天国の傷

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「気違いのお茶会か!」
 部屋の電気を付けるなり、達志は眉間にしわを寄せた。
 あたしはそれを笑ってごまかす。
「なにそれ」
「不思議の国のアリスだよ」
「へー、さっすが文学部」
「バカな事いってないで片づけろよ……」
 狭いワンルームのキッチンに、乱立したグラスやカップ。
 テレビの前のテーブルの上も似たようなことになっている。
「人を呼ぶ部屋じゃねぇ」
「だから言ったじゃん、散らかってるから行くならそっちの部屋だって」
 脱いだコートを丸めながら、達志はぐるりと部屋を見回した。
 カップ以外は、これでも片付いてる方だ。脱いだパジャマは洗濯かごの中だし、教科書類も一つに積んでる。
「てか、なんで一人暮らしにこんなにカップがあるんだ……必要無いだろ」
「引っ越しのときにカーチャンが邪魔だからって押し付けてきたのよね」
 邪魔なのはこちらも一緒だけど。ザ・捨てられない女の血を脈々と受け継いでしまった。
 使わなきゃもったいない、を言い訳にして活用しているものの、洗うのが面倒で、次々出していたらこのざまだ。
「どうりで。おばさんの趣味が出てる」
 他の家ならきっと来客用になるだろう、華奢な花柄のティーカップ(ただし、今は飲みかけのココア入り)を持ち上げて、達志はため息をついた。シャツの袖をまくって率先して洗い物を始めてくれる。
 あたしはテーブルのグラスを片手に三つずつ摘まんで台所へ運ぶ。
「これで家政科とは恐れ入るね」
「たまたまだよ、たまたま」
 嫌味を言いながらシンクで慣れた手つきでグラスとカップを洗ってくれる達志の腕がふと目に入った。そこには、肘から手首にかけてざっくりと切れた傷痕がある。
 昔、幼稚園の頃に公園で二人でバカやって作った傷だ。何針も縫うけがで、血みどろで自分が怪我したわけでもないのに、しばらく夢に見た覚えがある。
「なに見てんだよ。拭いてしまえ」
 ぼさっと突っ立って居たあたしに、達志が顎でしゃくって指示を出す。
「達志の腕の傷は、開くと異世界に繋がってる」
「はあ?」
「一体誰が言いだしたんだろうね」
 布巾を取りだしながら、小学校の頃に聞いたバカげた噂話を思い出していた。
 バカというよりは、大分はやい厨二病チックだ。新任の担任が頼りなくて、なんとなく教室の居心地が悪かったころの話だ。
「さあなあ、お前だと思ってたよ」
 節約に気を使って、ちょろちょろと細く水を出しながら達志がニヤリと笑う。
「なんであたし?」
「夢見がちだったし。あー、今でもか」
「失礼な」
 いくらあたしでもそんなこと言わない。
「王子さまが来て攫ってほしいって、さっき言ってたじゃないか」
「飲みの席での話でしょ。そりゃー攫って欲しいですよ、この寒くて日当たり悪くて暗いお部屋の中から」
「汚部屋の間違いだろ」
 最後のマグカップを水切りかごの中に入れて、達志はぽたぽた水の滴る手でタオルを引き寄せる。
 ちゃぶ台の前に座り込んで、コンビニ袋の中からつまみを取り出しはじめた。
「繋がってたらいいって、俺も思ってたよ」
 洗いたてのグラスにチューハイをわざわざ注ぎながら、達志がぽつりと言った。
「どこに?」
「……母さんのところ」
 ふっと寂しげに目を細めると、達志はグラスを煽った。
――彼のお母さんは、天国にいる。


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書いたの:2016/1/24フリーワンライ企画にて
お題:暗いお部屋の中 気違いのお茶会
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