どうして私が小学生

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 この世界の月はいつも青空とセットだ。理屈的には月が二つあるせいだからなのだけど、現地人の人に言わせれば月が青空に恋しているから、らしい。
 それをロマンティックねと感じるか、一緒にいるだけで恋してると思うなんてまるで小学生女子の感性ねと皮肉るかは人それぞれだ。
 もちろん私は後者であるから、こんなことを言うんだけど。
 私には恋どころか、ぽつんと青空に解けて消えそうなかわいそうで寂しい月にしか見えない。
「小学生は私か……」
 中庭を囲む回廊の窓枠に持たれながら、私はひらがなの教本を閉じてため息をつく。
 今年でもう二十五歳になるっていうのに、私は小学生だ。二十五の小学生なんて笑えない。
 便宜上ひらがなと言ったけれど、この国にとっての「ひらがな」であって、私の知る「ひらがな」ではない。丸と三角と四角と直線を組み合わせた文字はいつまでたっても見慣れない。
 会社に行くために満員電車に乗り込んで、乗客に押しつぶされて意識を失ったら、私は知らない世界にいた。最初は言葉も通じなくて四苦八苦したけれど、今は親切な魔法使いがくれた左耳にある魔法具のイヤリングが変換してくれて、話すのと聞くのには苦労していない。読み書きが出来なくたってそんなに不便はないのだけど、できないのだと言ったらそれはいけないと後見人の魔法使いにぶち込まれてしまった。
 いくらなんでも小学校なんてひどすぎる。――もっとも私の語学力は幼稚園児並みで、ぶち込まれた四年生クラスですらついて行けなくてひーこらしているのだけど。
「オーカ!」
 教室棟のある廊下の向こうからクワサが手を降ってやってくる。
 私は眉を顰めた。
――一緒にいるだけで恋してると思うなんてまるで小学生女子。
 その理論で、今クラスメイトの女子たちにクワサが私に恋しているのだと囃し立てられている。
 勘弁してほしい。日本人的感性では確かに将来に期待したくなるイケメン予備軍だけど、相手は十歳だ。
「ここにいたの? お弁当一緒に食べよう」
「ごめん、もう食べちゃったよ」
 年齢のことがなくたって、クワサは苦手だ。十歳に混じってお弁当なんて先生でもないのに恥ずかしくてできないのに、こうやって変に気を利かせてくる。
 暗に断っているのに、クワサは食い下がって「じゃあ隣で食べててもいい?」と言って返事も待たずに座り込む。
「……困るんだけどな、小学生にからかわれるのは勘弁してよ」
 私は翻訳の魔法具をわざわざ外してからため息をついた。
「いいじゃないか。折角ぼくら『飛べない鳥』仲間なのに」
 日本語での悪態がなんとなくわかったのだろう、魔法具を装着し直すのを待ってからクワサが口を尖らした。
 『飛べない鳥』、この世界で普通の魔法が使えないものたちの総称だ。蔑称ではない。どちらかと言えば敬称かな。
 普通の魔法が使えない分、特殊な魔法やその他の分野に抜きんでている。ペンギンが空ではなく海の中を飛ぶように、クワサは言葉を魔法にする。
「私はそんなのじゃないよ」
 魔法が使えないのは単にこの世界の人間じゃないからだ。彼らがすごいと褒め称えるのはただの化学。私がすごいわけじゃない。大学でちょっと学んでいただけで、今は全く別分野のOLだったわけだし。
「あんなの、ただの知識だもの」
 そして本当の私は、現時点でこの国のひらがなすら覚えられない無能だ。
「知識は武器だって先生が言ってた」
 言い争う気はないので、私は口をつぐむ。いいからさっさと弁当を食べなさい、なんて言い返したら完全にお母さんになるからそんなことするもんか。
「昼休みにみんなでサッカー(と翻訳されるけれど、微妙にルールの違う球技)するんだけど、一緒にしない?」
 黙って遠い目で月を見上げていたら、米粒(米に似た穀物で私の良く知るジャポニカ米ではない)を口の端につけて、クワサが心配そうな目で見てきた。とってやりたい。でもそれはますますお母さんぽい。
 私はため息で誤魔化す。
「たまに一人でいないと、調子が悪くなるのよ」
 一人と独りは違うのだと、こちらに来てから思い知った。
 今は率先して関わってくるクワサや後見人の魔法使いが居て、逆に寂しくない。
 向こうの私は独りだった。でも今は一人きりであっても独りではない。
「それに歳だから走りたくないの」
「そんなのよくないよ!」
 私の手をぐいと掴むと、クアサは弁当をその場に置いたまま、ずんずん引っ張っていこうとする。
 いや待って、ほんと待って。だって次の時間も体育でしょ。
「だから小学校っていやー!」
 悲鳴が廊下に響いたけど、助けてくれる人は誰もいなかった。


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書いたの:2016/7/29フリーワンライ企画にて
お題:飛べない鳥 青空に恋した月 1人と独りは違う 満員電車
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