シンパシー

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「こっちで『トレセの花』を育てても、花が咲かないのね」
 日課の水やりをしながら、ミルが小さくため息をつく。見下ろした植木鉢の中の草はつぼみすらできる気配がない。
「そうだよ知らないで育ててたの? そもそも咲いて花粉出たら死んじゃうじゃん」
 最後の一枚だったトゥレス土産のクッキーを頬張りながら、俺は眉を顰めた。
 隣国トゥレスの国花であるその花は、開花と同時に大量の花粉を放出する。その花粉は強いアレルギー性をもっていて、トゥレス人は生まれつき耐性があるらしいけど、よそ者には強い毒となり、多くは吸い込むと死に至る。
「歌になるほど可憐な毒で死ぬなら、それでもいいかなって」
 はぁ、と俺はますます眉を顰めた。身内の『死んでもいい』発言は中々看過できないものだ。
「冗談でも不快なんだけど、ねーちゃん」
 理由は問いただすまでもなかった。この姉は、一か月ほど前に結婚を二か月後に控えた恋人に一方的に婚約破棄をされている。相当ゴタゴタしたようだが、数年は働かずに暮らせるぐらいの慰謝料をもらって、姉は仕事をやめた。あの男と職場が一緒だったからだ。
 傷心旅行と称して母ちゃんとトゥレスに行って、持ち帰ったトレセの花の種を育てることに夢中になっていたから、てっきり元気になったのかと思っていた。全く俺は鈍感だったのだ。よく指摘されてきたけど、今になってようやく自覚する。
「ごめんごめん。死にたいわけじゃないよ。見てみたかっただけ」
 ミルは誤魔化すように笑ったが、さっきの発言を聞いたあとでは、ミセモノの笑顔を浮かべているようにしか見えなかった。
「綺麗な花らしいよ。ほらこの絵葉書、トレセの花の写真が使われてる」
 手帳に挟んであった絵葉書には、血を思わせるような真っ赤な大輪の花が写っていた。異国人の目には決して触れることのない、トゥレス人の為だけの花。
 可憐な毒とも言う二つ名にはあまり相応しい色ではない。こんなもので死ぬなら、姉じゃなくてあの男であるべきだ。あるいは、あの男の子を腹に宿したあの女か。
 そう思ったままを口にしたらミルは顔をしかめて「滅多な事言わないで」と言った。自分のことは棚に上げてだ。
 言うんじゃなかったなと思う。
「そういうのを考えるのは……ううん、なんでもない」
 ミルはぼんやりと植木鉢を眺めている。花は咲かないけど、常緑の観葉植物としてだって有用なはずだ。
 行き場のなくなったミルの愛情を受けて、『トレセの花』は青々とした葉を茂らせて空に手を伸ばしている。
「土が、トゥレスと違うんじゃないかな。季候はこっちとほとんど変わんないはずだし。うちは日当たりもいいはずだし」
 花なんて咲かないほうが良いのに、気が付けばそんなことを口にしていた。ミルはぼんやりと俺を見上げる。
「土……そうかも」
「でも、もう取りに行けないよ」
「そうね。もうトゥレスにはいけないわ」
 トレスの花が咲くころには、トゥレスへつながる道はどこも閉ざされ、一時的にかの国は鎖国となる。
「どうしようもないわね」
 それは花に対してか、自分に対してか。
 呟いた姉の目には、あの男の前では隠しきったはずの涙が浮かんでいた。


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書いたの:2015/8/1フリーワンライ企画にて
お題:隠しきった涙 ニセモノの笑顔を浮かべて
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