明け方の来訪者

TOP



「うち、すすきのから歩いて十分なんですよ」
 そう先輩に教えたのは、今から二年前の夏になる。サークルの飲み会でのことだった。
「まじで!? じゃあ終電終わるまで飲んでも歩いて帰れるんだ!?」
 一つ年上の田野先輩がそう羨ましげに言うから、つい、なれないアルコールで酔った勢いもあって「いつでも泊りに来てもいいですよ」なんてことを口にしてしまった。
「本気にするぞお?」
 人の倍以上飲んでいる先輩は少しろれつの回らなくなった舌で言って、こちらの肩に寄りかかる。トロピカル風の、シャンプーの甘い匂いがした。
 本当に先輩が深夜にやってきたのは、その次の週末のことだった。

★★★

「おー松原ー、来たぞー」
 チャイムを鳴らし、いつもの調子で先輩はコンビニ袋を掲げた。今日の中身はするめいかだった。先輩がやってくるときは、いつもこうしてなんやかんや、手土産を持ってきてくれる。プリンみたいな甘いものだったり、今日みたいに乾き物のツマミだったりもする。
「おかえりなさい、うわ、お酒くさい……」
 年末と年始は飲み会が多いから、毎週のように、ひどい日は何日も連続して先輩は我が家にやってくる。この二年と半分の間、先輩が泊りに来た日だけこっそりつけている手帳の記号は、今月異様に密度が高い。
 それを見るたびに、こちらの気も知らないで、と、自分で望んたこととはいえ、自嘲的な気分になる。
「いっそのことここに住んだらどうですか」
 去年の冬、飲み直しに付き合って、冗談めかしつつそう言ったこともあるが、ぽかんとした先輩の次の反応が怖くて、続けて「上の階に空きがあるんです」と言ってしまったから、結局有耶無耶になった。
 しかしこの習慣もきっと今年で終わる。先輩は四年生になり、内地での就職の内定も取れている。
 こちらの気持ちと下心は隠したままの三年間が、終わってしまう。
「今日はどこでだれと飲み会だったんです」
「軽音サークル。店はぁ、ええと、どこだっけ」
 もはや数十分前の記憶も怪しい先輩は、聞いているこちらが不安になってくる呂律でそう言い、ぼすんとベッドに横たわる。
 先輩の交流関係は多岐にわたる。サークルだって複数に顔を出しているし、入会していないサークルの飲み会だって、誘われても誘われなくても知り合いが居れば飛び入りで参加出来てしまう人だった。
「歯磨きしてくださーい」
「うー」
 放っておけば三秒しないうちに眠ってしまいそうな先輩の頬を軽く叩き、洗面所に誘導する。
 てっきり飲み直すつもりでツマミを買ってきたのかと思ったが、買った時だけの気分で、もう今はそんな気力もないようだ。冷蔵庫には今月だけは奮発して常備しようと思って買った、発泡酒でも第三でもない、れっきとしたビールが二本冷えているのに。
 まあ、そんな日もあるかとベッド座り、戻ってきた先輩を見る。
「なんかあ、歯ぁ磨いたらー、酔いさめてきたかも」
「なに言ってるんですか、呂律廻ってないままですよ。目も座ってるし、ほら」
 少し間をあけてベッドに座り、ローテーブルにおいたコンビニ袋をがさがさやり始めた先輩の手を掴んで止めさせて、こちら側に倒すように腕を引っ張ると、ぽすん、となんの抵抗もなく先輩はベッドの上に倒れた。
 頭は、目線の下、こちらの膝の上。
 横になった瞬間、昔従妹が持ってるのを見たことがある、横に倒すと目を瞑る人形のように先輩の瞼は落ち、膝枕の状態に何の疑問を抱かないまま、数秒ですうすうと穏やかな寝息が聞こえてくる。
「おやすみなさい」
 少しだけ、だ。少しの間だけ、先輩専用の膝枕になる、それくらい、許されてもいいと思う。
 きっと先輩は覚えていない。朝までこのままではいない。先輩が目覚めたとき、頭は何事もなかったかのように枕の上だ。
 カーテンの隙間から少しだけ見える明け方の街を眺めながら、先輩の頭をそっと撫でた。


TOP

書いたの:2015/1/10フリーワンライ企画にて
お題:きみ(人称変更化)専用まくら 明け方の街
Copyright 2015 chiaki mizumachi all rights reserved.