恋する乙女は紙一重

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 高橋亮輔は後悔していた。己の甘さにである。いい加減優しくするのはやめようと、心に誓った。
「伏見 夏恋!」
「はーい!」
 教室に飛び込むなりキラキラネームのはしりみたいな名前を彼が叫ぶと、教室の隅で元気よく手が挙がり、女生徒が立ち上がる。
 そう彼女が伏見 夏恋。亮輔の後悔の元凶でもある。
「な、なにかな」
 夏恋は頬を染めて上目使いで亮輔を見上げる。両手を自分の背中に回して、どことなくもじもじとしたような動きだ。
「手紙の返事ならここじゃなくて……」
「その手紙だが、読めなかった」
 亮輔は切り捨てるように言って、右手の人差し指と親指でつまんでいた封筒を夏恋に押し付ける。
「そんなっ」
 気色ばんだ声を上げる彼女に、亮輔はため息をついて眉を顰める。
「アラビア語だかなんだかわかんないけど、せめて日本語で書いてくれ」
「だって日本語じゃ誰に読まれるか分かんないから、恥ずかしいし……」
――今更、と二人のやり取りを見守っていたクラスの一同の心の声が人知れず綺麗に揃った。


 伏見 夏恋が亮輔に片想いして早数か月、というのは周知の事実である。人によってはその瞬間まで克明に覚えて無駄に脳のリソースを割いているクラスメイトもいることだろう。
 ちなみに彼女は告白には至ってはいない。至ってはいないのに亮輔本人にまでモロバレである。分かりやすいのだ。そして分かりやすいのに分かりにくい愛情表現を繰り広げるから、亮輔は今全力で迷惑している。
 日本語でも英語でもない言葉でラブレターを下駄箱に仕込み、一緒に帰りたくてうしろをつけて歩き、亮輔の言葉一つ一つを曲解し、ピンク・パープルの紙に『亮輔くんと両想いになれますように』と書き綴るおまじないをしてはブルームーンにお祈りして、ライバル避けのまじないとして謎のヒトガタの紙を彼の机に仕込もうとしたときには、さすがにいけないと周囲が止めたほどである。そもそもライバルなんていない。
「迷惑なら、いっそ振っちゃえばいいのに」
 そう思うものもいるが、そこはヘタ……否、優しいことに定評のある亮輔であるので、
「いや、告白されてもいないのに振るなんて無理だし可愛そうだし……」
 と、最終手段には消極的である。
 もしかして満更でもないのか、という問いには全力で否定する彼だが、その優しさ故に夏恋に片想いされているので、現状その優しさにいいことなしである。
 しかし謎の言語のラブレター三通目となると我慢の限界も近い。なお一通目はポルトガル語、二通目はロシア語であった。
「伏見」
 亮輔は入室時の勢いとは打って変わって静かな声で彼女に呼びかける。
 ついに振るのか、と級友たちが固唾をのんで見守る中、彼はずいぶんと溜めた。呼びかけたものの、未だ迷っているように視線をさまよわせている。
 行け、言え、言っちまえ!
「その、もっとさ、自分に自信を持てよ……」
 嗚呼馬鹿それ逆効果。
 級友たちのため息がさざなみのように二人に押し寄せる中、夏恋は「ありがと、頑張る」と嬉しそうに頬を染めた。


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書いたの:2015/9/21フリーワンライ企画にて
お題:こうかい(変換可)→後悔 ブルームーン
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