海の天の川

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「天の川を渡れたら、願いがかなうそうだ」
「どうした急にポエミーだな」
 湯呑を片手に、黒滝がからかう様に言って笑った。
 その夜の海は静かだった。雲一つない空に、満月がぽっかりと天に穴をあけたように浮かんでいる。
「うちのひいじいさんも海で死んだらしい」
「へえ?」
 唐突な話題の転換に、黒滝は小さく首をかしげながら相槌を打った。酒で酔っているわけではない。二人の手の中にある湯呑の中身はどちらもただのお茶だ。
「乳飲み子だったじいさんを抱えてひいばあさんはかなり苦労したそうだ」
 湯呑に移った月を飲み干しながら、黒滝がくつくつと笑った。向かい合う男は『海への憧れ』だけで故郷の山からこの横須賀へ出てきたのを知っているから。海が異形の生物の棲家となり人類がその脅威にさらされるこの今、内陸や高台にある住宅はわずかに残された安全地帯だ。そこからわざわざ出てくるのは、大ばか者か死にたがり、そう後ろ指さされてもおかしくはない。
「そりゃあ大反対さ。今でも山に帰ってこいって手紙が来る」
「ボンボンのくせに野猿みてぇな言い方だな」
「ボンボンじゃない。古いだけ」
 真島はかるく黒滝をねめつけ、軽く肩を竦めながら急須から自分の湯呑に茶を注いだ。本当なら酒が良かったが、あいにく二人とも今は基地で待機中の身だ。間もなく帰ってくる輸送船を出迎え、揚陸のフォローをしなくてはならない。
「どうやって説得した? まさか家出したわけじゃないだろ?」
「力で。……近所に川があって、夜中そこに突き落とした」
「……誰を? まさか両親?」
「いや、一番反対してた伯父貴」
 黒滝は目を丸くして、ややあってから腹を抱えて笑い出す。今日の黒滝はずいぶんと笑いの沸点が低いようだった。
「うち俺以外カナヅチなんだ。水に近づかないのが家訓だったから、一人で引き上げるのは苦労した」
 急須の中の茶は、開け放った窓から吹き込む潮風を浴びてすっかり温くなっていた。それでも落ち着かない気持ちを静めるように、ちびちびと真島は舐めるように飲む。
「突き落としといて自分で助けたのかよ」
「死ぬまでいかれたら困るし」
 ばつの悪そうな顔で真島はため息をついた。
「両親の説得は簡単だった。唯一海を見せにつれて行ってくれたのは親父だったし」
――こんなことならつれていくんじゃなかった。と言われたが。
 ふうんと黒滝は頬杖をついて相槌を打った。彼は真島とは対照的に生まれも育ちも海のそばだ。海の生物への――主に食に対する――興味はあっても、馴染みのある海そのものへの興味はあまりないようで、理解できないと言わんばかりの表情をしている。
「お、帰って来たな」
 ふと窓の外に視線をやった黒滝が、水平線付近に輝く星のような光に気が付いた。
 二人がずっと待っていた輸送船と、それを護衛する回遊隊の光だ。
「なんで突然そんな話?」
「伯父貴を突き落した川はとても澄んでいたから、星が綺麗に映っていた。まるで天の川みたいだったなと思って」
 同じように窓の方をみた真島の言葉に、ようやく最初の言葉に話がつながったのだと黒滝が振り向いた。
「渡りきれたのか」
「だからここにいる」
 真島はどこか誇らしげに微笑んだ。目を細めて海原を見る。
 水平線の向こうから星が近づいてきている。海上を各々ライトをつけて蠢く回遊隊員が星のように見える。
――まるで、天の川
「次に天の川を渡れたら――なあ、黒滝」
 残りは言葉にならなくて、真島は俯く。黒滝はじっと真島を見たかと思うと薄く笑って、
「覚悟しておく」
 そう答えた。


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書いたの:2015/8/5フリーワンライ企画お題使用
お題:天の川を渡れたら
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