スケジュール帳の空欄

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――ごめん、やっぱり仕事が忙しくて、今回は会えないっぽ。
「やっぱりね」
 スマホを置き、スケジュール帳を眺めながら私は小さく呟いてため息を吐き出した。
 前々日には飛行機の時間、前日には旅行の主目的の予定、空欄をまたいで帰りの飛行機の時間。
 お仕着せがましいことを言えば、空欄は真知に会うためだけの枠のはずだった。
 茶色い点線の枠をしばらくじっと見つめてから、机の引き出しから先週買ったCDを取り出す。
 真知に断られる予感は、アポを取る前から薄々あった。
 別にファンでもなんでもない、世間的にもどちらかと言えばマイナーのバンドのアルバムから、歌詞カードだけを取り出してありきたりで陳腐な言葉の羅列をぱらぱらと視線で送っていく。すぐに最後のページにたどり着いて、スタッフの一覧を見た。アシスタントミキサーの場所に、真知のフルネームが表記されている。彼女は夢をかなえた。
 けれど真知は最後まで、就職先を濁して旅立っていった。
 専攻になんら関係のない場所に就職を決めた私を気遣ったのか、憐れんだのか、それともやっかみを恐れたのかは分からない。私も深く追求はしなかった。
 私たちは表面上は取り繕っていても決して友好な関係とは言えなかったからだ。いつ崩壊してもおかしくない、ヒビ割れたガラスの上に立っているような関係だった。
 私は真知の才能に嫉妬していたし、真知はそれをいつも疎んでいた。それでも私たちはよく学校外でも会って遊び、卒業後もSNSで繋がっていた。音楽のことを覗けば、わりと、よい関係だったように思える。学科の同期としてでなく、友達としての真知は、私は好きだった。
 そう思っていたのは私だけかもしれないけれど。
「嫌になるな」
 知らないままでいたかったと歌詞カードを閉じた。
 真知が頑なに明かさなかった今の彼女の仕事を私が知っているのは、偶然、と言うにはかなり語弊がある。
 SNS上に出た他の友人との会話に出たキーワードをもとに、調べたと言った方が正しい。
 アーティストのブログに載っていた録音風景を取った写真の隅に、真知の痕跡を見つけたからだ。顔が映っていないのに、音響卓に触れる手を見た瞬間に彼女だと分かったのは、もはや恋のようなものではと自嘲的さえした。
「嫌になる」
 繰り返し呟いて、CDを元通り引き出しに押し込める。衝動的にネットで購入したものの、肝心の音楽の方は聞いてもいなかった。
 諦めた癖に、夢を追い続ける勇気も才能もないくせに、嫉妬心だけは持ち続けている。
 真知はきっと、それをよく分かっている。だから教えてくれなかったし、今もこうして避けられているのだろう。もう私とは違う場所にいるのだ。
「おめでとうぐらい、言いたかったな」
 それぐらい、私にも言えたはずだ。でももう、言えない。
 知っていることを告げれば、ますます真知は離れてしまうだろう。
 諦めたいような、諦めきれないような複雑な思いを抱きながら、私はスケジュール帳の空欄に自由行動と書き込んだ。


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書いたの:2016/7/1フリーワンライ企画にて
お題:割れたガラスの上
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