母は世界の脅威

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「話があるからちょっと来なさい」
 いくつになっても子供は親からそう言われると、緊張するものだと思う。
 なにかやらかしたっけ。いや何もない、はず。いや、もしかしてあれか……? 瞬時にそんな思いが脳裏を駆け巡る。
 宿題やテスト、学校での素行その他……大学生にもなって改まった態度で居間に呼び出されるような理由は思い付かない。
 となると何が残る?
 最近母さんはそういう年頃なのか疲れた顔をしていて、なんだか毎日ピリピリしている。触らぬヒステリーになんとやら、俺も父さんも妹も、なるべく刺激しないように心がけていたつもりだ。
 まさか熟年離婚とか言い出さないだろうな、と居間のソファに微妙な間隔を空けて並んだ両親の顔を見比べる。別段、仲が悪いようには見えなかったけど……。
 俺はいいけど、妹はまだ中学生だ。それはまだしばらく待って欲しい。いや、待てばいいという問題でもないけど。
「なに、話って」
 重々しい空気を感じながら、なるべく明るい声で俺は尋ねる。
 二人は顔を見合わせて、押し付け合うような視線を交わしたあとに、母さんの方が先に口を開いた。
「あのね、あんたはもう大学生で大人だから、そろそろ言わなきゃいけないと思って」
「な、なにが?」
 父さん、深いため息。
「あのね母さん、実は」
 俺はごくりと生唾を飲む。
「宇宙からきた魔女なの」
 居間が静まり返る。
 俺は少しの間、真剣な母さんと父さんの顔を交互に見て、そのあとテレビの上の日めくりカレンダーを振り返って確認した。
 うん、エイプリルフールではない。あと一カ月以上ある。
「……えっ」
「お前の気持ちは分かる。よく分からないよな、落ち着け」
 まあ飲め、父さんが急須の茶を俺のマグカップに注ぐ。うちの父さんは率先して家事をする、いい男だと思う。
 うん、離婚する理由はないわな。
「えーっと、何の冗談? 」
「冗談じゃないわよ。宇宙魔女なの、母さん」
「はあ……」
 お茶の入ったマグカップに手を伸ばし、父さんに助けを求めたけど、父さんは真剣な顔で頷くだけだ。
「えっマジなの?」
「マジなの」
「ってか宇宙魔女ってなにさ……。はっ、まさか俺も魔法がつかえるとか?!」
「いやそれはない」
「いやそれはない」
 両親の声がハモった。離婚の心配はなさそうなので、末永く仲良くやってください。
「あんたたち兄妹は水に浮かないでしょ。父さんに似たのよ。完全に人間ね」
「えっ母さん浮くの?」
「浮くどころか入れなくて水の上歩けるレベルよ」
 確かに海にもプールにも一緒に行った記憶がない。風呂も……物心ついたときには父さんとばっかり入ってたし。
「そんなことはともかくね、これからあんたにも迷惑かかると思うの」
 ずっとシャワー浴びて生活って冬場寒そうだなと明後日な思考に陥っていると、母さんは話を戻す。
「なにが?」
「回ってきたのよね……当番が」
 母さんが引っ張り出してきたのは、見慣れたプラスチックのカバーがかかった町内の回覧板だ。
「世界の脅威当番?」
 そんなふざけた文面が、ちゃんと日本語で書いてある。
「これから母さん、宇宙魔女として世界の敵として、正義の味方と戦わないといけないの。こればっかりは地球に住む異星人が持ち回りでやってることだから、しょうがなくって……。お夕飯遅くなったり作れない日が出来るから、父さんたちと協力してやってくれる?」
「はあ……、世界の敵って?」
「ああ心配しないで、プロレスみたいなもんだから」
 プロレスって。
「向こうは子ども見たいなもんだからプロレスって知らないでガチでくるんだけどねー。それを怪我させないよう、こっちも怪我しないように適度な力加減で相手して負けなきゃいけないから大変でさ。面倒なのよ」
 母さんもマグカップを持ちあげて、ため息混じりでお茶をすすった。父さんは気をつけてねと心配そうに母さんを見る。大丈夫よう、と手をひらひらさせた。
「というわけで早速だけど今日も出撃当番だから、夕飯カレーでいい?」
「え、あ、うん」
 息子として、人間として、なにか気のきいたリアクションをすべきかとは思ったが、口から出たのは気の抜けた音だけだった。



 階下から、すでに母さんが作って行ってくれたカレーの匂いが漂ってくる。
 俺は自室でどうしたものかと頬杖をついていた。
 世界の敵……数日前にも俺はその言葉を聞いていたのだ。
「お兄ちゃん!」
 ノックもせずに入ってきた妹に、俺はハッと我に返って振り向く。
 中学生の妹は部活から帰ってきたばかりなのか、乱暴に学生鞄とジャージ袋を俺に投げつけて、焦ったように光るコンパクトを見せつける。
「また敵が出たらしいの! お母さん帰ってきたら誤魔化しておいて!」
 妹は言うなり俺の部屋の窓から屋根に靴を放り投げて、文字通り外へ飛び出していく。
「……多分しばらく帰ってこないよ」
 窓から溢れる光に目を細め、俺はぽつりと呟く。
 妹は今、正義の味方だ。日夜人知れずあの光るコンパクトを用いて変身し、世界の敵と戦う。
 うっかりその変身場面に出くわしてしまった数日前から、俺はその片棒を担がされている。といっても、具体的には、帰りの遅くなった妹をごまかす程度だけど。
「まさか相手が母さんだなんて」
 神様の悪戯とはこういうことなのかな。二人の闘いを見守っているだろう月を見上げて、へとへとで帰ってくるだろう二人のために、風呂の掃除でもしようかと思った。


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書いたの:2015/11/15フリーワンライ企画にて
お題:月と星と人間 この3つを使った三角関係 神様の悪戯
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