女王の幸福の木の実

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 ガギン、と大地に刃が食い込む音が響いた。
「それまで!」
 スパークル将軍の声が響き、驚きに見開かれていた灰色の相貌が、ややあって本来の穏やかな色を取り戻す。
――私が勝ったらなんでも一つ、言うことを聞いてちょうだい。
 肩で息をしながらも、立ち会い前に交わした約束を思い出し、今更ながら膝が震えた。
「腕を上げられましたね、クイーン。さあ、お望みを。流行りの甘味屋ですかな?」
 ゆっくりと体を起こし、きまり悪そうに頭を掻きながらシュトラールはずいぶんと見当違いなことを言う。
「いいえ」
「では、どちらへご同伴を?」
「この先一生を。私と……夫婦になって」
 ぽかんと見上げたシュトラールの顔は、近年まれに見るほどの間抜けな顔をしていた。

***

「浮かない顔ですねクイーン」
 婚礼衣装の支度を終えて侍女が退室するのを待ってから、そばに控えていたスパークルが含み笑いで静かに尋ねた。
「お似合いですよ。普段の乗馬服よりも」
「からかうなよ、レイ」
 あえて纏めず垂らした耳の前の毛をさらりと撫でながら、幼馴染でもある彼女は本心ですわと肩を竦める。
「これで、良かったのかと思って」
「これで、とは?」
「こんな、力ずくで」
 幾重にも重ねられた純白のレースを握りしめ、私はあふれてこぼれたように低い声で呻く。
「仕方ないのでは? あの堅物相手ではいつまでたっても結婚どころか恋人にもなれなかったでしょう。一足飛びだとは、思いますが」
――貴方さまとわたしでは身分が違いすぎる。
 どれほど愛の言葉を並べても、今までずっとシュトラールはそう言って逃げてきた。
 憎からず思ってくれていると、そう思っているのは私だけなのかもしれない。私の決定に誰にも文句を言われないようにする立場と引き換えに、私はその本心を確認する機会をついに失ってしまった。
 力に物を言わせて。
「そんなお顔をしないでくださいまし。剣を教えた甲斐がありませんわ。お笑いください」
 私の両肩に手を置いて、鏡を見るように促す。鏡の中の女王は衣装に埋もれて窒息してしまいそうな顔をしていた。
「でも」
「クイーンの幸福の実が生る木は、鋼鉄で出来ていただけの話ですわ。切り倒して得るしか、方法がありませんでしたの」
「幸福の木を切り倒してしまったら、もう幸福は得られない、ということか?」
「何をおっしゃいますのやら。貴方の手の中に幸福の実があるのなら、それを植えて一から育てていけばよろしいのですわ。二人でね」
 女将軍はしたり顔で鏡越しに私を見る。つられたように私は苦笑いした。
「陛下、お時間です」
 侍女が呼びに来て、私はスパークルの手を支えに立ち上がる。重たいスカートに、腰から下がちぎれてしまいそうな気さえした。
 自室を出て、まっすぐの廊下を行く。その先に、私の衣装とは対極の夜明け前のひときわ暗い空の色をした婚礼衣装のシュトラールが所在無げに立ち尽くしていた。
「お、お似合いです、クイーン」
「シュトラール。この朴念仁」
 護衛としてついていたスパークルが小さく毒気づいて首を横に降る。
 彼女の言っている意味が分からないのか、不安げにシュトラールが私を見おろした。
「これからは名前で、呼んでくれ」
「分かりました……ディセンドラ。今日も、いえ、今日はとくに、お美しいです」
 たどたどしい褒め言葉とともに、武骨な手が差し出される。
 私はその手を信じて応えた。
「ありがとう」


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書いたの:2015/5/13フリーワンライ企画お題使用
お題:夜明け あふれてこぼれた
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