喪失

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「おかえりクー。無事に帰ってきてくれてよかった」
 そう言って医務室までやってきたヤトさまの制服には、シワも汚れもひとつもない。いつからかそれに気がついてから、それがすごく憎らしくなって、ヤトさまの顔をまともにみれなくなってしまった。
死んでしまった。私の知っているヤトさまは。
「けどまた怪我したそうだな? お前はいつも無鉄砲すぎる」
「わかってます。気を付けます」
私の声はそっけなく響いた。背中の包帯を巻き直してくれていたカンナがそっとたしなめるように背中を叩く。
ヤトさまはほろ苦い笑いを浮かべて、別の兵士のもとへねぎらいの言葉をかけに行ってしまわれた。
「司令に対してなんて口の聞き方。昔はあんなになついてたのに」
見かけによらず部隊の最古参の彼女がため息をつく。
「昔のはなしだ」
「だったら今から改めてなつきなさい」
「無茶言うな」
「あの方がどれだけこの国の平和のためにに尽力してるのかわかっててその態度なの?」
平和なんてくそくらえだ。でもみんな平和のために戦っているらしい。
理想を語ってはみんな戦地で死んでいく。誰もそれに違和感を覚えない。
平和になってどうなるっていうんだろう。私たちが生まれる前から戦争はあって、だれも平和な世の中なんて知らないくせに。
戦えなくなった自分に可能性なんてない。今のヤトさまに可能性を感じないように。
戦うヤトさまは強く美しかったのに、片眼を失い腕を負傷してから最前線にたたなくなってしまった。
カンナの言う通り、司令官としての彼も優秀だ。そちらの方が向いているとの声もある。
けれど 私には惨めにしか見えない。たまらないほどに。
私が目指していた星は堕ちた。つまらない、一人の部下を助けるために。

「ヤトさま。手合わせしてください」
謝ってこいとカンナに言われたが、ヤトさまを前にして口をついた言葉は全く別の言葉だった。
「俺じゃもう相手にならないだろ。別のやつに相手してもらえ」
もう一人で気軽に行動すべき立場ではないのにも関わらず、医務室から司令室に戻るヤトさまは供もつけずに一人だ。
「ヤトさまじゃなきゃだめです」
ヤトさまがなだめるように私の名を呼び、それを合図に私は一歩距離を詰めた。
「何度も言うが、気にするな」
失った眼に手をやりながら、ヤトさまは笑う。
「平和になったときに、一番隣にいてほしいのはお前なんだ」
私の頬撫でる彼を、私はどこか虚しい気持ちで見下ろす。
壁に手をついて、逆の手を彼の顎に手をやった。
「クー。ダメだ平和になるまで待って……」
「平和なんて来ませんよ、ヤトさま」
そもそも私はそんなの望まない。ヤトさまの隣にいるときは、戦場でありたい。
ときめく口づけより、噛みついてきてほしい。
願望を押し付けたキスは、ヘドが出るほどに甘かった。


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書いたの:2015/11/27フリーワンライ企画にて
お題:○○になるまで待って ときめくキスより噛みついて
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