孤独な化け物

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――呪いあれ、と血の涙を流し、彼女は最期にそう言った。


 目覚めたら、コンソメスープの匂いがただよっていた。
「……また勝手に上り込んで」
「ごきげんようデライトさん。さっき来たのよ。午後だけよ」
 寝床の地下から地階に上がると、テーブルの花瓶に立てかけた本を読みながら、少女が悠々と挨拶をした。今日は自身の髪色によく似た、お気に入りの赤いリボンを頭に付けて、随分と機嫌の良いようであった。
「もうここに来てはならないと何度言ったら」
「だっておばあちゃんがスープを持っていきなさいって言うから! 好きでしょう?」
「……好きだが」
 こまっしゃくれた調子の少女の後ろを通り、竈の上に置かれた鍋の蓋を取る。澄み切った琥珀色のスープがなみなみとそこに入っていた。まだ温かいようであったので、そのまま私は食器の準備をして朝食をいただくことにする。
「あとパンも持ってきたのよ。デライトさんほっとくとすぐなんにも食べなくなるんだから」
「なんにも食べなくても生きていけるんだ」
「駄目よそんなの、死んでることと変わりがないわ」
 黒パンをナイフで切ってスープに浸しながら、私は低い声で「化け物だから、それが普通だ」と答えた。
 少女はひどく傷ついたような顔をすると、本で私の視界を遮る。
 ヒトに似た姿をしてはいるが私は、化け物だ。
 後天的なものではなく、生まれたときからそうだった。
「前々から言おうと思っていたのだけれど」
 本の向こう側で少女はそう前置きする。今日持ち込んだ本は詩集のようだ。読書好きの彼女は教会から借りてきた本をここで読むのが気に入ってしまった。どれだけ言ってもやめようとしなくて困る。
 ここなら確かに、彼女をからかう悪餓鬼も、隙あらば家事の手伝いをさせようとするという母親もやってこないのだが、縄張りを荒らされているようで決して心地よくない。
「デライトさんはいつも、つまらなさそうにしているわ。せめておいしいものを食べているときぐらい、楽しくすればいいのに」
 無感動にスープでふやかした黒パンを齧り、私は詩集の向こう側の少女を見つめ、静かに返す。
「アリス。もう今日は帰りなさい」
 詩集の壁が倒れ、膨れた顔が現れた。
「ずっと長く生きてるんでしょ。これからも生きるんでしょ。それってどんな気分? 楽しく過ごしたいと思わないの?」


――永遠を生きるってどんな気分?
 かつて似たことを尋ねた少女が居た。


「私は今の生活で、楽しい」
 目を細め、微笑んでみせる。
「夕方近くに起きて朝まで一日ぼんやりしていることが?」
「十分すぎるじゃないか」
 スープを飲み干し、立ち上がって流し台の中に食器を置く。
「暗くなる。帰りなさい。もう来てはいけないよ」
 少女はふて腐れた顔で立ち上がり、乱暴に本を鞄に突っ込んで立ち上がったが、返事は返ってこなかった。


***


「ねぇデライト。永遠を生きるってどんな気分ですか?」
 修道服に身をつつみ、彼女は祈るように尋ねた。
「どうした急に。死ぬのが怖くなったか、アリシア」
「いいえ。わたしの寿命は神に与えられたものです。それに抗おうとは思いません」
 その質問の当時、彼女は不治の病に冒されていたはずであったが、彼女は屹然と、当たり前のようにそう答える。私もそれが分かっていた。
 ただ、と続けて私を見る目は憐れみに満ちていた。
「貴方が寂しそうに見えるから」
――その一言がきっかけだったのではないかと、今になって思う。
 彼女のお茶に、化け物である私の血を入れた。私の血は、不老不死の妙薬となる。
 別に愛していたわけじゃない。長い生を彼女と寄り添いたかったわけじゃない。
 ただ、どうなるか、気になっただけだ。
 教義で自害を認めてられていない彼女が、信仰を捨てるかどうか。
 結局彼女は私を呪いながら自決を選び、神など存在しないことを自ら証明してしまった。
 無意味な生だった。

***

「アリス。まだいたのか」
 井戸へ水を汲みに外へ出ると、玄関の壁にへばりつく少女を見つけた。
 あたりはすっかり暗くなっている。
「ねぇ、デライトさん。流れ星は何処に行くの?」
 少女は少し気まずそうな顔をしながら、空を見上げて何気ない風を装って尋ねる。
「……何処へも行かない。何処にも辿り着けない」
 アリシアの、否、私の生のように。
「デライトさんは、ロマンがないわ」
 がっかりした表情の少女の頭を撫でる。俯いたアリスは、ややあってか細い声を出した。
「……ごめんなさい。私、さっきひどいこと言ったわ」
 それが言いたくてずっとここに居たのだろうか。私は短く「気にしていない」と事実を答えた。
「送ろう。両親が心配しているだろう」
「また明日、来てもいい?」
「……好きにしたらいい」
 私は少女の手を引くと、鬱蒼と茂る草むらを歩き出した。


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書いたの:2015/5/3フリーワンライ企画にて
お題:午後だけ 流れ星は何処に行くの?
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