二度目の魔法

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 鏡の前の自分の姿を見て、ため息をつくのはもはや日課みたいなものだった。
 頭頂部からこめかみにかけて、絵具を垂らしたような鮮やかな緑の髪。私の本来の髪色とは違いすぎて、とてつもなく目立つ。こうなってしまったら、もう切るしかない。染めようとしても、この部分だけは頑なに染まらないのだ。そんなはずないのに。
「もうやめたら」
 いつものように引き出しから髪切り鋏を出したら、後ろから母に咎められた。
「でも、父さんが」
 伏し目がちに言うと、母さんは私の肩を両手でそっと抱き寄せる。
「もういいじゃない。それに、これ以上切ったら逆に目立つわよ」
 居間の引き出しの上の、三人で撮った唯一の写真が写真立におさまっている。これしか持ってこれなかったことを、今でも私は寂しく思う。
「……はい」
 私は小さく頷いて、ハサミを引き出しに戻した。


 強い魔法の素質というのは、髪に出るらしい。
 そうと知ったのは十歳のころ、初めて髪に緑色の毛が出た時だった。
 そして癒しの力を司る緑の色が出るのは、とても珍しいのだそうだ。そう教わったときの記憶を振り返ろうとすると、どうしてもお酒の臭いに邪魔される。
 最初は、純粋に私の力を褒めてくれていた。
 それが、嫉妬になるまでに長くはかからなかったけれど。
――それほどの力が俺にもあれば。
「やあ、おはよう」
「……おはようございます」
 緑の髪を隠すために帽子を目深に被って学校に向かっていると、途中で声をかけられた。私は挨拶を返してすぐ立ち去ろうとしたけれど、行く手を阻むように彼女は私の前に立ちふさがる。
 最近この小さな田舎町にやってきた、流れの魔術師だった。肩にかけたジャケットには、国立魔法騎士団の紋章があるが、随分と色あせている。退団すると制服から色が抜ける魔法がかかっているのだ、というのは騎士団の本部から遠く離れたこんな田舎でもよく知られた常識だ。それでも彼女をはじめ退団員が紋章を手放さないのは、それが彼らのプライドの象徴であり、一種のブランドでもあるからだ。あるとないのでは、仕事の数が変わってくる。国家の犬だって言って、嫌っている人もいるけれど。
 とはいえ、こんな田舎では魔術師の仕事なんてたかが知れている。
「なにか用ですか」
「怪我人がいてさ。手伝ってほしいんだ」
 そういう彼女の真っ赤な髪の毛には、私と同じように一筋の銀色が混じっている。
 銀の色ってどんな力なのか、魔術の勉強をしていない私にはわからない。
「……これから学校にいくので」
 だから力になれることはないのだ。素質があるらしくても、私はもうずっと魔術の勉強をしなかった。力を使ったのはのは初めての一度だけ。そして、これからもきっと出来ない。
「さようなら!」
 私は叫ぶように言って駆け出した。



――どうして俺には才能がなかったんだ。
 父は、凡才が努力に努力を重ねてこの国唯一であり最高峰でもある国立魔法騎士団に入った人間だった。だけど騎士団に入れば安泰というわけじゃない。そこに在籍し続けるには、私には想像できないほど過酷な試練があるらしかった。
 才能がなく、努力するしかなかった父は、そこに長くしがみついていることは出来なかった。私が生まれる前、いや、母さんと結婚すらする前の話だ。
 最高峰に一度でもたどり着ければ、民間でいくらでも仕事はある。だけど父はその劣等感を十年以上も心の内に燻らせ続けていたらしい。
――それに火をつけたのが、私の髪だった。
「……嫌だな、気持ち悪い」
 私は立ち止まって、荒い息を吐きながら呟く。またお酒の臭いを思い出して、学校に行く気が失せていた。
 劣等感で身を焼き尽くした父から母と逃げたのに、私はまだ私自身の力から逃げられていない。
「……大丈夫?」
 振り返って、私は思わず悲鳴を上げた。振り切ったと思っていた魔術師がそこに立っていた。
「追い駆けっこは、得意だったんだよね。……とはいえ」
 笑いながらも、彼女の顔は真っ青だった。だらだらと脂汗を流していて、真っ赤に染まったシャツの脇腹を押さえている。
「流石にこの状況は、きっつー……」
 そこまで言って、彼女は笑顔のまま前のめりに倒れた。



 そのまま道の真ん中に捨てて行けるほど、私は悪人になりきれなかった。
「怪我人って、まさかあなただったなんて」
「あー……言葉が足らなかったね」
 近くの懇意にしている八百屋のおばさんに頼んで、店の奥を貸してもらった。学校でならったレベルの応急処置をして、お医者さんを呼ぶことぐらいしかできない。
「いやー、畑を荒らす魔物の退治を頼まれたんだけど、油断してね」
 さっきまで立って歩いていたのが不思議なぐらい、素人目にもお腹の傷は深い。なのに彼女は今でもどこか呑気そうに笑う。
「……元エリートなのに随分隙だらけなんですね」
「元エリートだけど、所詮早期ドロップアウト組だからね」
 私の嫌味に自嘲的な彼女に、私は彼女が私たちのことをどれだけ知っているのか、ふと疑問に思う。父のことは、母の地元であるこの町でもよく知られてしまっている。それが私たちを守る檻でもあるし、しがらみでもある。
「治療の魔法は使えないんですか」
「壊すのは得意だけど、直すのも治すのも苦手でね。ずっと得意な人を探してるんだけど」
 流石に起き上がれないのか、横になったまま彼女はどこか期待した目で私を見た。思わず被った帽子を両手で押さえる。
「私は得意じゃありません」
「……もったいないなあ。髪に出るほどなんてそう滅多にいないんだよ」
「それはあなただって」
 ふふ、と彼女は笑い声を漏らした。
「これは染めてるんだよ、残念ながら。こんな色の力はない。だけど齧った程度の奴の目をごまかせるからね。流れもんには、そういう奴結構多、いっ――」
 余裕そうだった彼女が突然傷を押さえ、体を丸めた。医者はまだ来ない。この田舎町の医者は、一人しかない上に患者も本人も年寄りで中々回ってこない。
 オロオロする私の手を、魔術師の彼女が掴む。
「今回だけでいいから、力を貸して」
 ぐらぐらと足元が揺れているような気がした。ちょっとでもバランスを崩したら、どこまでも落ちて行ってしまいそうな予感。
 けれど、私は彼女の手を振り払えないでいる。
「でも、うまくいかなかったら、私に力なんてないかもしれなかったら」
「……そんな気さらさらしてないくせに」
 名前も知らない死にかけの魔術師が、見透かしたような目で私を射抜いた。
――分かってる。私はきっと、やれるだろう。
「わかりました。今回だけ」
 言いながら、予感が確信に変わりつつあった。
 落ちたらきっと、私は昇りはじめなければならなくなる。父が昇りつめたかった、あの最高峰に。
 それは私が、蔑まれても嘆いても染まらなかった私の髪が、一番よく分かっている。


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書いたの:2018/1/13二代目フリーワンライ企画にて
お題:〇〇の犬
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