お嬢様が眠らない

TOP



「あずま。ユウリが眠るまでそばにいて」
 幼い主がスカートの裾を引く。
 ぷっくりとした頬とまん丸の瞳が愛らしく、首をかしげると漆黒の髪がさらりと音をたてそうなほど柔らかく肩から流れ落ちる。
 彼女はご自身が愛らしいと事を誰よりもよく知っている。現に、昨夜もその前の夜もその前も、何人ものメイドが籠絡して仕事を放棄している。
「ユウリさま。眠るおつもりになられてからそうおっしゃってください」
 私が答えると、ユウリさまは丸々として柔らかそうな頬をぷくりと膨らませる。
「眠るつもりはあるけれど、眠れないのよ」
 嘘おっしゃい。思わずそう言ってしまいそうになったのを、すんでのところでとどまった。
 いけないいけない。幼いとはいえ主は主だ。この屋敷のメイドを束ねるものとして、あるまじき行いをするところだった。
「ねぇあずまぁ」
「申し訳ございません、わたくし仕事中につき、お相手することが相成りませぬ」
「かわちとにぐるはお相手してくれたわ。どうしてあずまはダメなの? ユウリのお願いなのよ?」
「あの二人が疎かにした仕事がわたくしに回って来ているのです。さあお嬢様、お部屋にお戻り下さいませ」
 かがんで背中を押すようにして促すと、少女はくるりと回ってやり過ごし、その場に踏みとどまる。
「あずま。一人でお部屋にいるのはこわいわ。お化けがきたらどうするの」
「ご安心くださいお嬢様のお部屋には最新のセキュリティが揃っております、侵入者があれば幽霊だろうと妖怪だろうとたちまちとらえてみせましょう」
「あずま絵本を読んで欲しいの」
「ご自分でお読みになれるお歳でしょう。いおろい先生も褒めていらっしゃいましたよ」
 一向に靡かない私に、ユウリさまは無言で地団太を踏む。
「読んでほしいの!」
 その眼に涙が溜まりはじめているのをみて、嗚呼と天井を仰ぐ。最近我儘が通らなくて泣くことがなくなられた、大人になられたのだと思っていたけれど、やはりだめか。普段はそこまで我儘を言わないのに、この件になるととたんにぐっと幼くなる。
「わかりました。お部屋まではご一緒いたしましょう。お部屋までですよ」
「あずまは話がわかるから大好きよ」
 ため息交じりのこちらとは対照的に、ぱっとお嬢様の顔が明るくなる。当然と言えば当然の結果だ。もしかしていつのまにか嘘泣きを会得してしまったのかもしれない。困ったものだ。



 寝室にお嬢様をお連れして、髪をとかしてからベッドに寝かせてやる。絵本を引っ張り出そうとしてきたが、首を振って拒否した。
 お嬢様の部屋と呼ばれるものはいくつかあるが、寝室にだけは物が少ない。他の部屋にはぬいぐるみがずらりと並び、遊び部屋などそれだけで埋まっている部屋もあるのにだ。
 彼女はどうやら人形であっても他人の視線を感じるとよく眠れない性質らしく、つまり私がこの部屋にいる時点で彼女は眠れないのだ。
「あずま、手を握っていて」
 それを自分でわかっていて、彼女は布団の中から小さな手を差し出す。
「お嬢様、いけません。仕事に戻らせてくださいまし。お館さまがお帰りになる前に片づけなければならないことが山ほどあるのです」
 お館さまは多忙で、いつもお帰りは日付が変わる頃だ。それでも私の仕事は多いため、今から急がなければならない。
 奥様がお隠れになられてからというもの、行き届かなくなっていることが多い。決してメイドが怠けているわけではないのだが、人手が足りない。増員を打診してはみたが、お嬢様のためになるべく環境を変えたくないというのがお館さまのお考えだ。
「あず」
 私を呼ぶ声が、くああと小さなあくびになった。しまったという顔をして、お嬢様は顔を半分布団に隠した。
「ユウリさま、お眠りくださいませ。……お館さまをお待ちになってはなりませんよ」
「だってこうでもしなければお会いできないのよ」
 さみしい、つぶやきは布団の綿の中へ吸収される。
「おとうさまはユウリよりよその子のほうが大事なの」
「そんなことはございませんよ」
 今お館さまは各地に国立の学校を設立することを帝から任ぜられて、そのために東奔西走している。お嬢様はじめとする貴族の子供には家庭教師がついているが、下町に住む子の識字率は未だ低い。私だってこの御屋敷に奉公に来て奥様から手習いをしていただくまで読み書きは全くできなかった。
「お嬢様のためを思うからこそ、お忙しくしていらっしゃるのです」
 けれど私の言葉は主には届かない。ぷいっとそっぽを向かれた。
「はやくおとなになりたいわ。そうしたら、おかあさまのように、おきて待っていられるのに」
 私は柔らかな前髪を払い、幼い額をなでた。
「ならば尚のこと早く眠らないと、大人になれませんよ。さあ、おやすみなさいませ」
「本当にいてくれないのね? あずまぁ」
 甘えた声は布団に潜って遠くなる。私は一礼して部屋を辞した。ほんの少しドアの隙間を開けて、天窓から満月だけ見守る幼い主を見つめた。
 おかわいそうなお嬢様。母親は亡くなって、父親は多忙で顔も合わせられない。メイドに甘えたくなるのもわかる。自分の仕事のために邪険にしてしまうが、そのたびに申し訳ないと思う。
 私の肩を、誰かが背後からぽんと叩いた。



「あずま、探したのよ。どこへ行っていたの!」
「シッ。お嬢様のところよ」
 昨夜自分だってお嬢様に深夜まで付き合わされたくせに、それを棚に上げてかわちが腰に手を当てた。
「明日は起こしてくれるなって、どういう風の吹き回しかしら」
 彼女の憤った声に私は苦笑を漏らす。 彼女はお嬢様の待遇をわが身のことのように怒っていた。
「ええ、お館さまから直接聞いたわ。休暇をとられたとか。最近過労気味のご様子だったから、よかった」
 明朝、目覚めたお嬢様が最初に見るのは待ち望んだ愛しい人の顔だ。存分に甘えられることを願って、私は仕事に戻る。明日はあの親子の好きな料理でテーブルを埋め尽くすのだ。


TOP

書いたの:2015/4/19フリーワンライ企画にて
お題:○○が眠るまで(○○は変更可) 仕事中につき 月だけが見てた 当然の結果
Copyright 2015 chiaki mizumachi all rights reserved.