ダブルキャスト

TOP



「やっべぇ!」
 腕時計を見て思わず悲鳴めいた声を上げた。短針は五の数字、長針は十二と一の間を指している。
 大分前にスマホで調べたままの表示になっている電車の時刻と同じ時間だ。
 つまりは、遅刻だ。
 慌てて俺はスマホの画面をホームに戻し、電話のアイコンをタッチ。一番上に表示されている人に電話をかける。七回目のコールでようやくでたその人は、俺が名乗るのも待たずに、分かりきっていたような声で「どうした」と低く尋ねた。
「すいません遅れます!」
「またか。……まだ五時じゃないか。こちとら仕事上がったばっかりだぞ、待ち合わせは六時だろ。そっちは非番だって言ってたはずだけど」
「まじすいませんここから一時間十分かかるんです!」
 全力ではきはきと答えれば、電話の向こうで彼女はため息をついた。これだから最近の若者は、と呟かれた。
「まあ、ゆっくり来な」
 苦笑いしているのが安易に想像できる声と、ため息。
――じゃらり、とその言葉の雰囲気に似合わない、聞こえるはずもない、見えない鎖の音を俺は聞いた気がした。
「先に店に入ってる。お前がつくまで、お前の金で飲むとしよう。私を先に酔わせるなよ?」
 クク、とどこかの悪役のように笑った奈央子さんに、俺はもう一度、「すいません」と、それに「勘弁してください」を続けた。



『走ってこい若者。私がお前たちに使える時間は有限だぞ』
 大学の演劇サークルで三つ上の先輩だった奈央子さんは、俺たちが遅刻をすると、きまってそういうのが口癖だった。
 電話の向こうから聞こえてくる悪そうな声が好きで、俺の遅刻癖は一向に直らないままだ。
――それを奈央子さんが封印してしまったのは、今から五年も前になる。
 帰宅ラッシュで混みあう電車の中で、俺は荷物を胸に抱え直した。
――親友の敬人が事故死した、という連絡が入ったのは、結婚すると二人から聞かされて、わずか二か月後のことだった。
 その後の記憶はあまりない。正直にいうと、俺はその前の記憶、結婚報告を聞いた後からの記憶があまりない。呆然自失になりながら、かろうじておめでとうと言った気がする。
 高校の演劇部時代から、敬人とはよく同じ役を競い合った。背丈も体格もほぼ一緒で、演技力も歌唱力も、同じぐらい。大学のサークルでの最終公演は、ダブルキャストで行った。
「今回は幸也の方がよかったな」
 どちらも見に来てくれた奈央子さんの評に心を躍らせたことを、今でも覚えている。
――まさか、奈央子さんの恋人の役まで、知らずに敬人と争っていたとは。
 その日、敬人は奈央子さんと待ち合わせをしていて、俺たちにとってはいつもの通りに遅刻をしたらしい。奈央子さんの口癖に、分かってますよと返したのが、敬人の最期の言葉だったそうだ。
 以来、奈央子さんは一人のままだ。



「ゆっくりこい、って言ったじゃないか」
 二杯目のビールがギリギリ飲み干される直前で俺が約束の店にたどり着くと、少し不満そうに奈央子さんは言って笑った。石がぶら下がったようなデザインのイヤリングが揺れる。大学時代はほとんどすっぴんのようだった奈央子さんも、社会人になってさすがに気を使い始めた。
「駅までと、駅から、二回タクシー使いました」
「無駄遣いしやがって」
「奈央子さん酔わせるほど飲ませることに比べたら、安いほうっす」
「最近はそこまでザルじゃないよ」
 まあ座れ、とテーブルの横に差されたメニューを取り出しながら奈央子さんは言ったが、俺はばくばくと心臓が高鳴って、折角の彼女の声がよく聞こえない。
「どうした」
「結婚、してください」
「――は?」
 見えないよう背中に隠していた花束を、その場に跪いて差し出す。
「お前、なに言って、ていうか、これ」
「俺は奈央子さんを離しません、絶対に」
「造花、じゃないか」
 俺に押し付けられたそれを見て、奈央子さんは目を丸くした。
 そうだ、薔薇の造花だ。決して枯れない、と意味を込めたつもりだ。
「た……敬人も、同じこと、したんだぞ。知ってるのか」
 きっとあいつもそうだろう。俺と敬人は、考えることもよく似ていた。
「知ってます。俺も、敬人と同じ場所においてくれませんか」
 奈央子さんは今でも敬人が忘れられないでいる。赤い糸、と呼ぶには強固な、鎖のようなそれが指に絡んでいる。
 俺はそれでも、かまわないと思う。
「そんなに敬人と比べてほしいのか、バカかお前は……」
 深いため息を吐き出した奈央子さんは、目じりに涙を浮かべてそう呟いた。
 俺は昔のように神妙な顔で、彼女の評を待つ。


TOP

書いたの:2014/10/5 フリーワンライ企画にて
お題:はなす(変換可) 造花の花束 午後五時からの遅刻 見えない鎖 ダブルキャスト
Copyright 2014 chiaki mizumachi all rights reserved.