『月曜から二日酔い』

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『この戦いが終わったら、結婚しようか』
 耳を擽るテノールボイスが、ヘッドフォンの向こうから聞こえてくる。
 一瞬思考が停止した。
「アホなこと言ってないでしっかり歩け。何勝手に死亡フラグ立てていやがるんだ」
 肩にのしかかるモダの重みが熱を失っていくような気がするのは、雨が降っているからだ。
 森閑とした雨の中では、どれだけ足音に気を付けてもうるさく感じる。追手が近づいてくる気配はいまのところない。隠密魔法を使われてたら分からないけど、これだけボロボロの私たちにはもうそんな小細工はしない気がする。
「だってよう、もう全然目が見えないんだ。もう無理だよ」
「あともう少しだから、頑張って」
 視界が白んでくる。限界が近いのはこっちだって同じだ。
 それでもなんとか一歩ずつ踏ん張るように進んでいくと、木々の隙間から見えていたコンクリートの建物がだんだんと大きくなってくる。
 出発前は立方体の形をしていたはずなのに、今は大きな穴が開いて、待機していたはずの仲間はもうそこに誰もいないのだろうと見て取れる。連絡が途切れたから想像はついてたとはいえ、重い体がさらに重くなる。
「大分やられたみたいだな」
 呟きにモダは返事をせず、ぜいぜいと息を吐き出した。
「しんどい」
 私とモダ、二人分の体を引きずって、なんとかアジトまでたどり着く。最初に回復用に仲間が施した魔方陣があるはず。僅かでも残っていることを祈って、穴だらけで完全に廃墟と化した建物内を進んでいく。
「……あ」
 思わずモダが声を上げた。
 最奥に鎮座した黒く艶のあるグランドピアノは、その場にとても浮いているようでいて、一枚の絵画のような気がした。
 何重にも防御魔法を重ねたようで、グランドピアノの真下にある魔方陣を中心に、半径一メートルほどの空間だけがぽっかりと綺麗にのこっている。
「ありがと、李音……!」
 すでに散って行った仲間の名を呼び、心のそこから感謝を叫んだ。ぽーんとピアノの鍵盤を叩けば、しゅうしゅうと癒しの光が体から立ち上ってくる。
「モダ、モダ早く」
 今にも倒れそうなモダの体をピアノのそばまで引きずる。
「どうする、これから」
 癒しの魔方陣の効果は、ものすごくゆっくりだ。未だ苦しそうにしているモダの横にかがんで尋ねた。剣も鎧もボロボロで、モダの魔力もほとんど残っていない。ただ傷をいやしただけでどうなるだろう。
「このまま、隠れてやりすごせないかな」
 少しだけ口調が軽くなったモダの提案に、息を飲む。
「じゃなきゃ俺を置いてライトだけ逃げる。囮になるから」
「そんな」
 そんなこと許されるだろうか。死んだ仲間も見ているだろうに。
「全滅したら負けだ。誰か一人でも生き残れば、引き分けだろ。いやむしろこっちの勝ちかも。とにかく、少しでも動ける方を生かすのは、定石だ」
 考えるまでもない、首を横に降る。
「駄目。見捨てるなんて無理」
「真面目だなぁ……まあ、ライトのいいところだけど」
 馬鹿言ってんじゃないと、とつま先で軽く蹴る。
「お取込み中、失礼」
 瓦礫を蹴る音と共に、男の声がした。
――靡いた黄土色の髪に、剣を取る暇もなかった。



 ひゅーん、という音と同時に視界に現実が戻ってきた。
「あー負けたー! ていうか無理ゲーすぎ!」
 モダ、もとい茂田俊樹が隣のソファクッションに身を沈めたまま、力いっぱい大きく伸びをして叫ぶ。ちゃぶ台の上に置いたノパソからゴーグルへとつながるケーブルがぶらんと揺れた。
「格上すぎんよ、もうちょっとギルマスも考えて喧嘩相手選んでくれよー」
 体験型MMOネヴェスU、そのゲームシステムの一つにいわゆるGvG、ギルド同士の対戦がある。
 私たちのギルド、『月曜から二日酔い』は『銀の矢』に惨敗した。大負け中の大負け、もうどうしようもないくらいの大負けだ。
「しょっぱなから死んじゃうしね、ギルマス。感情的になって前に出すぎ」
 人のこと言えないけど。
 すっかりぬるくなったビールを口に含み、再びゴーグルを被る。ゲームの中では鎧を着こんだ大男が両手を合わせてぺこぺことしている。これがギルマス。
「なあ灯里」
 冷蔵庫からもう一本ビールを持ってきた俊樹がゴーグルを半分被った状態でこちらを見た。
「さっきの話の返事は?」
 なんのことだ? と考えること五秒。
「自分を大事にしない人とは、まだ、ちょっと」
「ゲームと現実を一緒にしちゃだめ!」
 ゴーグルの向こう側では、ギルマスは立礼から土下座ポーズに変わっていた。


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書いたの:2016/2/6フリーワンライ企画にて
お題:廃墟とピアノ 感情的 耳を擽るテノールボイス 森閑とした雨の中で
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