胸の内に不快な靄が広がるような感覚を覚えた。耳をふさぎたくても、その音を出すのは今や自分の左腕だ。
「うるさい……うるさい……!」
 泣きながら義手の付け根、左肩のすぐ下を握りしめた。つなぎ目は輪華の目から見ても完全に一体化しており分かないが、触れられる感覚がない場所だから触ればすぐにわかる。引きちぎりたい一心でつかんだが、当然、できるはずもない。
「こんな、こんな腕!」
 苛立ちに任せるように左腕を振り回した。サイドテーブルに置かれた見舞いの花が活けてある花瓶が落ち、派手な音を立てて割れる。その音が、さらに衝動を大きくする。
 いっそこんな腕、この花瓶のように壊れてしまえばいい。どうせ自分はガラクタだ。
「どうして、こんな! もう、ああ! いやああ!」
 輪華は自分でも訳が分からない言葉で泣き叫び、点滴を引きちってシーツを掻きむしり、枕を壁に投げつけ、ベッドテーブルの上に積んである本の山をなぎ倒す。
「どうしたの輪華ちゃん! 落ち着いて!」
 騒ぎを聞きつけたナースが飛んできて、複数人がかりで取り押さえられる。白い塊から複数の腕が伸びて来るように見えて、輪華はさらに暴れて叫んだ。
 そのうちの一つが注射器を持つのを確認した直後、輪華の意識は途切れた。
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