ライバル・アナザー

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 夜明けよりも早く、ビーゼは布団の中からそっと抜け出す。
 手早く身支度を整え、彼女は机の上に置かれた布をわずかに剥がすと、その下から煌々と炎を揺らすランプが現れた。そっと銀のスプーンを差し出して、炎を掬い取る。
 スプーンの上で炎は消えることなくゆらゆらと揺れている。ビーゼはじっとそれを見つめたかと思うと、呼吸を整え、口の中にスプーンを入れて炎をごくりと飲み込んだ。
「……毎朝毎朝精が出るこって」
 三段ベッドの最上階からアノンが低い声で呻く。ビーゼはスプーンを置いて再びランプに布をかけると、振り向いてベッドを見上げた。
 ランプの灯りが隠されると、部屋は薄暗くなる。カーテンはビーゼが起床と同時に開け放っているが、日が昇るのはまだ少し先だ。
「起こしてしまった?」
「起こすも何も」
 言葉の続きは欠伸になって消え失せる。むにゃむにゃ、と眠たげな声だけが聞こえる。
「……卒業式も終わって就職までの最後の猶予だってのに、勤勉だなぁ」
 一番下の段に居たもう一人の同級生は卒業式翌日に早々と故郷へ旅立っていった。彼女は地元の学校で魔法を教えるのだそうだ。他の同級生たちも続々とあちこちへ巣立ち始めている。ビーゼとアノンの退寮日は他の生徒たちよりもほんの少し遅い。
「騎士団に入ったら朝日と同時に訓練開始でしょう。今生活リズムを狂わせたら、後で辛くなるじゃない。炎の精霊の加護を受けられる内に受けておきたいし」
 ビーゼは布の上からランプを撫でる。ランプに灯されているのは学園の精霊から戴いた聖火だ。体内に取り込むことで、より魔力が活性化するとされる。
――眉唾だ、とアノンは言うが。
「あなただって聖水飲んでるでしょう」
「購買でチョコレートと同じ値段で買えるあれがまともな聖水だと思っているのなら、お前は幸せ者だよ。詐欺には気を付けて」
「なによそれ」
「……まあ、早起きに関しては、一理、ある」
 ため息をつくと、ビーゼは自分のベッドにつま先をかけてアノンのベッドを覗き込んだ。
 彼女は布団をかぶって丸まっており、抱き枕代わりのウサギのぬいぐるみの耳だけがしっぽのように飛び出ている。それをつんつんと引っ張った。
「次からは起こしてあげないわよ」
「いいよ別に……そもそも騎士団の寮じゃ別室だろ。同室の子と仲良くするさ」
「あら、おあいにく。騎士団の同期はお互いだけよ。今年は魔術師不作ですって」
「はあ?!」
 アノンが布団を跳ね飛ばす。ぼさぼさの黒髪が現れた。寝間着のタンクトップの肩ひもがずり落ちて人より大きな胸がはだけかけているのを、ビーゼが咳払い一つして直す。
「つまりまた、お前の顔見て暮らさなきゃなんないってこと?」
「不幸にも」
「なんてこった」
 ビーゼの返事に、アノンが頭をわしわしとさらに掻き乱す。黒髪の中に、一筋ある青い髪がはらりと顔にかかった。これは彼女の体内魔力が水属性に強く偏向していることを表している。ビーゼの方はというと、暗い金髪に赤が一筋混じっていた。王国騎士団の最高魔術師の若かりし頃の髪は七色だったという。今は残念なことに地毛ごと散ってしまったようだが。
 窓の向こうの外が白んできた。
 ビーゼは窓の向こうを見てからベッドから降りて、マントを羽織る。
「出かけんのか?」
「ええ。あの子に魔法を教える約束をしているの」
「あの子?」
「ほら、アネット。演舞場に忍び込んだ」
「あの、火だるまになった? 退院できたのか」
 アノンがベッドの柵に持たれてビーゼを見下ろす。
 卒業の儀式の練習中に紛れ込んだ珍客の消火に一役かったのはアノンの魔法だ。彼女が不在だったならば、退院どころか命だって危うかったとビーゼは内心思う。体内に精霊の炎を蓄える彼女は、水の魔法の使用が限定される。それがなくても、とも。
 もっとも、口には出さない。
「卒業式に居たわよ。あの時は一時退院だったそうだけど」
「ふうん。まあ元気なら何より。あの程度の炎を避けられなかった子に魔法を教えて、徒労に終わらなきゃいいがね。一緒に居た子の方が素質はありそうだったけど?」
「素質はどうかしらないけど、根性はあるわ。私の魔法で火だるまになって、それでもなお向かってきたのは貴方と彼女だけよ」
「誰が火だるまになったって? あたしの魔法でおぼれたのは忘れ去られた記憶なんですかね?」
 半笑でアノンが言うと、一瞬ひやりと室内の空気が止まった。
「そうだ、あなたも来る?」
 しかしそれを打ち消すかのように、ビーゼはブラシでもう一度髪を整えながら鏡越しにアノンを見上げる。
「なんでだよ。どうせお前目当ての子だろ」
「だってあなた、授業もなく毎日ゴロゴロして、腕が鈍るどころか、肥えるわよ」
「よし表へでろ。今日こそドザエモンにしてやるよ」
 梯子に足をかけアノンがベッドを下りかけたところで、「冗談よ」とビーゼがひらりと手を振る。赤いリボンを髪に結んだ。
「……出かける前にカーテン閉めていってくれませんかね? 毎朝明るくて寝てられないんだけど」
「だから早起きなさいって。あなたを想うから私はこうしているのよ」
 ため息交じりに言うと、「じゃあね」と小さく手を振ってビーゼは部屋を出ていく。
 アネットはそれに小さく舌を突き出すと、指を鳴らして魔法でカーテンを閉じて、再び布団の中にもぐりこんだ。


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書いたの:2015/3/11フリーワンライ企画お題使用
お題:「あなたを思うから僕はこうするのです(人称変更、語尾変更はOK)」 忘れ去られた記憶
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