リセットボタンください

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 リセットボタンがあるなら、きっと今使う。
 今日を最初からやり直せるなら、なんだってする。
「秋奈ぁ……秋奈さあん……」
 マンションのドアの前で、俺はか細い声で同棲中の彼女の名前を呼ぶ。深夜だし、そんな大きな声は出せない。
 俺の視界を一直線に横切るこ憎たらしい鉄の鎖のドアチェーンは、どれだけドアを全力で押したって、僅かな隙間しか室内を見せてくれない。
「ほんと、ほんとごめんて……」
 俺が謝ると遠くからシャワーの音が聞こえ始める。このアマ、風呂入り始めやがった。なんてキレてはいけない。
 ここはぐっとこらえて、真摯に謝るしかないのだ。


 どうしてこなったか、せめて説明させてほしい。
 高校時代の悪友に呼び出されたのは、今日最後の大学の講義が終わったころだった。
 俺の記憶の時谷はどちらかと言えばオタクっぽく、教室の隅で一緒にマンガやらゲームの話をしていた仲で、今は別の大学に進学している。
「久々に飲みに行こうぜ」なんてメールが入り、二つ返事で出かけた店で待っていたのは、女の子が四人、時谷とその大学の友人だという男が二人。
 どうみても合コンです、本当にありがとうございます。
 ああ、今思えばそれに気が付いた時点で帰ればよかったんだ。うっかり言いくるめられて席に着き、連絡先の交換はしなかったけど、楽しくすごしてしまった。
 まさかそれを、秋奈の友達のカヨに見られたなんて。
「秋奈さぁん」
 風呂場の扉があく音が聞こえた。少しして、ひたひたとはだしの足音をさせながら、バスローブを着た秋奈が腕組みをしながらやってくる。
「アイス食べたい」
 不機嫌そうな顔をしつつ、開口一番そう言った。
「高いヤツ。あとから揚げ、あんまん。つぶじゃなくてごまあんのやつ」
 それ以上は何も言わず、俺の反応を待っている。
「かしこまりました!」
 俺は即座に踵を返し、ここから徒歩三分のコンビニへ走る。秋奈の好きな、けど高くて小さいから滅多に買わないバニラアイスと期間限定味を一つずつ、それにから揚げとあんまんも買って、走ってマンションまで戻ると、秋奈は先ほどとそのままの恰好、そのままのポーズで仁王立ちをしていた。風邪ひくよ。
「買ってまいりました」
「よかろう」
 一度ドアがしまってから、かちゃんとチェーンが外された。
「どうぞ」
 少し他人行儀な言い方で秋奈がドアを開けた。俺は二つに分けられたコンビニ袋を両手に下げて、神妙な顔で玄関に入る。
 1DKの部屋の奥に置いたベッドに座った秋奈が、「それで?」と足を組んだ。
「もうしわけ、ございませんでした……」
 アイスの蓋を開け、プラスチックのスプーンを添えて恭しく差し出す。
「最近帰りが遅いのは、女の子と遊んでたんだー」
「それは研究で、あの、あれは今日だけで、あの、かくかくしかじか……」
 アイスを食べ始めた秋奈に、今日の経緯を説明する。それを聞き終わると、彼女はふぅんと気のない返事をした。
「最近返りが遅かったから、寂しかったのになー」
 ネチネチと厭味ったらしくいう秋奈に、リセットボタンが欲しいと心底おもう。いや、俺が悪い。悪いのは分かってる。
「冷凍庫しまってきて」
 期間限定のなんたらショコラの方を差し出して言うので、努めて笑顔で「御意」と答える。戻ると秋奈はすでにバニラを食べ終えていて、今はあんまんとから揚げを交互に食べている。うまいのかそれ。
 lこんな時間に食べて、太るよ……などと、思っても口にだせるものか。
「近こうよれ」
「はい!」
 俺はベッドのそばに跪く。
「私を構いなさい」
「はい?」
「構え。構え! 構え!!」
 口の端にごまあんをうっすらつけて、じたばたと足を投げ出す。
「あの、ほんと、ごめんね」
「二度目はないからね!」
 頬をふくらました彼女に、「もちろんです」と誓った。
――久々のキスは、あんこの味がした。


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書いたの:2015/1/16 フリーワンライ企画にて
お題:構え、構え!構え!! 最初からやり直すには
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